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公務員から公務員への転職

現在約10年ほど教員をしていますが、実は教員になる前は地方自治体の行政職員として正規雇用で働いていました。公務員から教員へという仕事の変化が「転職」と言えるのかという疑問はありますが、私の人生を大きく変えた出来事なので、体験記として書いてみたいと思います。

新卒で自治体職員に

1年目 国民健康保険・国民年金係

地元に貢献したい、できたら教育に携わりたいと思っていた私ですが、1年目の配属は国保・年金係。まったく知識のない中で、分厚い本や法令集で制度を学ぶところからのスタートでした。最初の頃は、先輩の後ろについて窓口業務を学び、申請書類のチェックをし、徐々に自分一人でも窓口対応ができるようになっていきました。国保や年金の仕組みは、自分の人生においても知っておいて損はない内容だったので、とても勉強になりました。職場の人間関係も良好で、飲み会係も仰せつかり、楽しく毎日を過ごしていました。

2年目 後期高齢者・公費医療係

楽しい新人生活を送っていた私でしたが、2年目に課の中での配置換えがあり、隣りの係に異動をすることに!もちろん関連のある仕事ではありましたが、1年では仕事を覚えただけだった私は、「なんで~!」となったのを覚えています。とはいえ、仕事を覚えていかなければなりません。75歳以上の方の医療のこと、公費で負担できる医療のことを知り、窓口で説明できるように精進しました。相変わらず、課や係の方は温かく、人間関係に悩むことはありませんでした。

突然訪れた転機

バレーの試合でアキレス腱断裂

社会人生活2年目24歳の誕生日の翌日。地域のバレーボール大会に出場した私は、経験者ということもあり、全力でプレーしていました。アタッカーとしてひたすら跳び、打ち…いよいよ決勝戦!気合も一段と入ります!そんなとき「バチン!」足に何かがぶつかった感覚。後ろを振り返るも何もありません。と同時に激痛が!「今のは切れたね~」冷静な審判。人生で初めて救急車で運ばれました。見事なアキレス腱断裂でした。手術が必要なこと。3週間の入院に加え、退院後もリハビリにも通わなければならないことが明らかになりました。

長い入院生活

実家の近くの病院に入院し、職場の方や友人がお見舞いに来てくれました。足が固定されているので、移動は車いすで、不便な生活が続きました。となると必然的にベッドの上で天井を眺めて過ごすことが多くなります。24歳になったばかりだった私は、「なぜ今このタイミングでアキレス腱が切れたのか」を考えていました。
「もしかして、20代前半のうちに一度立ち止まって考えろということかな」「このまま今の職場で定年まで働き続ける人生にまったをかけたのかな」
「そもそも私の夢ってなんだっけ?」というような形で。
そして、思い出したのです。
「私、先生になりたかったんだ」と。
「やっぱり教育に携わりたい!先生してみたい!」と。

病室にて試験勉強開始

一念発起した私は、さっそく母に問題集を指定して買ってきてもらい、病室で勉強を開始しました。入院時点で10月。翌年の採用試験は7月。仕事をしながらの勉強になるので、とにかく早めに対策しなければと思いました。お見舞いやリハビリの時間以外は、勉強を黙々と進めました。

退院後、試験対策講座へ

アキレス腱の調子がよくなってからは、平日は仕事をして土日は講座に通うという生活を送りました。職場の人には内緒の挑戦でしたので、仕事に穴をあけるわけにはいきません。残業がある日や職場の行事には、顔を出しつつ試験対策を行っていました。何としても1発合格をしなければと必死でした。

まさかの激務部署への異動

3年目 財政課

教員を目指していることを隠している中、3年目の私にまさかの異動が!自治体の中枢を担う部署「財政課」への異動でした。毎年、仕事内容が変わるという状況に置かれた私は、1年間で覚えた仕事を特に発展させられないまま、また新たな仕事に従事することになったのです。しかも財政課は6月に残業続きになるということが判明し、教員採用試験直前期に勉強ができなくなるかもしれないという非常に厳しい状況に置かれました。

職場への未練の喪失

しかし、繰り返される異動のおかげで(?)職場への未練が一切なくなったことは、教員になるという想いを強くしたので結果的に良かったと感じています。仕事と勉強の両立の日々の中で、絶対に一回で受かってやるという気持ちが強くなっていきました。

1次試験合格と上司への報告

激務との両立に苦しんだ夏。1次試験が行われ、奇跡的に合格することができました。2次試験は、面接。面接では、今の職場を辞めることについても聞かれるだろうと思い、直属の上司には試験のことを話すことにしました。
「実は教員を目指しています。1次試験は合格し、2次試験合格したら退職します。」と伝えると、
「すごいね~!自分もあと10歳若かったら、違う仕事への挑戦も考えてたよ!応援するから頑張れ!」と言ってもらいました。

2次試験合格と退職への道

面接ではやはり今の職場のことを聞かれ、「応援してもらっています」と堂々と語った私は、無事に2次試験を突破しました。いよいよ4月からは、新たな道ということで、人事担当の方や首長に退職する旨を伝えました。皆さんの反応としては、「もったいないな~」という声よりも「すごいよ!さすがだね~!頑張れ!」という声が圧倒的に多かったので、つくづく私は人間関係に恵まれているのだと感じました。

25歳新人教員デビュー

新人だけど新卒じゃない

教員というと、講師経験がある方も多く、全くの新人として初任校に配属された私は、社会人経験新人という珍しいパターンの教員という認識をされました。新卒ではないので、ビジネスマナーなどは比較的身についていましたが、学校現場は初めてということで、最初はとまどいもありました。

前職の経験が生きる場所

でもそんな中、自治体職員を3年してきたことが役立つ場面がありました。それは「生きた教材」と「保護者対応」です。「生きた教材」というのは、私が前職で行ってきた仕事内容です。健康保険や年金という人の暮らしにかかわる分野の専門知識があったので、生徒により実用的な話ができたのはよかったと思っています。「保護者対応」については、窓口業務を担当していたこともあり、「積極的傾聴」が基本的に身についていたため、相手の気持ちをひたすら受容するという姿勢をとることができたと思っています。

転職の経験を振り返って

「今だ」と思ったら即行動!

アキレス腱を切って病室で勉強を始めた私のように、何か転機だと思うようなことがあったら、考える前にまず「行動」してみることは大事だと思います。。行動にもいろいろあるので、自分がどのような行動をするとその転機を乗り越えられるかも考えつつ行動していくと良いと思います。

転職をプラスに捉える人は意外と多い

転職を伝えたときの上司や同僚の反応からわかるように、思った以上に転職は周りに応援してもらえるのだと分かりました。「私はそんな勇気がないよ」と転職のハードルをとても高いものだと認識している人も多いのかもしれません。私も今後転職の相談などを受けたときには、プラスの認識をもつものとして、本人の意思確認などもしつつ、最終的には応援できる人でありたいと考えています。

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