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感謝をするとき、思い出すとき。

「暑さ寒さも彼岸まで」とはよく言ったもので、どんなに残暑がだらだら続いても、彼岸の頃になると陽射しは柔らかくなり、朝晩は肌寒いくらいの気温になる。猛暑なら猛暑で文句、冷夏なら冷夏で文句、暑くても寒くても騒いでいる人間をよそに、自然というのは毎年ちゃんとめぐっているのだ。

そんなこんなで、秋のお彼岸。

もう20年以上前になるが、私は30歳の時に母親を亡くしている。父親がまったく頼りにならない人だったので、葬儀の手配や親戚への連絡などは近所のオバサンに助けられながら、すべて私と妹で行った。

菩提寺は無いしお付き合いのあるお寺もなかったので、葬儀社に紹介してもらったお寺でお願いをした。火葬を待っている間の精進落としの時に、お坊さんにこんなことを聞いてみた。

「ウチは女2人で独身だし、お墓を作っても守る人が居ないのだけれど、どうしたらいいんですか?」

この時にお坊さんが話してくれた言葉が、50歳を過ぎた今でも心の中に残っている。

「供養というのは、思い出してあげることなんですよ」

いわく、お墓を作ることは必須ではなく、お墓を作ることが供養でもない。あなたはまだ若いから無理にお墓を買う必要はない。いつかあなたがいい場所を見つけて・・・まあウチでもいいんだけど・・・、そこに埋葬したいと思えばそうすればいいし、それまではお骨を家に置いていても構わない。お墓を作って放っておくよりも、お母さんを何かの時に思い出すことが一番の供養なのだ。

そんなことを話してくれた。30歳の私は、それでとても気持ちが楽になったのを覚えている。母親のお骨はそれから5年ほど家にあり、その後、母親の出身である岩手県で「樹木葬」を行っているお寺がテレビで紹介されているのをたまたま見て、そこに埋葬してもらうことを決めた。

今思うと実に商売っ気のないお寺さんだったなあと思うのだが、縁もゆかりもないコムスメにそんな話をしてくれたのは、今でもありがたかったなあと思っている。

母親が亡くなって20年以上、父親が亡くなって15年が経つが、良くも悪くも年に数回くらいは何らかの形で思い出す。私は両親に対して「親」という役割を困らない程度にしてくれたことには感謝しているが、個人としては両親とも好きではなかった。困らされたことも多かった。が、私という人間が在るのは、嫌いだろうが何だろうがあの両親が居たからなので、そこには一応感謝は、する。

秋分の日は「祖先を敬い、亡くなった人をしのぶ日」として制定されたそうだ。浄土に居るご先祖様を偲び、感謝する日。お彼岸の間は、自分が「いま、ここに在る」ことに思いをいたし、感謝をする時期でもあるのだろう。

50年以上生きてきても、まだまだ練れておらず精進が必要な私ではある。しかし、生きている間はいろいろあったけれど仏になったのだから見守ってくれるだろうと勝手に思い、お彼岸くらいは自分の両親とダンナの両親(母親はまだ存命だが)に感謝しようと思う。

思い出すことが供養になる、というあのコトバを信じて。

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