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結婚願望しかなかった私

きっとどこかに家を出たいとか
若いママになりたいとか
何かしら私を変えるツールの一つとして
結婚をイメージしていた中学生の私。

3人兄弟の長女として、
とにかく私には厳しく躾をしていたようですが
発達障害(37歳の時に認定されましたが)だった為
言われた通りに動く自分で居たし、
他人に愛情を注がれる事が本当に嬉しかった。

常に私は、
2人のお手本になりなさい。

と言われ続けていた事はよく覚えてます。

良いお姉ちゃんでいる事。

その良いというのは、

世間体の良い。

私の感情、意見よりも、周りがどう思うか。
コレを常に一番に考えて生きていたので
今自由に自分で全て決めて良い状況になって
残念ながら本当に苦労してます。

私の息子には絶対こんな思考になってほしくない。
常に自分で考え、行動をして欲しいと
幼少期から伝え続けている唯一のこと。

ママはママの人生の主役で、
君は君の人生の主役だから、
ママは君の人生からしたらただの脇役で
サポートできるうちはさせてもらう立場。
だから自分で良いと思った事はやりなさい。

習い事も強制したことはなく、
辞める時も本人が全て決めてきました。

やらされてる習い事は何一つ身にならない。

コレが私が今まで生きてきた中で
教訓になってることの一つなのかもしれない。

私に良かれと思ってレールを引いてくれている
のと同時に
母にとって自慢できたり、思い通りにに動く
ある意味所有物のような立ち位置だった。

その点妹、
弟は自由奔放に自分の人生を生きていて
不公平だなーと思うところはいくつもあった。

結婚をした事で親の支配下から離れることは
ありがたい経験だったが、
結果的に離婚目前の夫の支配下に置かれるありさま。

自分の人生好きに生きよう。
好きだと思う人と繋がっていれば良いや。

と思ったら、
今度は兄弟が私らしくない、
それは他に男がいるからだ。
と攻撃をする。

確かに以前、手を差し伸べてくれた男性が
いたのは確かだが、
プロポーズまでした彼は全てが公になった時
あっけなく掌を返した。

それからと言うもの、
愛だの恋だのどーでも良いし、
よくわからない感情だと言うことにも気づき
男の人と2人でいるとすぐに新しい男だの
とやかく言う人がちっぽけに見えてしまう。

それにそれをとやかく言われる筋合いもない。

私の人生、私が決めて歩いてるんだし。

親からも兄弟からも離れてみようと思う。

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