#95トイ・ストーリー4をみて、自己決定権と心理的安全性について考えてみた-なぜバズはウッディを迎えに行ったのか?-
こんにちは。3児ママのゆきです
先日、子供とトイストーリー4を見て、 着想的に考えたことを書きます。
※トイストーリー4のネタバレを含みます。まだ 視聴していない方はここから先は読まないことをおすすめします
トイ・ストーリー4を見て考えたこと
ウッディ、バズのお迎えを断る
トイストーリー4では、物語の最後でウッディが「不特定多数の子供たちに遊ばれるおもちゃ」になるか、「ボニー(少女)のおもちゃ」に戻るか選択する場面があります。
そこでウッディは、 「不特定多数の子供たちに遊ばれるおもちゃ」になることを決意します。
私が注目したのは、ウッディの選択ではなく、選択した場面です。
とあるアクシデントで、ウッディは他のボー(子供)のおもちゃとはぐれてしまい、最後わざわざ 、バズがウッディのことを 迎えに来ます。
ウッディのことを迎えに行くために、他のおもちゃたちが奮闘します。いろいろ頑張って わざわざウッディを迎えに来たのに、ウッディはバズとともに行くのを断って自由なおもちゃになることを選びます。
昔の私「断るなら、わざわざウッディを迎えに行った意味ないじゃん」
ウッディのことを迎えに行くために、他のおもちゃたちが奮闘します。いろいろ頑張って やっとこさウッディと合流できたんです。
わざわざウッディを迎えに来たのに、ウッディはバズとともに行くのを断って自由なおもちゃになることを選びます。
「いや あんなに頑張って迎えに行ったのに、迎えに来た意味ないじゃん」と前は思っていました。
今の私「どっちの選択もできる状況で、ウッディが自分で自分の道を選んだことに意味があるのかな」
でも、それは違うんじゃないかと 今回は思いました
「ボニーのおもちゃになる選択」も「みんなのおもちゃになる選択」も、どちらをとっても良いような心理的安全性が保たれた状態で、ウッディ自身がどちらかを決める(自己選択する)ことに価値があるんじゃないか、と 着想的に思いました。
心理的安全性とは、今Google が注目しているワードの1つで、どんな選択や振る舞いをしても批判されず、安心して過ごせるという環境のことです。
映画では、 ウッディが「不特定多数の子供たちに遊ばれるおもちゃ」を選択しても、バスなどボニーのおもちゃたちはその選択を責めたりせず 、優しくハグをして送り出しました。
また 、もしウッディが ボニーのおもちゃとして残るという選択をしたとしても おそらく、ボーはその選択を応援したじゃないかなと思います。
どちらを選択しても応援してくれる環境、 つまり 心理的安全性が保たれた環境を作ることが大事なんじゃないかと思いました。
バスたちは頑張って来た迎えの車にウッディは乗らなかった。「じゃあ 、迎えに行かなきゃよかったじゃないか。 無駄だったじゃないか」と昔の私は思っていました。
けれど、迎えに行ったのは、は無駄ではなく どちらを選んでもいいという環境を作るという面で大切なこと なんじゃないかなと思いました。
そして、ウッディが自分で将来を決めたこと、 つまり自己決定したことが、 ウッディの幸せにつながってるんじゃないかと思いました。
自己決定権と幸福感については、「自分で決める場面が多いほど、幸福なんじゃないか」とvoicy での もときょうこさんが語っていました。日本のサラリーマンは自己決定券 自己決定する場が少ない現状があります。
自分に活かすには
自分編:色々あがいてみる。やってみる
自分で決めて、やってみる。
やる前から「どうせやっても続かないし。」と言って、諦めることがあるが、とりあえずやってみることが大事なのかなと感じた。
やってみて、うまくいかなくても、やってみたことに関しては納得して次に進めるんじゃないのかな。と思う。
昔は途中でやめたら意味ないと思ってたけど、今は途中でやめてもよい。と思ってる。
例えば、ギターをやりたいとずっと思っているよりも、やってみて私に合わないとわかれば、納得して次に進める。いつまでも「ギターやっておけばよかった。。。」とうじうじ悩まずに、納得して次に進めるのかな。
子育て編:心理的安全性を確保する
子育ては、心理的安全性のもとで自己決定できる場を準備してあげる。
例えば、子育て中の習い事。
子供がプールに行きたいと言って、家から通えるプール教室探して、体験して、入会金払って、習い事をスタートした。なのに、数回行っただけで、何度も「プール行きたくない」って言われたら、親としては、せっかくここまでしてあげたのに。って思ってしまう。
だけど、「心理的安全性がある場所で自己決定する環境を整えてあげたんだ!」と自分に言い聞かせるようにしようかな。
そうすれば、頑張りも少しは報われるかな。って思った。
あとは、AとBの2つの選択肢があったとき。
親の私から見たら明らかにAがよいと思っても、子供が「Bがいい」と言ったら、子どもの選択を尊重してあげられるようになりたい(実際、子育てしてるとめっちゃ難しいけど。。。)
もしBを選んでうまくいかなかったとしても、「やっぱり私がいいと思ったAにしとけばよかったのに」と思わずに、
「自分で決めて、失敗する経験ができたからよかった」と思えるようになりたいな。
誰の役に立つかわからないですが、
そう思ったことをかいておきたくて、書いてみました。