浮気されても離婚しないという選択

夫に裏切られたかもしれない、と思ったことがある。

去年、夫が私に愛想をつかして離婚したいといって家を出たことがあったのだけど、その半年~1年の間は、他の相手いたのではないかと思っている。

本人が認めたわけではないのだけれど、まあまず間違いないだろうという物証は出てきていた。

私がその物証について尋ねた時、夫は違うよと言って淡々と説明をした。
理路整然としているように見せかけているが、まったく理路整然としていなくて、見ていてかわいそうになる程だった。
彼が淡々とした態度をとる時は実はものすごく動揺している時だということを、私はよく知っている。
こちらとしても相手をやっつけようと思って尋ねたわけではないので、あえて突っ込まず、「そうなんだ」と言いながら静かに落胆しただけだった。
私が尋ねた瞬間の、夫の表情。しばらくの間。
その時点でもう、答えは出ていた。

こんなにも苦しい言い訳を並べ立てなくてはならないほど、この人は何も考えずにやってしまったんだな。
この夫が我を忘れるほど、相手は魅力的だったんだろうか。
それとも我を忘れたくなるほど、夫はこの結婚に苦しんでいたのだろうか。
そんなことをぼんやり思った。

私を傷つけないための嘘なのか、
自分を守るための嘘なのか。
そのどちらであっても、私には関係ない。

浮気は、嘘は、裏切りだ。

私は、すぐに離婚を考えた。
それまで、夫から離婚したいと言われても、家を出ていかれても、微塵も応じる気にはならなかったのに。
いつでも夫を迎え入れるつもりで、せっせと夕飯を作り、居心地の良いよう家を整え、夫のことを毎日考えてきた。
あっさりと離婚しようと思えたのは、そうしてさんざん追いすがった後だったからこそかもしれない。

夫としても異存はないはずで、話はスムーズに進むだろうと思った。
慰謝料などを考えれば、しっかりとした証拠を押さえるべきなのかもしれないが、そうしたいとは思えなかった。
子どもたちのこと、両親のこと、お世話になった義理の両親のことを思うと、申し訳なさといろんな感情が込み上げて感情を揺さぶった。
それでも、夫を許すことは一生できそうにないと思った。

浮気された側の感情というのは、酷いものだ。
たとえ私の不出来が原因だったとしても、ここまでの苦しみに値するほどの罪じゃない。
突然離婚したいと言われ、家を出ていかれ、毎日泣きながら必死に日々を生き抜いていた頃、夫は他の女を抱いていた。
そう思うと、文字通り内臓がえぐられたように感じ、呼吸するのも苦しかった。

精神崩壊寸前だった私は、マリッジ・コンサルタントという肩書を持つある女性に大金を払い、すべてを話した。
離婚しかないという私の話を聞いた彼女は、
「あなたの中で答えが出ているならそれでいい」と言いながら、こう付け加えた。

「離婚は一番簡単な選択だよね」

私は一瞬、耳を疑った。
簡単な選択?
私にとっては、離婚を選ぶことは、最も怖い選択だったから。

だが彼女の話を聞くうちに思った。
私が離婚しようと決意した理由の根底には、「私はこんな仕打ちをされるような人間じゃない」という意地のような、誇りのようなものがあったと思う。
自分はここまで軽く扱われる存在じゃない。こんな扱いをする夫の方が間違っていて、私は何も悪くない。
悪いのは夫なのだから、バツとして夫を捨てて、私はもっと素晴らしい伴侶と生涯を共にすべきだ。
私の中には、そういう「夫を罰せられるべき」「私は正義」という構図が確かにあった。

私は、浮気されたら離婚する、それが正義だと信じていた。
だがそのうすっぺらい正義を剥がしてみると、そこにあったのはまる出しの逃避根性だった。
裏切られたことがあまりに辛くて苦しくて、私はこの婚姻関係を一刻も早く終わらせようとしていたのだ。
離婚さえすれば、この苦しみから逃れられると信じていた。
だが本当にそうなのか?
私はこの先、他の男性と出会ったとして、同じことを繰り返さないと言えるだろうか?

紙切れ一枚提出すれば、それで離婚成立となる。
確かに離婚は簡単だった。

だが、離婚は投げ出すことと同義なのだと思った瞬間、生来の負けず嫌いである私の心に、むくむくと意地が生まれた。
こんなところで投げ出してなるものか。
私は離婚することをやめた。というより、結論を先延ばしにした。
夫のことは許せない。だが、離婚の決断は今じゃなくていい。
離婚の前に、とことん向き合ってみるのが先だと思った。
目の前の夫に。そして私に。

夫婦は写し鏡だという。
だとすれば、他の女を抱いた夫は、私だ。
浮気はしていないと淡々と嘘をつく夫は、私だ。
結婚から逃げようとした私。
仕事から逃げた私。
夫婦の現実から目を背けて、自分に嘘をつき続けてきた私だ。
すべては、それを認めてからだ。

離婚はいつでもできる。
でもその前に私は、もう一度、この結婚の幸せな瞬間をできる限り集めようと思う。ありったけに集めたそれらの瞬間を、くすくすと笑いながら愛でてみるのだ。
子どもたちの笑う声。夫の気の抜けた寝顔。ふかふかの布団、日の差す窓辺、パンのにおい。
そして時々は、淡々と嘘をつく夫の、小刻みに動く瞳を。