見出し画像

むなしさの源泉を辿る旅①

 とてつもないむなしさがこみ上げてくることがある。

 それは気がかりなことがあるときだけじゃなくて、前触れなく突然やってくることがある。いつもこれってなんなんだと思っていたけど、むなしさなのかもしれない、と今ふと思った。

 例えば本屋にいるとき、ふとその存在に気づいてしまう。胃のあたりが、ぎゅっと縮むような、ぷおーっと膨張するような、なんともいえない存在感を放っていることに気づいてしまう。するといてもたってもいられなくなって、本屋にさえ集中できなくなる。原因を探すけれど見つからない。どんどん泣きたくなってくる。しかし泣く理由がみつからない。ああいま、わんわん泣けたらどんなにいいだろうと思う。けれどそんなときは、ただ耐える。気分を上げようとか、なんとか解消しようとしても無駄だから、ただ耐えて、なるべく普通に生活する。すると、やがてそのことを忘れている。

 この感じを自分の中では「うつっぽい」と呼んでいる。もう20年くらいまえ、うつ病を患っていたとき、この気分がいつもそこにいた。それから20年、いつもじゃないけど、この「うつっぽさ」はたびたびやってきた。これが一般的な「うつっぽい感覚」なのかはわからないし、そもそもうつ病とは一体なんだったんだかいまだによくわかっていない。自分がほんとうにほんとうにうつ病だったのか、だとしたらそれが今治ったのか、まだそうなのか、うまく付き合っているだけなのか、それもよくわからない。

 20年前、うつ病と診断されたとき、クリニックの門を叩いておいてなんだけどわたしがうつ病だなんておこがましいんじゃないかと思った。もしかするとこの程度の苦しみは誰でも日常的に感じていることなのに、テーブルの角に小指をぶつけてあまりにも痛いから救急車を呼んだような、大げさで迷惑な行為の可能性があるなと思った。だいたい、理由がない。うつ病のひとたちが言っているような、過酷な、つらい、自分ではどうにもできない、誰が聞いてもかわいそうな理由がない。それなのに勝手に死にたくなるなんて、甘えているといって怒られるに違いない。わたしはとても、うつ病なんて名乗れるような身分ではないのだ。まあなんか、そんな風に思っていた。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?