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いつもを知らない

珍しく電車に乗った。
駅もホームも電車内もなかなかの混雑だ。
人出はすっかり以前に戻っように感じる。

電車が停まり、扉が開き、
電車内に乗り込んで
反対側の扉の近くまで進むと、
扉の横には座席が取り付けられていなかった。
車両の端っこにあるその場所は、
車椅子やベビーカーの人が
優先して使えるスペースになっているようだ。

そのスペースを一人陣取る女性が立っている。
背は高くもなく低くもない。
コートを着ていてはっきりとはわからないが
太ってもなく痩せてもいない。
髪は肩上のボブ。
顔立ちはマスクをしていても
派手でも地味でもないとわかる。
要するに際立った特徴のない女性だ。

しかし他の人と違ったのは、
女性は眉間に皺を思い切り寄せて
電車内をこれでもかと睨みつけていたことだ。
何かお気に召さないことがあるのなら
端っこへ行って全てから背を向けて
窓の外でも眺めていればいいのに、
女性は電車内の人間を
見逃してたまるかと言うように
歯を食いしばって威嚇してくる。

誰も態度には出していないが、
睨まれるのは気分が悪いため
乗客は一様に女性から距離を取る。
よって女性の周りは
平日午後のそれなりに混んでいる
時間帯だと言うのに空間ができていた。

推測するに、
女性は他人と密になるのが嫌だったのだろう。
自分以外の人間はウィルス同等の存在でしかなく、
でも電車を利用しないという選択肢もなく、
実に身勝手な振る舞いだった。

こういう時思うのが、
こうした人はいつも電車を
利用している人なのかどうかということ。
恐らく私と同じくたまにしか使わない人だと思う。
なぜならいつも使っている人ならば
うんざりすることはあっても
そこには諦めができていると思う。

つまり「いつも」の状態を知らないのだから
密だ、あっち行けというのは
短絡的で乱暴な思想だと思う。

例えば過去に
子どもがまだ幼稚園児の頃、
出掛けて帰りがすっかり遅くなってしまったことがあった。
電車に揺られながらその場に居合わせた人々に
心の中で言い訳をしていた。
——今日は特別、たまたまなんです
——いつもはこんな時間に出歩いたりしません
子連れで夜(と言っても19時過ぎ頃だったと思う)に
出歩いてはいけないルールなどないが、
子どもは早くに寝たほうがいいのは事実だ。
そしてそうした母親を非難する大人がいることは現実だ。

ようやく最寄り駅まで到着し
自宅までの暗くなった道を歩き
信号待ちをしている時だった。
交差する横断歩道を
子連れの一家が横切っていった。
とても楽しそうで大きな声で笑っていた。
その時私は咄嗟に
——こんな時間に子連れであんなに楽しそうにしている
と思った。
自分と何が違うのか。
側から見れば私もその家族も大差ない。
同じことをしているのに、
自分の心に中に今日は特別だから
という気持ちがあったがために
自分は違う、許容されるのだと思っていた。

今思うととても恥ずかしい話なのだけど、
しばらくしてようやく気付くことができた。
恥ずかしい考えだったこと、
私は「いつも」を知らない
その時間帯の「部外者」だったことを。

それ以降違和感を見かけても
私が「たまたま」居合わせた側なんだから
あれこれ言う立場じゃないと
自身に言い聞かせるようになった。

自分の人生は自分のもので
自分が主役だけれど、
社会の中では私はただの一部に過ぎない。
私は世界の中心ではないのだ。
だから謙虚に生きないといけないなと思っている。

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