自由になりたい そう願って 一生懸命努力してきた つらい日々を乗り越えた 自由を手に入れた ずっと欲しかった自由だ さあこれから何をしようか 今なら何でもできる 私を取り囲む無数の扉 その扉の向こうには希望が待っている 明るい未来が待っている どの扉を開けようか こっちは楽しそうだな あっちもわくわくするな 案内標識を読んで想像を巡らせる ──やっぱりこっちかな どんどん扉が減っていく こっちがマシかな あっちの方が安全か なんだか最近疲れやすいなあ ちょっと休もう…
でっかい夢をみつけた。 叶えたい夢をみつけた。 周りが私に「何したいの?」って聞いてくる。 ブレる。 ストレートに言えない。 下手に納得させようとしてつまらない言い訳を並べてブレる。 つらい。 納得してもらえなくていいのに。 それでも価値があるって信じてたのに。 否定されるのがこわい。 バカにされるのがこわい。 「いいから放っておいて」って叫んでるのに叫べない。 下手な論理を楯にして自分を守ろうとして崩壊する。 私って何がしたいんだっけ。 この繰り返し。
旅したい旅したい旅したい!絶対旅する!!!
私は、競争が嫌いだ。 嫌いと言えば語弊があるかもしれない。 闘争本能はある。 だから競争することになったら勝とうとしてしまう。 そんな自分に疲れてしまうのだ。 思えば昔からそうだったかもしれない。 ポケモンよりもどうぶつの森が好きだった。 スポーツをして「勝つ」喜びを体感したこともあったけど、そのモチベーションを維持できなかった。 「優勝」「金賞」「一番」は当時はとても輝いて見えたけど、同じチームメンバーの熱意とは乖離があったのかもしれない。 今、学生生活を終え社会に出
私は自由を渇望している。 個人の価値観が集団によって押し殺される。 自分の考えが社会に合わないということでつぶされる。 そんな社会が嫌だ。井の中の蛙だ。 抜け出したい。自由になりたい。 もちろん、大海を知らない方が幸せなこともあるだろう。 井の中に留まるからこそ見える空の青さもあるだろう。 しかし私は、大海に出たいのである。 今いる不自由な社会を抜け出して自由になりたいのである。 だから私は東京に憧れる。 東京は共同体というものが見えにくい。 こんな私を受容してくれるの
最近私は"贈与系"の話題を芋づる式に取り入れているようだ。 どこからそのムーブメントが始まったのか、そのはじまりが思い出せないので遡ってみる。 映画『Pay it forward』 さっき見た。示唆に富んだ映画。みんなが利他的で合理的に判断できたら、少年の描いたユートピアは実現されるのだろうか。でも現実はそんなに上手くはいかない。そんな社会においても信じて勇気を出せる人間でありたい。 本『世界は贈与でできている 資本主義の「すきま」を埋める倫理学』近内悠太 この本で
私は好奇心旺盛な性格である。 それも狭く深い専門家タイプではなく、広く浅い"非専門家"タイプである。 地方で生まれ育ち、公立の小中高大を卒業。 そして今、同じ公立の大学院にいる。 周りはいわゆる秀才。 大学院を卒業したら一般企業に勤める。 正規ルートである。自分もそうだと思ってた。 しかし就職活動をしていく中で、私は秀才ではないと思い始めた。企業の適性検査を通して自分の回答から傾向をとらえてみる。 気づいた。 私は「扱いづらいタイプ」だ。 今までの短い人生を振り返っ
将来の夢は旅人である。 しがらみから解放されて、世界中を自由に旅したい。 異国の土地を訪れて、全身で異文化を感じたい。 そのために実現させなければいけない社会がある。 それは、「伝統と革新が融合する社会」である。 どちらか一方ではない。「融合」である。 技術の進歩によって世界はどんどん便利になっている。 人類の探究心は底が知れない。世界中を自由に飛び回れる日が来るだろう。 しかし、文化はどうだろうか。 グローバル化により世界基準が可視化された。 時代遅れの文化は、希