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読解問題って難しいね
最近、娘と物語文や説明文の読解長文を取り組んでいると、結構ヘビーな気持ちになる。
どうしてって、小学生が取り組むには、やっぱりどこか、答えるのがなかなかに難しい問題ばかりで、娘がかなり苦戦しているから、である。
説明文は、それなりに話題と結論が見つけられれば、そこそこ記述問題も書けるようにはなってきた。
でも。
問題は物語文だ。
物語文というのは、まぁ児童文学や小説が題材なのだけれど、作者が登場人物たちに与えたシチュエーションと、性格と、状況と、変化と気持ち、それを駆使してドラマを描いているものだと思う。
それを、問題作成者であり出題者である人物が、読んで解釈したものを、解くのである。
小説には、もちろん作者の細かい意図なんて、どこにも書かれていない。
こういうことが伝えたかったのです。
こういう場面にはこんな思いを込めました。
この主人公は、こんなことを考え、学び、成長しました。
そんな説明は、物語には、敢えて出す必要もないものだし、むしろ、読み手の受け取り方に委ねられて初めて物語になる部分もあるものだと思う。
そこを、出題者が思った、感じたことを想像してまとめなければならないのが、物語文の読解なのだ。
説明文は、確実に本文の中に答えが記載されているのに対し、物語文は、(もちろん具体的事象としての登場人物たちの言動の中に、答えの種はみつかるのだけれども)「ここの部分を一般的な言葉で説明し直すと、どうなると思う?」というニュアンスの問題の答えは、記載されていないのだ。
あくまでも、一つ一つは答えの種であり、欠片であり。
その断片を拾い、一般的な言葉に換え、繋ぎ合わせて、ようやくひとつの答えが作られる。
それはもう、立派な評論文なんだと思う。
3000字~5000字と言われる長文を短時間で読み、分析し、そこに読み取った心の動きを付加して、評論文を書く。
よくよく考えてみると、受験生はすごいことをやらされているのだと思う。
どちらかというと理系脳の娘は、どうも気持ちの揺れ動きや、様々な気持ち自体の種類(まだ自分自身の経験不足もあると思うけれど)に疎いようなので、なおさら難しいのだろう。
でも。
これをやりこなして合格を勝ち取っている子どもたちが、毎年たくさんいるのだ。
挑戦し始めたからこそ、落ち込みながらも、少しずつでも理解できるよう頑張ろうとしている娘。
気持ちに寄り添い、ときには労り、ときには発破をかけ、なぐさめ、励まし。
そうしているうちに、自然に、日本語の奥深さ、楽しさ、面白さ、そういうものを感じて、国語読解が得意な、大好きな人になっていってくれたら、今後の彼女の人生も、また少し生きやすくなるのかな。
そう思いながら、日々娘と共に、読解問題の難しさに取り組んでいる。
サポートしていただける、というありがたみ、深く心に刻みます。 子どもに繋いでいけるよう、子どもにいろんな本を買わせていただくのに役立てようと思います。