長距離バスの人情 カンボジアの暮らし方5
市場の近くに、床屋さんがあった。
入り口には長距離バスの写真が載った看板があり、店の奥さんか娘さんが机の前の椅子に座っている。みんな目がぱっちり二重の美人さんで、どちらかというとふくよかな体型もよく似ている。
机に貼ってある時刻表を見て、「◯日の何時、プノンペン行きのチケットをください。」と言うと、電話で空席を確認してチケットを出してくれる。
チケットを買える場所はバスの会社ごとにいくつかあったけれど、私はいつもその床屋さんで買っていた。
バスに乗るときは、出発の時間より少し前に、床屋さんに着くようにしていた。だいたいいつも大幅に遅れるのに、気まぐれに早めに着くこともあるからだ。
なので、だいたい数十分、床屋さんでプラスチックの椅子に座って待つことになる。
店番のお姉さんがバス会社と電話するのを、髭を剃るお客さんを、壁にかかっている風景の絵を、透明のテープでぐるぐる巻きにされて床に積まれたバス便の荷物を、眺める。
時間通りに来ることなんてない。日本にいたら考えられないことだけど、それが普通だからあせったり、いらいらしたりしない。ただ、暑いから早く来ないかなあ、と思う。
やっとバスが来る。
乗り込んで席に座り、バックパックを足元に置いてほっとひと息、できるときはよいのだけれど、前に座っている人が思いっきりリクライニングを倒していると、バックパックはひざに置いて小さく座らなければならない。
隣がおばちゃんかビジネスマン風の人だと、だいたい話しかけてくれる。
「どこから来たの?」
「日本」
「仕事は?」
などなど。
そして必ず、クメール語(カンボジア語)上手だね!と言ってくれるのが嬉しい。
一見すかした感じの、キャップを浅めにかぶって細いパンツをはいたお兄さんも、実はとっても優しい。足の悪いおばあさんが乗ってくるとわかると若者総出で乗るのを手伝うし、泣いている赤ちゃんが近くにいるとあやす。
例えば日本で長距離バスに乗って隣の人に話しかけるとしたら、よっぽどのきっかけがないと難しいという思う。
話しかけられるのは全然嫌じゃないけどちょっと身構えてしまう気がするし、自分から話しかけるなんてもっと気をつかってしまう。ひとりの時間を邪魔しちゃ悪いな、とか。
でも、カンボジアではその壁が全然ない。同じ空間にいたら自然に話す。お互いに変な気遣いがいらないから、心地がよい。
あまり言葉が話せなくても、なんとかコミュニケーションを取ろうとしてくれるおばちゃんもいた。
持っているビニール袋の中に入った、茶色の細長いものを見せてくれる。
「これ、なんだと思う?」
初めて見たものだった。
「食べるとすっぱいのよ。スープに入れるとおいしいの。」
知っている少ない言葉をつなぎ合わせて、なんとか理解する。
最後にぴんときた。
あ、タマリンドだ!
カンボジア料理に、"ソムローマチュー"という酸っぱいスープがある。みんなが大好きな、日本のお味噌汁みたいな。
わかったときの嬉しさ。おばちゃんも、にこにこして嬉しそうだった。
しばらくすると、休憩所に着く。
その日によってとまる場所が違うので、どこで休憩するのかそわそわする。なぜかというと、休憩所によって売っているおやつが違うから。
ここなら肉まん、とか、ここならパイナップル、とか、今日は食べたいものがないからお菓子にしようか、それともお水だけ買おうかな、とか、あれこれ考えるのも楽しみのひとつだ。
たまにいつも乗らない路線のバスに乗ると、蒸したたまごや甘いとうもろこしなど、食べたことのなかったおいしいものに出会えることもあった。
トイレはカンボジア式の、おけで水を流すタイプ。きれいなトイレでないと用を足せない人にはちょっと厳しいかもしれない。でも、使うたびにきれいに流すから意外と清潔なのだ。ティッシュは使わない仕様なので、私はいつもトイレットペーパーを持ち歩くようにしていた。
バスに戻ると、隣のおばちゃんがこれ食べなさい、と青いマンゴーを一切れくれる。とうがらしと砂糖を混ぜたものをつけて食べるとおいしい、定番おやつだ。私もパイナップルを一切れ渡して交換こ。
実はパイナップルは舌がぴりぴりして苦手だった。でも、カンボジアのパイナップルは全然ぴりぴりしない。甘くておいしくて、のどもうるおう。完熟だからかもしれない。
雨季だと、道はがたがたで、なかなかスピードが出ない。
時々、エンジンが熱くなりすぎて止まってしまうこともある。
高床式の木の家や、広がる田んぼにヤシの木の風景を眺めながら、今日は何時間で着くかな、と考える。乾季はすべてがうす茶色く、雨季は緑が鮮やかだ。
テレビでは中国のアクション映画の吹き替えか、大勢で伝統のダンスをしたり失恋した主人公が昔を思い出したりするカンボジアのミュージックビデオか、漫才やコントのお笑い番組が流れている。
だんだん建物が増えて、お店が並ぶようになり、やがて街に入る。
プノンペン市内に入ると、風景は変わる。広くて整った道、ヨーロッパ風の建物、背の高いビル、きれいな公園、カフェ。内戦の前、"東洋のパリ"と呼ばれていた時代の、美しい建物もある。
ターミナル(ってほどでもない、バス会社の脇の道端のことも)に着き、バスを降りると、トゥクトゥクのドライバーがたくさん集まってくるのだけれど、その勢いがちょっと苦手で、いつも少し離れたところまで歩いてからトゥクトゥクをつかまえて目的地に向かった。
座席は快適とはいえないし、エアコンが効きすぎて寒かったり、逆に壊れていて暑かったりする。後ろの席だともれなくおしりが熱い。時間もたくさんかかる。
それでも、不思議とバスは嫌いじゃなかった。
窓からの風景も開放的で癒されるし、乗り合わせた人たちとの会話も楽しい。みんなの目があるから、寝てしまっても大丈夫。
帰りは家の前で降ろしてくれるから、暗くなってしまっても安心。
カンボジアの大きな魅力は、フレンドリーなカンボジア人。そう感じる外国人はとても多いと思う。
観光地のお店やホテルの人たちがフレンドリーなのはもちろんだけれど、そうじゃない場所でも本当にみんながあたたかいんだよ、というのをいちばん体感できたのは、何度も何度も乗った、がたがたのバスかもしれない。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?