見出し画像

名前を知ることからはじまる

※シモの話をします。ご注意ください。

最近切れ痔になったっぽく、人生ではじめてボラギノールにお世話になった。
何となく最近お尻が痛いことに気づき、でもよくある体の些細な変化だろうし勝手に治るか、と思い放置。とはいえ微妙に長引く。4日くらい経ってさすがに気になる調べてみると、「切れ痔」を解説するWebサイトに辿りついた。

聞いたことのない病気ならまだしも、「痔」ってよく病名は聞くしCMの歌も耳にするけど、おじさんになったらなる病気なんかなとスルーして、それが結局何なのか考えたこともなかった。痔ってこんなあっけなく患うものなのか…と、かなりびっくりした。

例えばずっと自分がしんどいな〜と思っていた考えに名前がついていることを知ったり、そもそもこれって名前あったの?みたいなことがあったり。
お花の名前も、名前はよく聞くけど実際の花の姿と一致しないことが多い。いまだに「スイートピー」がどんな花か知らない、けどよく例えで出すよね、みたいな。花が出てくる曲の歌詞がぐっと自分に近づく。

知ってるようできちんと掴めていない、そういう物事って、生きている中で本当に多いな。
だから、新しいことをきちんと知るたびに、あいまいな絵が縁取られていくように、またひとつ自分の人生の解像度が上がる嬉しさと怖さがある。

善悪についてもそうだと思う。
知らない方が罪悪感を感じずに生きれたのにな、って物事はたくさんある。けれど、知らずに生きていたかもしれない今までとこれからを想像すると、パラレルにいるその自分の愚かさの方がよっぽど恥ずかしく感じる。そう思うと、気づけてよかった、の方が強い。
知らない時点で、悪に飲まれていたり利用されている、ということだろうし。それなら私はなるべく悪者にはなりたくないな。

悪に負けることなく、善をもって悪に勝ちなさい。
ローマの信徒への手紙‬ ‭12‬‬:‭21‬ (聖書 新共同訳)

この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?