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麒麟も阪神タイガースもまだきらい


ずっと「男には負けられない」という、ぼんやりでっかい向上心があって、それはファザコンをこじらせた結果だということは重々にわかっている。

父のやることはとにかく嫌なことのビュッフェ状態だった。たばこ、アル中、モラハラ、借金、パチンコ、あらゆる賭け事、女性関係、嘘、見栄、喧嘩、失職、いろんな人への差別と偏見。
毎月ガス水道電気ケータイのどれかは止まっていた割に、うちにはいいステレオがあったし、小学生からケータイは持たせてもらえた。


父の地元の尼崎は、黄色と黒のシマシマがどこにいっても目について、正直今でもうんざりしてしまう。野球にはいい思い出がないのだ。
学校から帰ったら、まだ日が明るい時間なのに父がいて、文化住宅に似合わない無駄に大きいテレビの前でビールを飲みながら、うまい球を投げなかった選手に怒号を投げる。私は空にされた茶色の瓶を近くの酒屋に持っていって小銭に変える。帰ると、換気扇の下で吸い殻をまた積み上げている。酒と試合の進み具合で機嫌が変わるから、「明日出さなきゃいけないこの書類にハンコ押して」とか言うのすらロシアンルーレットをひく気持ちだった。母は生活費と実家の仕送りのために昼も夜も働いていたから家にそんなにいなくて、夜に働くことを父になじられていた。


別々で暮らすようになって、なんなら父は早いうちに亡くなってしまった。こうやって月日が経つと、父自身のことはそこまで憎めなくなってきた。父は、父を狂わせる色んな社会の構造や彼なりのコンプレックスを抱えて壊れてしまった、と思えるようになったから。代わりに、この世界で生きていたら日々ちらつく、「男が持つ力」に対してちょっとでも抗っていきたい、と思うようになった。それは男をとらえる鎖だとも思うし。

別に、適切に尊重されるのならば戦いたくない。でもいま、女性の権利を叫ぶのは、より女性が生きやすい社会を願うのは、家父長制的な社会を少しずつ崩していきたいのは、昔の私と母と兄弟とそして父を、少しでも報いたいため。

ミモザの花があらゆる場所に飾られるこの季節に、私はいつも父という男のことを考えてしまう。
いつか、すこやかな気持ちで甲子園に野球を観に行きたい。本当は、生きているうちに父と行きたかった。

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