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計画的に、刹那的でいる

目の前のことが何より大事だと思って生きていると、あらゆるものを知らぬ間に諦めてしまうことになる。
それはいつかの今をないがしろにすることだから、実際はちょっとは未来のことも考えないといけない。
でも、未来にとらわれると、今の自分の歩みが制限されてしまう。


年明けてすぐだからなのか、久々に会う人が多いからなのか、「これからどうするの」と聞かれることが最近多い。
今の私は、27歳、結婚して約2年がたつ。まだ子無しで夫婦共働き。私に至っては副業もして、まあまあオーバーワークなほど。
子どもをどうするの?とか、キャリアどうするの?とか、どっか行ったりしないの?とか。あらゆる可能性が微妙に残されている今の私に、いろんな種類の期待のまなざしが向けられている。
気にかけてくれるのはいつもうれしい。でも一方で、その問いを投げられるとき、尋ねる人の未来の自分やパラレルワールドの自分に私を重ねているようで、プレッシャーという細い針になって、ちくちく痛む。
毎年変化が何かしらある中で、珍しく何もない年を過ごした2022年の私にとってそろそろ変化が必要と信じていた。だからなおさらどの期待に応えたらいいんだろうか、と年末からずーっと考えていた。

「あなたはさ、なんだか今がすこぶる楽しそう。ちゃんとやりきってから次に行かんと、『あれもっとやっとけばよかった~!』って未来の自分が後悔するよ」
と人から言われて、すっと肩が軽くなったのが昨日の話。
そうか、後悔が残る生き方は、未来の私が嫌がるよなあ、、と忘れていた視点をその知り合いが思い出させてくれた。
今の私には、今の私で居続けるだけでもあふれんばかりの「やりたい」があり、それをひとつひとつ実現していくことがベストな気がしてきた。

明日のことは明日考えよう、ということは、明日以降のことなんて心配するな、というだけじゃない。
前を向かないと前に進めないのもあるけど、今と向き合い切らずに果たして笑顔でいい未来を迎えられるだろうか。苦笑いしちゃわないだろうか。未練を残さないために、未来のために今を生きる必要が今の私にはあるのだろう。

とにかく今の私は、たくさんたくさん、おいしい食べ物といい本を知りたいな~あ。

だから、明日のことまで思い悩むな。明日のことは明日自らが思い悩む。その日の苦労は、その日だけで十分である。
マタイによる福音書‬ ‭6‬‬:‭34‬ (聖書 新共同訳)

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