舞い降りる(ダスト・エッセイ)

 これから僕は、郡司ペギオ幸夫の『創造性はどこからやってくるのか』(ちくま新書, 2023年)を読む。本のカバーそでに、アイデアは「ふいに降りてくるものだ」と書かれている。

 そういえば数日前、同僚に、なぜそんなユニークな発想を持てるのかと急に尋ねられて、うまく応えることができなかった。

 僕らの街に雪が降った。子供の頃は、もっと降る頻度が高かったように思う。舞い落ちる雪を窓越しに眺めてから、外へ飛び出して、雪遊びをした。今となっては、交通の心配をするか、気候変動の中での希望を感じる様なことばかりになった。

 幼い頃から冬になると、槇原敬之の「北風 ~君にとどきますように」を聴きたくなる。その年その年で、その雪が降り始めたことを教えたくなる人は、変わってきたように思う。

 今年の初雪は、風邪を引いて寝込んでいる間に降り積もった。そして、僕が外に出かける頃には、もう道の片隅に残った僅かな雪しか見ることができなかった。雪に関するニュースをみる気にもならなかった。

 いつから、どんなふうに、雪は舞い降りたのか。どれくらい、積もったのか。子供達は、どれくらいその雪で遊んだのか。どれだけの急ぐ人が、惨めに転んだのか。

 それを知らないまま、今年の、僕の初雪は、終わった。

 そんな寝込んでいる僕の元に一報、雪がすごいね、と、教えてくれた人がいた。

 同僚への応えとして、僕は過去を語った。発想を昔から褒められることはあったのに、誰に言えばいいのかもわからず、言っても伝わらず、ぽつんとすることが少なくなかった。言葉にこだわり始めて、それがマシになった。

 今思えば、悪くない応えだったと思う。


どれだけたくさんの人に囲まれていても
なぜか一人でいるような気持ちがずっときえなくて
でも無理に首を横に振っていたけれど
きっと誰もがみんな違うとはいえずにいるはず
(「北風」)

 降りてくるものは自ずと、一人じゃ済ませられない。

(2024年2月9日投稿)

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