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【連載小説】あなたに出逢いたかった #21

梨沙は恐る恐る電話に出た。

『午前中から出かけてるなんて珍しいな。俺のこと探していたみたいじゃないか。今どこにいるんだ?』

夏希から聞いたのだろう。梨沙は咄嗟に嘘がつけず「横浜」と答えてしまった。途端に遼太郎の声が曇る。

『横浜? 何しにそんなところにいるんだ?』
「と…友達と会ってる…」
『友達って?』
「…ベルリン留学時代の、同じギムナジウムに通ってた人が横浜にいて…」

自分が話題に上った康佑は黙ったまま自分で自分を指差し、目を丸くした。

『どうしてそんな所で会ってるんだ』

遼太郎は畳み掛けてくる。梨沙も緊張と焦りで心臓が激しく脈打った。

「横浜に住んでる人で、私、横浜行ったことなかったから、案内してって、お願いして…」

嘘はついていない。むしろ嘘がつけない。康佑は無言で頷いている。
遼太郎もしばらく黙っていたが、やがて『日が暮れないうちに帰ってこい』と言って電話を切った。
自分が昨日送っていたメッセージの "パパは昨日どこにいたの?" は訊きそびれてしまった。

「電話、誰だった?」
「パパ…」
「…梨沙の親父、やっぱめちゃめちゃ怖そうじゃん」
「どうして?」
「だって電話中ずっと梨沙、ビビった顔してたぞ。俺といるところ、めっちゃ怒ってるんじゃないの?」
「パパは君のこと、知らないよ」
「だって同じギムナジウムで横浜に住んでる知り合い、って話てたじゃないか」
「それが康佑だなんて話してない」

康佑は少し拍子抜けしたが、それでも梨沙の話中の表情はむしろ怯えており、それが少々気掛かりだった。

"家、厳しいのかな。まぁお嬢様っぽいもんな、梨沙は…。"

料理が運ばれてきたが、梨沙はメニューを決めた当初の食欲を失っていた。どうして遼太郎は "横浜" と告げた途端、怒ったような声になったんだろう…。

康佑が取り分けたナポリタンもカニクリームコロッケも、梨沙はほんの一口しか口にしていない。

「…梨沙、食わないのか?」
「ううん、食べるよ、ちゃんと」
「親父に何言われたんだよ」
「日が暮れないうちに帰ってこいって」
「小学生かよ」

思わずついて出た言葉に梨沙はキッと睨む。ごめん、と康佑は顔の前で手刀を切る。

「じゃあ、それまでにお前の知り合い、絶対見つけないとだな」

康佑はそう言ってハンバーグもナポリタンも、モリモリと口に運んだ。

彼は献身的だった。梨沙が生意気な態度を取っても嫌な顔せずに、梨沙の要望を叶えようとしてくれている。しかし悲しいことに、梨沙はそれがあまりよくわかっていない。

梨沙の方は、稜央と会うことを遼太郎が怒っているように感じていた。何も言っていないのに、やはりどこか後ろめたい思いが、そういう気持ちにさせているのだろう。
すっかりフォークを置いてしまった梨沙に康介は言った。

「お前、昨日のカレーも半分くらいでお腹いっぱいとかいって…もっと食えよ。体力持たねぇぞ」
「…もう食べられないんだから仕方ないじゃない」
「意外とナイーブなんだな」
「意外とってなに」

結局、ほとんどを康佑に食べてもらった。まずはとにかく稜央を見つけたい。あなたは私の希望なんです、という思いでいっぱいだった。

店を出て海の方に向かって歩いている最中、Hinaからメッセージを着信した。ついに、演奏の事前情報だ。

「え、この場所、さっきまでいた街側の方だよ。鬼ごっこゲームかよ、これ。カ~ッ、あっちに行けばこっちに戻り、振り回されてるな~俺たち。」

康佑が言って踵を返した。梨沙はいよいよ、いよいよだ、と胸が破裂しそうだった。

しかし、ここでアクシデントが起こる。

「…ごめん、トイレ行きたい」

梨沙が額に脂汗を浮かべてお腹を抱えた。

「大丈夫かよ? なんか当たった? でも俺なんともないな。それにお前、ほとんど食ってないし」
「君より胃腸は繊細なんだよ…」
「はいはい、そうかもね。それよりそうだな…。交番に駆け込むか、駅ビルに行くか…」
「そこは駅ビルでしょ…」

2人は駅ビルに立ち寄り、2階のトイレに向かった。が、休日のためか女子トイレはそこそこの行列だった。

「結構並んでるな…。梨沙、我慢できるか?」
「…我慢するしかないでしょ…」
「お前が並んでる間、胃腸薬買ってくるよ」
「余計なことしなくて大丈夫だから」

けれど康佑は駆け出して行ってしまった。女子トイレの列に一緒に並ぶわけにもいかないから賢明な選択だろう。梨沙はお腹を擦りながら早く順番が来て、と祈った。その間にスマホにメッセージの着信があったが、確認する余力はなかった。

20分ほどトイレに篭り、出ると正面で康佑が待っていた。

「胃腸薬買ってきたから、とりあえず飲んでおけよ」

そう言ってペットボトルの水と一緒に差し出した。冷えた水はこういう時困るのだが、梨沙は渋々言われるがままそれを飲んだ。

「ありがと…。多分もう大丈夫だから」

本当はこういった腹痛は数回の波に襲われることが多い。けれど今は一刻も早く向かわなければならなかった。

そうして先程着信のあったメッセージを確認する。Hinaから『これから始まるそうです!』と場所の写真も一緒に送られていた。その写真を康佑に見せる。

「30分ちょい前か。まだやってるかな。梨沙、走れるか?」
「大丈夫。急ごう」

2人は足早に進むが、梨沙のお腹はまだ不安定でグルグル言っている。眉間に皺を寄せる梨沙に康佑は言った。

「梨沙、無理するなよ」
「だって、間に合わなくなっちゃう。せっかくのチャンスなのに…!」

しかし実際走ろうとするとお腹に刺激を感じ、また具合が悪くなってしまいそうだった。もどかしい。何度も立ち止まりお腹を擦り、コンビニに駆け込んでトイレを借りるなどし、結局到着までに1時間弱かかってしまった。

「ここだと思うんだけどな、今は何も演ってないな」

たどり着いた場所で、送られてきた画像と実際を照らし合わせながら康佑が言う。
そこは小さなステージのような台があったが、既に人は捌けていた。
梨沙は悔しくて唇を噛みしめる。目の前まで来ているはずなのに。

「稜央さん…」

涙を滲ませながら梨沙は呟いた。
もう出逢うなってことなのかな。巡り合わせてはくれない運命なのかな。

「梨沙、気を落とすな…まだ時間は少し残ってるから」

康佑の言葉に余計に情けなさがこみ上げて、ウッウッと嗚咽を上げた。

「梨沙ー、泣くなよー」

道の真ん中だったので康佑は梨沙を脇にやりたかったが、彼女の身体に触れると怒られると思い、しどろもどろした。

「梨沙、ほら、とにかくちょっと道の端っこに寄ろう」


「え、リサ…?」






#22へつづく

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