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おうちゴハンは想い出ゴハン。

食べ物は人間をつくっていくものだから、子どもの頃に何を食べてきたかということは、大人になっても影響するものだ。それは、舌の記憶だけではなく、どんな時にどう食べていたかが思い出されるもの。

今まで食べてきたものには、すべてそのときの思い出がある。食の記憶とともに人間はつくられていく。「想い出のゴハン」が、人には必ずあるはずだ。

誕生日だからと大皿いっぱいに作ってくれた鶏の唐揚げ。煮すぎてじゃがいもの角が取れてほろほろになった肉じゃが。運動会や遠足の時だけ登場した俵型のおにぎりやチューリップ唐揚げ。小学校高学年になって初めて食べた甘口じゃないカレー。

具の極端に少ない炊き込みご飯(多分給料日前だったのだろう)。海苔と鮭と玉子焼きだけのお弁当。ひき肉と豆腐をスープで煮た透明な麻婆豆腐(昔は豆板醤なんて普通に売っていなかった)。肉よりキャベツの方が多い焼き餃子。

夜勤をしていた母が仕事前に作って冷蔵庫に入れていた魚の煮つけ、豚肉と豆腐の煮物、ひき肉の入ったオムレツ、ほうれん草をサラダ油で和えた不思議な和え物、ひじきの煮物、こんにゃくがやけに多かった豚汁。

受験勉強の夜食に鍋から直接食べたインスタントラーメン。ひとり暮らしを始めてお金が無い時に作ったキャベツだけのお好み焼き。失恋して、やさぐれている時に作った大鍋いっぱいのカレー(4日間食べ続けた)。

どれも、とびきりおいしかったわけではない。愛情いっぱいの料理というわけでもない。でも想い出の中に残っている料理たち。たとえ食べる時はひとりでも、それは想い出の味になる。

「おうちゴハン」「想い出のゴハン」の味は、大人になっても、オバサンになっても、自分を助けてくれる。

今自分で作ったとしても、多分同じものはできないし、同じように作っても違う味に感じるのだろう。でもその料理の記憶、味の記憶、食べた時の想い出(いい想い出もイヤな想い出も)は、たとえ忘れてしまったとしても、いつまでも「自分の中」にある。

何気ない今日のゴハンが、自分たちにとって、子どもにとって、誰かにとって、想い出のゴハンになるかもしれない。だから「食べること」「作ること」って大切なのだ。

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