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【連載小説】あおい みどり #19

このお話はフィクションであり、病状・医師やカウンセラーの対応については物語の進行上、事実と異なる場合があります。予めご了承ください。

~ 蒼


俺は南條に会うためにクリニックに向かった。しかし駐輪場に彼の自転車はない。
クリスマス・イヴの前日、土曜日の昼下がりだ。受付で南條はいるかと尋ねると、今日は学会で不在だという。どこでやっているのか尋ねると理由を訊かれた。

「僕はついこの間まで先生の元でカウンセリング受けてたんです」
「先生は今日訪ねて来られること、ご存知ですか」
「急なので…」
「先生に確認を取りましょうか。学会中なのですぐに連絡が取れるか…お名前は?」
「いえ、結構です」

俺は外に出て、スマホで学会の開催を調べてみたが、よくわからなかった。仕方なく翠のフリをして南條にSMSを送ってみる。

どうして翠のフリをしたかというと、俺は既にクリスマスは会えないと断られていることと、2日前、翠は南條と電話越しにいい感じの夜を過ごしたからだ。翠なら反応するのではないか、と思った。若干悔しいことだが。

先生、今日はどちらにいらっしゃいますか?

しかし、なかなか返信は来なかった。すぐに移動できるように駅でじっと待つ。

やがて日が暮れ、商店街の灯りが眩しく点る。そういや俺は、クリスマスケーキなんて食べた記憶がないな…。
そんなことより…。

頼む。俺はもう一度、しっかりと伝えたいことがあるんだ。

足元の冷たさに足踏みをしていると、SMSの着信があった。南條からだ。

今日は学会で◯◯大学に行っていました。

都内の有名大学だ、と思った瞬間、次のメッセージの着信。

蒼さんですよね

え。どうしてわかるんだ? 俺何も言ってないぞ?
動揺していると電話が鳴った。南條から。

「…どうして俺だってわかった?」
『何となく、翠さんは "何しているんですか" なんてメッセージは送ってこないな、と思ったからです』

姿が見えなくても俺たちを判別するのか。とんでもない男だな、と思った。
同時に南條は翠のことが好きなんだろう、と感じた。

「南條さん。会いたいです。そっち、行ってもいいですか」
『蒼さん…』

全くもう、と言いたげなため息が漏れ聞こえる。呆れているんだろう。

「この前から何度もすみません。しかも一度…一度じゃないか。何度も振られているのに、性懲りもなくすみません。この前は中途半端に終っちゃって…もう一度どうしても会いたくて。蒼として」
『今でなくても、会うことは出来ますよ』
「俺、覚悟を決めて来ているんだ」
『覚悟?』

鼓動が速くなる。南條が少し動揺している様子が伝わる。

『覚悟とは…どういう意味ですか』
「…」

そして小さく、ため息が聞こえた。

『今…どちらにいますか? 僕が行きます。自転車なので少し時間がかかるかもしれませんが』

俺は今住んでいる場所の最寄り駅を告げ、南條は『向かいます』と言って電話を切った。



相変わらずダサいヘルメット、ネックウォーマー、ショート丈のダッフルコート、その襟元から覗くピンク系チェック柄のネクタイ、キャメル色のコーデュロイパンツの裾には車輪巻き込み防止のバンドが巻かれている。チョコレートブラウンのスゥエード調のスニーカー、パンツと同じ色の革の手袋。

俺に近づくと自転車から降りて、少し困ったような笑顔を俺に向けた。俺は頭を下げる。

「…どこか入りますか?」

南條の問いかけに俺は首を横に振った。

「中だとちょっと…。近くに公園があるので、そこまで歩きながらでいいです」

南條は頷き、自転車を押しながら俺の隣を歩いた。

「忙しい所すみません。俺、事あるごとに迷惑かけて来て」

歩きながら毎度の非礼を詫びた。

「迷惑なんて思ってませんよ」
「それは精神科医だから、よくある事だと?」
「まぁ、ある程度経験と耐性はありますから」
「この前は警戒したでしょう」

そう言うと愛想笑いのように口角を少しだけ上げた。

「蒼さん、覚悟とは、どういうことですか」
「南條さん、翠のことが好きですよね」

その言葉に南條は僅かに身体を強張らせた、ように見えた。

「図星ですか」
「…」
「翠が南條さんのこと好きなのはわかってますよね」
「…はい」

南條はとても慎重に、はっきりとYesと言った。意識の奥の翠も息を呑む。
どことなく、僕もそうだと肯定しているようにも聞こえた。

駅から少し離れた場所にある公園は、もう遊んでいる人など誰もいない。中程のベンチに腰を下ろす。通りを行き交う人達が街の灯を背景に影絵のように行き交う。

「この前南條さんが俺に話してくれたこと…。あの話を聞いて俺、あんたのことすごくすごく、ものすごく愛しくなって。なんていうか、守りたいような。未熟な俺が言うのもおこがましいけど」

南條は黙り込む。俺も様子を伺う。
やがて彼は俺の目を見ないままこう言った。

「蒼さん…それでもあなたは僕の全てを知っているわけじゃない」
「それが何だよ… 全てを知らなきゃ好きになったらいけないのか」
「…」
「じゃあ訊くけど、南條さんは手を出した患者の、全てを知っていたのか?」

南條は顔を歪めて逸らした。同時に翠の声がする。

ー ちょっと!南條先生を困らせない約束でしょ!? あんただって死んだ人のこと引き合いにして、人のこと言えないじゃん!
ー うるせぇ! いま大事なとこなんだから黙っとけよ!

「南條さん。俺たち・・・はあなたのことが好きだ」

黙り込む南條に俺は続けた。

「そしてあなたは翠の事が好きだ。でも戸惑っている。過去の件があるから。そして他人格の男から愛されてることにも。それは翠のようで翠じゃない。だから、どうしたらいいかわからない」

その言葉に南條は唖然とした顔を俺に向けた。

「南條さん、恋愛には色んな形がある。決して両思いだけではない。片思いでも不倫でも同性でも、妄想でも勘違いでも恋愛は恋愛だ」
「…」
「でもさ、翠はまだいいよ。この身体の主だからな。矛盾がない。でも俺はただの人格だ。身体はどこまでいったって "借り物" だ。つまり俺がどんなに本気で好きになったところで、俺は…形にすることは出来ない」
「蒼さん、そんなことはない。蒼さんは確かに今、ここにいるじゃないですか」

俺は呆気と南條を見、やがて涙が溢れ出た。
彼は俺の肩にためらいがちに手を置き、ぎこちない笑顔を浮かべた。

「その言葉は…医者としてか?」

南條は何かを言いたそうにしたが、何とも言わない。

「それでもいい。こんな複雑な俺たちを知って、向き合ってくれた…南條さん…あなたを…愛したい。俺たち・・・はあなたの愛が欲しい。そして俺たちもあなたに愛を与えたい。俺も翠も、そう思ってる」
「蒼さん…」


俺たちー。
身体は1つ、心は2つ。
好きになったのは、同じ1人の人。


南條は複雑な表情で俺を見る。その頬に、俺の頭上に、雫があたる。雨だ。南條も空を見上げた。

「蒼さん、傘がないなら今日のところは帰りましょう。冷えると身体に悪い」

そう言いながら立ち上がる。

「いや、待ってくれ」

雨粒に目を細めながら、南條は俺をじっと見た。

「俺が言った覚悟というのは…この前中途半端に気を失ってしまったから、もう一度あなたに抱き締められたいと思って、それで来た。…でも今は少し違う」
「違う? 何がですか?」
「俺が抱き締めて欲しいんじゃない。俺たち・・・を抱き締めて欲しい」
「蒼さん…」
俺たち・・・のことをそのまま、ありのまま受け入れて欲しい。ありのまま愛して欲しいんだ。…南條さんだって本当は愛したいだろう? 翠のことをさ。俺は…もし抱き締めてもらえるなら…それが叶ったら俺はもう消えてもいい」
「どうしてそんな事言うんです」
「だって所詮この身体は翠のものだ。俺の望む身体じゃない。俺がどんなにあなたを好きでも、未来はない。だったら燃えて散るのがいい」
「蒼さん、あなたは消える必要はない」
「いいんだよ。南條さん、あなたの腕の中なら。翠が残ればそれでいいだろ」
「蒼さんが消えてしまったら、翠さんはまた一人ぼっちになってしまいます。翠さんにはあなたが必要なんです」
「俺なんかよりもっと、あなたのことが必要だと思うよ」

南條は唇を噛み締めた。

「蒼さん、それでもあなたは消えないでください」

南條はそう言って突然、正面から俺を抱き締めた。その腕にぐっと力が入る。

南條の肩越しに、影絵になった通りを行き交う人が滲む。傘を持たない人たちが逃げるように足早に行き交う。
冷たい雫を落とす黒い空に、白く熱い吐息が吸い込まれていく。けれどその呼吸も、すぐに苦しくなる。


「…なんて華奢な身体なんだ…これでは本当に折れてしまいそうじゃないか…。そしてこの身体は今、確実に蒼さんのものだ」

耳元でそんな南條の声がする。
熱い身体から伝わるのは電流のように俺の中を流れていく。
俺は気を失わないように、必死に考えた。


俺は消えてもいいくらいだけど、本当に消えるのかな。
翠。
俺、望みが叶ったんだけど。南條のやつ、叶えてくれたんだけど。
翠。
お前次第なんじゃないかな。南條はお前のこと好きなんだよ。
お前があと一歩、心を開いたら、全てが変わる。

聞いてんのかよ、翠。



愛にも色んな形がある。
誰かに蔑まれても、世間から後ろ指を刺されても、愛は愛だ。


精神科医とクライアントの、近親相姦のような禁忌でも、
愛は愛だ。
偽りはない。






#20(最終話)へつづく

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