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「あなたは友達じゃない」と思った私は、大人げなくない

今日は最近友達に言われた言葉で、ぐっときたことを書きます。

私は社会人になってすぐアカウントを作ったfacebookをときどき見るのですが、ある日、とある人から「友達申請」がきているのを見つけました。

それは中学時代の同級生。マイページを見に行くと、長男と同い年の子どもがいるみたい。かつては同じ習い事に通ったり、当時推してたV6が出演する「学校へ行こう!」のスタジオ観覧に一緒に行ったこともあります。

でも私は思ったんです。

「あなたは友達じゃない」

許せなかった、無視への加担

私が彼女を友達として見られないのは、中学時代に彼女が私への無視に加担したから。

よくある「順番に無視された」「しょうもないきっかけでグループをはずされた」という話のひとつだと今は思うけれど、当時クラスに居場所がないと感じたのはすごくつらくて、私は一時的に学校に行けなくなりました。

そのとき、比較的仲が良かったはずの彼女も、私を無視したことは忘れられません。たとえその場の空気に逆らえなかったのだとしても、私は傷ついたのです。

でも一方で、心のどこかで「子ども時代のちょっとしたいさかいを根に持つ自分はダサいし大人げない」と思っていました。

スクールカウンセラーの友人が言った言葉

そんな思いから「友達申請」を拒否も許諾もできずにいたとき、たまたま同じ中学校に通っていた友人と久しぶりに再会しました。

彼女は別のクラスでしたが、当時私が一時的に不登校になったことや、精神的に不安定になったことも知っています。彼女も当時はいろいろと悩みがあったようですが、今はそんな子どもの助けになればと、スクールカウンセラーになったそうです。(心から尊敬しました)

そんな彼女にならと、facebookでの話を吐き出すと、彼女は共感して聞いてくれて、私は妙なほどすっきりしました。そして最後に笑ってこう言いました。

「でもさ、私もどこか変な部分があったのかもしれないし。無視されただけでいつまでも被害者だと思ってるのも大人げないよね」

すると、穏やかだった彼女の表情は一変して、こう言いました。

「そんなことない、あなたは大人げなくないよ。
 ちっともへんな所なんかなかったし、あなたは1ミリも悪くない」

私はハッとしました。

大人になった私は、自分の心の中のモヤモヤを「聞いてもらう」だけで一時的にすっきりして、最後は当時たしかに傷ついた自分に対し「あなたも悪かったかもしれないじゃない」と言い放ち、事態をおさめようとしていたのです。

自分のつらかった思いは、否定しない

彼女と話して、自分の思いは否定しなくていいんだと改めて考え直しました。大人になることと、自分を押し込めることは違う。

facebookの「友達申請」に「yes」をすることで私が大人になった、許した、つらい記憶はしまいこんだ、としたいならそれも選択肢だけど、忘れられなくて「友達じゃない」と思うならそれでいいんだ。

私は「友達申請」を削除し、友達じゃないと思い続けることにした。

そんな自分も、大人げなくない。

将来、もしかしてわが子にもこういうモヤモヤができてしまうのかもしれない。そんなとき「あなたにも非があったんじゃない」でなく「つらかったね」と言える親でいたいと思っています。

自分の感情に、不正解はない。

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