【育児】娘のカメラのデータがとんだ日
6歳の娘は、3年ほど前にサンタさんからもらったキッズカメラを愛用している。最近のキッズカメラは、SDカードもついていて、写真だけでなく動画まで撮れる優れものである。様々なフレームも内蔵されており、一風変わった写真を撮ることもできる。
それだけ気に入っているので、外出時にも持っていく。今日は、親戚の集まりにカメラを持って行った。それだけ、魅力的なおもちゃを他の子がほっておくわけもなく…。貸して貸して~と娘の手を離れて色んな人が遊んでいた。
そんな中、「これなに~?」親戚の子が見せてきた画面には、『データがありません』の文字。「あっちゃー」と思った。娘にはその場で「実は…データが消えちゃったみたい」と伝えた。すると…
みるみるうちに目が涙でいっぱいに…
みているこっちのほうがつらかった…
でも、誰も悪くない。むしろ、そんなに大事なもの、操作方法が分かりにくいものを持参してた自己責任だと思う。でも、そんなことより、娘が一生懸命に撮ってきた写真が大量に消えたということがすごく切なかった。
ああ…このまま泣き続けるのかな。どうやってなだめるかな…。と思っていた。
が、すぐ泣き止んだ。ダーッと涙を流したあとは、スンッとなってまた別の遊びをし始めた。あれ…?
もう忘れたのかな…?とも思ったが、またカメラを触ろうとした親戚の子に「そういうふうにしたら、また消えちゃうよ~」と明るく声をかけていたので、覚えてはいるのだろう。それにしても華麗なる切り替えだと思った。
そして、娘は新たにパシャパシャと写真を撮り始めた。親の私のほうはまだちょっと引きずっていたというのに…。
おそらく娘は「写真を撮ること」自体が好きなのであり、「写真を収集すること」「写真を見返すこと」はそこまで重要ではないのだと感じた。
「写真が消えた」という出来事を通して、娘が大事にしていること・好きなことを確認することができた。また、私自身の「写真を収集して、見返す」ということに対する執着にも気づかされた。そりゃ、子どものアルバム整理を頑張っちゃうはずだよねー。
それともう一つ考えたのは、「この出来事は誰の課題か」ということ。「娘のカメラのデータが消えた」のは娘の課題であったのに、危うく私の課題(「データが消えてしまって悲しいはず。大丈夫かな?心配だ。」)にしてしまうところだった。危ない危ない。この前知ったばかりのアドラー心理学の「課題の分離」が思わぬところで役に立った。
結局何が言いたいかというと、
①私なら結構引きずる出来事を、さらっと乗り越えた(気にしなかった)娘の姿に感動したってこと。
②親子でも価値観は違うんだから、こちらのものさしで判断しちゃ駄目だなってこと。
子育ても日々学びがある。面白い!
追記
結局データは、復元できることに。
半分以上が「忍たま乱太郎」や「いないいないばあ」のテレビ画面だったとさ。おしまい。
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