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素直そうなのに騙されないひと

うまく生きるために、無自覚でも自覚的でも人をうまく使う人がいる。私はそれを見抜きたくってずっと「かしこく」いることを意識し続けている。
おかげで、あいまいなネズミ講やニュービジネスにめちゃくちゃ声をかけられるけどちゃんと見抜けるし、あらゆる楽しみの「程よく」の度合いを見極められている気がする。これ以上踏み込んだらやばい気がするな〜と思う少し手前で察してやめられている、気がする。

私の勝ち気はあくまで「だまされないぞ」「なめられないぞ」が基本ベースで、別に嫌なことされたり見下されたりしなければ全然負けたっていい。
その代わり、利用する人や構造のずるさをなるべく把握して、その波に押されないように目を凝らし続けている。それが私にとって必要な「かしこさ」だと思っている。

一方で、うっかりすると、今度は私が人をうまく使おうとしてしまう。やんわり自分が楽しようとしたり、しれーっと嫌な役回りを避けて人に押し付けたり。かしこさを「かしこく」使うことも大事だなと思う。

そういや、知り合いから「潔癖な所あるよね」と言われたことがある。「いい子は天国に行けるけど、悪い子はどこまでだっていけるじゃん」と、よく言われる言葉をかけられる。
でもどちらも結局身を置く範囲でしか動けなくない?と私は思っていて。悪い子で居続けると明るい場所には出られなくなってしまうことは、ちゃんと教えられない気がする。
人によって美しさは違うけど、人を破壊する道があることは確か。それを輝かしさとか、まがいものの正しさとかでごまかしている。

濁りを寄せ付けないための眼力を培いたい。後ろ指さされないために、いつも白であり続けたい。
何より大切なのは、私が私をクレンジングし続ける心構えかもしれない。

わたしはあなたがたを遣わす。それは、狼の群れに羊を送り込むようなものだ。だから、蛇のように賢く、鳩のように素直になりなさい。
マタイによる福音書‬ ‭10‬:‭16‬ (聖書 新共同訳‬)

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