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「いい人」に思われたい?

「いい人」に思われたい。この気持ちは、多分誰にでもある。そりゃ人間「悪い人」「冷たい人」と思われるよりは「いい人」に思われた方が得な気がするだろう。

が、私は30代半ばあたりから「別にいい人に思われなくてもいいや」と思うようになった。

いい人に思われなくたって、いい
冷たい人と思われたって、いい

一度思ってしまうと、とても楽になる。所詮自分は「いい人」なんかじゃない。ある人は私のことをいい人と言うかもしれないが、別の人はそうは思っていないかもしれない。そもそも世の中の人全員にいい人と思われる人間なんて居やしないのだ。

私は底意地が悪いし、子どもの頃から今に至るまで非常にひねくれている人間なので、そもそも「いい人」じゃないよなあ・・・と思っている。なので「いい人」と思われなくても割と平気なことに気がついた。もちろん私のことを「キライ」「冷たい」と思っている人は居るのだろうけれど、それもまた仕方がないことで。

まあ、わざわざ「悪い人」になる必要はないけれど、無理にいい人をやらなくてもいい。

いい人と思われたい人は、心のどこかで、自分で自分のことを「いい人」だと思っているのではないだろうか。だから、他人にもそう思われたくて頑張って「いい人」であろうとする。でも・・・いい人に「思われたくて」やることって、大概いい結果にはならないと思う。

いい人に思われること、そんなに大切だろうか。

いい人は、よく「都合のいい人」「どうでもいい人」という言葉にすり替えられる。そういう人にならないようにしましょうという記事も見かける。

でも、それで傷つくくらいだったら、いっそ「都合よく、どうでもいい人で結構だ」と思っていればいい。だって、都合のいい人だと思っている他人は、あなたにとってそこまで大切な人なのか? 自分にとってどうでもいい人に「どうでもいい人」と思われたところで、何も傷つくことはない。

自分にとって大切な人が、私のことをいい人と、心から思ってくれていたらラッキー♪くらいの気持ちで気楽にいこう。どうせ自分のことなんざ自分にだってわからないのだから。

いい人でいようと疲れてしまっている人たち、たまには「いい人と思われなくたっていい」、時には「冷たい人と思われたって平気」と開き直っちゃえ。何日か「いい人」をやらなくたって、人間それなりに楽しく生きていける。

オバサンになると、いい人を演じて疲れるより、多少嫌われても自分らしくいたくなるものなのだ。たとえそれを図々しいと言われてもね。

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