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【短編小説】Summer CherryBlossom Diver

この短編は、下記のお話の前日譚となります。
主人子桜子の誕生日1週間前に捧げます…。


あたしの "桜子" という名前は、決して桜咲き誇る春に生まれたから付けられたわけではない。

ということを最初に断っておく必要がある。

誕生日は7月14日。
フランス革命記念日でもあるが、残念ながらフランスには縁もゆかりもない。

小学生の頃、毎月1日にその月の誕生日の子を祝うちょっとしたイベントが夕礼の時間にあったのだが、たいてい「えっ、今月? 桜子なのに!?」とよく揶揄からかわれた。

母親曰く

「だって待望の女の子だったし…桜子って可憐で可愛らしいでしょ? 夏生まれだから夏子ちゃんとかなんてちょっと…ひねりもないし…」

とのこと。

ひねり。
必要だった、それ?

そのお陰もあってか、あたしは見事に「ひねくれ者」として順調に育っている、と思う。

* * *

この春、ついに中学3年生となった。

あたしは両親と祖母、3つ上の兄と3つ下の弟の6人家族が3LDKの狭い集合住宅で暮らしている。
両親の部屋と男兄弟の部屋、あたしはお祖母ちゃんと同じ部屋。
プライベートもへったくれもありゃしない。

女子の中では身長もまぁ高めの159cmで、陸上部に所属している。短距離走者スプリンターとして県大会にも出た。
背が高いせいもあって、陸上部とはいえ髪を短くしていると女の子に人気が出そうな気配があったので髪は伸ばしている。
まぁ出来れば…男子からの人気が欲しいからだけど、現実は甘くない。

勉強は出来なくはないけど好きじゃない。大体試験前に必死になって乗り切るタイプ。

中2の三学期修了時、期末テストの成績を見て母がため息をついて言った。

「お兄ちゃんはいい高校に行ったのだから、桜子も頑張ってその後を追い駆けて欲しんだけどねぇ」

兄貴は確かに成績優秀で、県内で最もレベルが高く進学校としても名を馳せている県立高校に通っている。
貧乏暮らしなので、子供たちはいい大学を出ていい会社に就職して、お金に困らないようにして欲しい、という両親の思いがあるらしい。

ただ兄弟も3人だから、親孝行のために私立ではなく公立に行ってくれ、とも母は言った。

対してお祖母ちゃんは「女の子なんだから別にそこまでして進学しなくても。学業は男どもに任せて、桜子はすぐに働きに出たらいいじゃないの」と言う。
さすがはお祖母ちゃん、考えが古い。

正直あまりすぐに働きたくないなと思っているので、出来れば大学は行きたいと思っていた。
理由が就職したくないから、なんて怒られそうだけど。

なるべくお金を掛けずにいい学校に入っていい会社に就職するには…、必然と高校も大学も国公立を目指すことになる。

とはいえあたしはまだ中学生なので、そんなに先の事はあまり考えられない。
ひとまず高校受験から私立高校の選択肢は外さなくてはならない。


3年生に上がってすぐに行われた進路指導。

「川嶋は勉強は出来なくはないのにムラ・・があるからな。試験で本領発揮出来ないことが多い。だからスポーツ推薦という手もあるぞ。陸上の成績を残してるからな」

これまでのあたしの成績表を見ながら新しい担任は言った。担任は2年の頃から英語を担当していた教師でもあるので、あたしがあまり勉強が好きではないことを知っている。
英語の成績は悪くはないのだけれどね。

「でも公立1本で行かないといけないんです」

学区制度が廃止になったとは言え、通学に何時間もかけるつもりはなかった。よほどのことがない限りは以前の学区制の範囲内でなんとなく選んでいる傾向があるように思われた。
あたしが住んでいるエリアでは県内トップの高校の次はガタッと偏差値が落ちた高校が数校並ぶ形で、バランスが悪かった。

「えっ、どうして。滑り止めもなしか」
「さすがに滑った時に高校浪人って訳にはいかないと思うので受けると思いますが、基本は公立に行けって言われてます」
「まぁそれだったら…○○北高校とか、川嶋だったら余裕で入れるだろうし、入った後も楽勝だろう。高校生活をエンジョイするにはいいんじゃないか」
「あー、それが…」

あたしが先生に志望校の名を告げると、先生は目を丸くした。

「お前、兄貴が○○高校だったな。そうか、そういうことか」

どういうことかあたしにはよくわからなかった。

「まぁ…頑張ればいけないこともないだろうけど、入った後が大変だぞ。兄貴を見ていればわかるだろうが」
「…」
「自分の志望か? 親の希望か?」
「…」
「ま、後者だろうな」

ため息をつきながら先生は言った。

「自分の進路、自分の人生だぞ、川嶋」
「本当はそうしたいですけど、お金を出すのは親なので…」
「お前にそんなしおらしいところがあったとはな。もっとわが道を突き進むやつかと思っていた。まぁいい。勉強は一生懸命するに越したことはないが、三者面談の時にでもじっくり話し合おう」

担任の先生は、いい先生だった。あたしのこと、よくわかっている。
結局あたしは自分の人生であるにも関わらず、親の言いなりになるしかなかったのだが。


「チェリー!」

廊下の向こうから仲良しの三香が駆け寄ってくる。3年になってクラスが離れてしまったのだ。
あ、あたしは "桜子" なので皆からは "チェリー" と呼ばれている。

「花見しに行こ!」

あたしは「うん」と答えて2人で校門を出た。


校内にも桜の木はあるが、少し離れたところにある大きな川沿いの桜並木が見事なので、そこまで行くことにした。

土手ではビニールシートを敷いて宴会を繰り広げる会社員や若い人たちの集団が見受けられた。

あたしたちはそんな光景も眺めながら途中のコンビニで買ったお菓子を食べながらゆっくり歩いた。

「いよいよ3年生になっちゃたねぇ」
「そうだね…」
「そしてチェリーの季節!」
「名前だけだと、ね…」
「なに、元気なくない? どうしたの、らしくないよ」
「バケラッタにさ、進学…ランク落とした方がいいんじゃないかって言われて」

バケラッタとは先に出てきた担任の英語教師のあだ名である。『オバケのQ太郎』に出てくるO次郎に似ているからそう呼ばれている。

「へぇ、それでチェリーはお兄ちゃんと同じ高校受験するの?」
「まだわかんない。でも多分無理だよね、○○高校って偏差値68あるじゃない?」
「兄弟特権とかないのかな」
「あるわけないよー」

あはは、と笑いながらも "もっとわが道を突き進むやつかと思っていた" という担任の言葉がいつまでも頭から離れなかった。

* * *

8月の太陽がぎらついている。

開け放した教室の窓からは蒸した風が吹き込む。みなプリントやうちわで扇ぎながら補習授業を受けている。古い校舎なので冷房設備が一部しか整っていないのだ。

校庭では夏休み中の部活動でサッカー部や陸上部が練習している。
もちろんあたしは陸上部を引退済みである。

ざぁ~っと、深緑の桜の木が風に煽られ音を立てた。

ぼんやりとそんな光景を眺めていると、先生の怒号が教卓から飛ぶ。

「川嶋!よそ見するな!」

ビクッとして正面に向き直る。

はぁ。全く、志望校が背伸び受験だから、余裕も何もなくて夏休みもこうして毎日学校に通って補講を受ける始末。
けれど家に居てもうるさい弟やお祖母ちゃんがいるから、マシと言えばマシかもしれない。

とはいえ、この補講授業がどれだけ頭に入っているのやら…。

補講が終わり廊下に出ると、隣のクラスから三香もちょうど出て来たところだった。

「今日はあっついね! アイス食べて帰らない?」
「うん、食べよう」

昇降口を出て正門から出ようとすると、三香が校庭の隅を見て「あ」と小さく声を挙げた。

「なに? どうしたの?」
「あいつね、同じクラスなんだけど」

三香は私の耳に口を寄せ、ヒソヒソと話す。

三香の視線の先を見ると、道着を着た男子生徒が袴に手を入れて歩いているところだった。

「部活? 引退してないの?」
「してると思うけど、続けてるみたいね。あいつめちゃくちゃ頭良くて。普段は大人しい奴なんだけどさ、この前先生が『野島は○○高校受けるんだぞ』って皆の前で話しちゃった時があってさ。あいつめちゃくちゃ冷静に怒ったんだよね。みんなシーンとなっちゃって、先生もタジタジしちゃって」
「へぇー、そうなんだ?」

あまり顔はよく見えず、校舎の中に入ってしまった。あたしが必死になって勉強して受けようとしている高校を、補講も受けず部活を継続させて余裕綽々で受験しようとしている…嫌味な奴だな、と思った。

「お父さんが議員やってて、お金持ちでもあるんだよね」
「あー、彼がそいつなのね。議員の息子がいるって聞いたことあるわ。ますます嫌味な」
「ますます?」
「あ、何でもない…」

世の中いろいろ不公平だよね、と三香はため息をついた。

入道雲に見下されながら、あたしたちは学校近くの駄菓子屋でアイスを買って、河原に向かって歩きながら食べた。

土手沿いには桜の木々が青々とさざめいてる。

木陰で並んで座り陽を避けながら、アイスの後の甘くなった口を冷たいお茶で流した。

三香はたぶん、無理しないレベルの高校を受験するんだと思う。だからか、あたしより余裕があるように見える。羨ましいなと思う。

特に行きたいわけでもないのに目指さざるを得ない高校。
補講なぞ受けずともその高校に入れそうな奴。
春生まれでもないのに桜子と名付けられたあたし…。

世の中、思い通りにはなかなかならないもんだ。

「三香はいいよね。高校も自分の志望通りに行けそうだし。なんであたし、こんな窮屈なんだろう。親はうるさいしお祖母ちゃんも反対意見ばっかだし、家も人が多くてわちゃわちゃしてて落ち着かないし。あ~ぁ、早く大人になって家を出たいなぁ~」

三香は黙って遠くを見つめたかと思うと、スクっと立ち上がり言った。

「泳いじゃいますか!」
「…は?」

三香は川を見つめ、ぐっと拳に力を入れた。

「…とはいえ、川は…あれか…」

と独り言のように呟くと

「よし。移動しよ!」

あたしの手を取って強引にあるき出した。

「えっ? ちょっ…どこ行くの?」

三香は答えもせずグングン歩いて行く。

もう日がだいぶ傾いている。

たどり着いたのは学校だ。舞い戻ってきた形だ。
部活もほとんど終わっていて、校庭にはグラウンドを整備する数人のサッカー部が残っているくらいだった。

三香はあたしの手を引いたままプールへ向かっていく。

「まさかプールで…泳ぐってこと? あたし水着持ってないよ」
「あたしも!」

三香はカバンをプールサイドに放り投げると金網をよじ登りだした。

「ほら、チェリーも来て!」
「えっ。だからさ」

三香は口をへの字に曲げると、プールの奥へ向かって行ってしまう。
仕方なくあたしも同じようにカバンを放り投げ、金網を超えて中に入った。

水泳部の活動もとっくに終わって、ひっそりとしていた。
夏の宵の口のプールはなんだか不思議な気持ちになる。

三香は靴と靴下を脱いでプールサイドに腰掛け、ジャバジャバと足を浸している。

「ぬっる! あんまり気持ちよくないけど…、ほら、チェリーも早く!」
「あ、足浸かるだけね…。泳ぐとか言うから焦ったわ…」

そう言ってあたしも靴と靴下を脱いでプールに足を入れた。

「確かに思ったよりぬるい!」
「じゃ、入っちゃいますか」

突然三香がシャツを脱ぎスカートを脱いで下着だけになると、足からプールに飛び込んだ。

「えっ? な、何?」

平泳ぎでプールの真ん中まで泳いでいく。

「うそ! ちょっと待って…」

「チェリーも早くおいでよ~!」
「ほ、本気なの!?」

下着ですよ。
誰か来たらどうするの。
男子とか、先生とか!

戸惑っていると三香は平泳ぎで近づき、あろうことかあたしの足を引っ張った。

「うっそ! ちょ…っ!!」

あたしは下着姿にはならなかったものの、制服ごとプールの中へ。

「ぷはっ! ちょっと…」

顔を上げると、三香はキャハハ! とはしゃいでいる。
暑さと受験勉強で気でもおかしくなったか。

「たまにはいいでしょう、こういうのも」
「いいって…、あたし制服のままだよ!?」
「まぁまぁ。どうせ濡れるなら派手に」

言ってる意味がわからないと思っていると、少しだけ三香が真面目な顔をした。

「ほら、何だかんだ色々あるし、私たち無力だし。お金持ちで頭も良くて特にガツガツ勉強しなくてもいいようなやつもいればさ、チェリーみたいに親がうるさい人もいれば、うちみたいに何も期待してくれない親もいるし」
「三香…」
「いいとこなんて行く必要ない。適当に進学して早く就職して、家にお金を入れてくれ、だってさ」
「うちのお祖母ちゃんと同じこと言ってる」

両手でバシャバシャと水を大きくかきながら三香は言った。

「私はチェリーの両親、ちょっと羨ましい。特にお母さん。夏生まれなのに "桜子" とか名前つけちゃうのってなんかいいなって」
「おかしいだけでしょ」
「普通やらないことをやっちゃうからいいのよ」
「普通の方がいいよ」
「そういう風に私たち、結局ないものねだりなのよね」

再び三香がふっと遠くを見る。頭上には既に夏の星空が瞬きだしている。

「仕方ないよね。私たちまだ子供なんだから。親も選べない。でも将来まで決められるのはどうかと思うよね」

三香は三香で、火がつくようなモチベーションを持つことが出来ないのだと思った。

「だからたまにはこうして丸ごと水に流しちゃいましょう、って思って…って別に流してるわけじゃないか。浮かんでるだけだね」

そう言って三香は大きな声で笑った。

「まさか制服のまま浮かぶとは思わなかったけどね!」

なんだかあたしも愉快になってきて、一度上がってシャツとスカートを脱ぎ、飛び込み台から思いっきりダイブした。
飛沫しぶきを上げ、プールの底から見上げた空は黒に近づく蒼。

ぶくぶくぼこぼこ、と心地よい水の音。

そして2人で下着姿で25mをクロールで競争した。

* * *

びしょびしょのシャツとスカートを絞り、それでも濡れたままの制服を着、心地よい疲労感に2人して笑った。

「まさに頭を冷やした所で、ぼちぼち帰りますか」

おどけるように三香が言う。どうにでもなれ、とあたしも爽快な気持ちだった。

雫を落としながら校庭を横切っていると、昇降口から長い棒のような物を手にした人が出てきて、あたしと三香はビクッと身構えた。
プールで騒いでいたのに対して怒られるのかと思ったのだ。

けれど。

「あ、なんだ野島くんか」

三香が呟く。さっき話していた議員の息子だった。手にしていたのは弓だ。
目が合った彼はびしょ濡れのあたしたちを見て目を丸くして立ち止まった。

「しーっ。内緒ね!」

三香が彼に向かって人差し指を口前に立てると、彼は呆気にとられたままうんともすんとも言わなかった。
あたしたちはクスクス笑って走って校門を出た。


見上げると満月より少し欠けた月。

くーだらねぇーとー つーぶやいてー さめたーつらーしてあるーくー
『今宵の月のように』 エレファントカシマシ/宮本浩次

突然三香が大きな声で歌い出す。あたしも続きを歌った。

いーつのひかー かがーやくだろぅー あふーれるーあつーいなーみだー
『今宵の月のように』 エレファントカシマシ/宮本浩次

あたしも負けないくらい大きな声で歌った。歌声はまるで十六夜の月が吸い込んで行くようだった。

あぁ、なんていい歌なんだろう。なんて今のあたしたちにぴったりなんだろう。
あたしも三香もいつか、自分の手足で水を掻いて、自由に泳ぎ回れるようになって、自分の目指すゴールにたどり着くんだ。

そしてこの歌みたいに、輝くんだ。

本当に良い夜。強くなれる気がする。何も怖くない気がする。水に洗われたのかな。

家に着くまで2人で『今宵の月のように』を大合唱して帰った。

こんな夏の夜のプチダイビングはとても愉快だけれどどこか朧げで、不思議な輪郭を伴った。

三香、ありがとう。



このあと家に帰って、びしょ濡れだし絞ったスカートはしわくちゃだしで、こっぴどく怒られたことは言うまでもない。





END

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