【連載小説】あなたに出逢いたかった #22
康佑と違う声で名前を呼ばれ、梨沙は顔を上げた。涙で視界がぼやける、けれどはっきりとその姿を捉えた。
「え…?」
相手も目を丸くし、言葉を失ったように茫然と梨沙の顔を見つめていた。
「稜央…さん?」
「えっ、あ、り、梨沙ちゃん…どうして…ここに…」
稜央だった。間違いない。康佑も驚いて振り返る。
「え、じゃあ梨沙が会いたかった人って、この人?」
けれど驚きのあまり梨沙も稜央も声を出せずにいた。何と言葉にしてよいのかわからない。稜央の背後から彼の友人と思しき男が「どうした?」と尋ねている。
代わりに康佑が答える。
「梨沙、あなたのこと探していたんですよ。ベルリンにいた時にあなたのピアノ聴いたとかで。このイベントに参加していると聞いて、昨日今日とずっとあなたのこと探していたんです」
「どうして…僕がこれに参加していることを…」
「そ、それは…」
梨沙がどう説明しようか迷っていると、稜央は合点がいったように声を挙げた。
「そうか、陽菜…。陽菜が情報を流していたんだ。そうだね?」
内緒にしておいて、と言われていたので梨沙は頷くことが出来なかった。けれど稜央はもう確信したようだった。
「陽菜のやつ、やけにしつこく、いつどこで演るのか訊いてきて…陽菜の知り合いが聴きに来ると言っていたのは、梨沙ちゃんのことだったんだね?」
あの絵を元にLisaさんに連絡してみなよ、と陽菜はしつこく迫ったが、曖昧な返事をしていたら何も言わなくなった。陽菜がコンタクトを取っていたのだ。彼女ならやりかねない。稜央は悟った。
「その…会えるなら…会いたいと思って…」
再び梨沙の目には涙が浮かぶ。喜びと緊張と不安がごちゃ混ぜになっていた。
そうして稜央は思い出した。
去年の12月、ベルリン中央駅でも泣いていた梨沙のことを。
「川嶋の知り合い?」
稜央の側にいた男・藤井も少し驚いた様子で尋ねた。
「え、まぁ…知り合いと言えば…知り合い…なのか…」
「えぇ、意外! だってこの子…女子高生だよね?」
梨沙と稜央の間の空気の気まずさを察し、康佑は言った。
「あの、稜央さんとおっしゃってましたっけ…この後もしお時間あったらちょっとお話でも…久しぶりの再会のようですし、梨沙もあなたのプレイが印象に残っているようですけど今日は見られなかったですし…。なので、その辺のライブ観ながらとかでもいいので、どうですか?」
「えっ…」
戸惑いを見せたのは稜央だ。突然の状況をまだ受け入れられていない様子だ。
梨沙は夏に見た高校のアルバムを思い出していた。
若い遼太郎に稜央が重なっていく。
あの頃の遼太郎に出逢いたくて仕方がなかった梨沙にとって、やっぱりこの人は運命なのだと確信する。どういうわけか、タイミングを計らって自分の前に現れてくれる。
藤井が小さな声で稜央に耳打ちした。
「川嶋、どうする? 俺は別に構わないけど」
「えっ、どうするって…でも…」
「迷惑ですか?」
「えっ?」
はっきりとした声で尋ねた梨沙に、一同が彼女を見た。
「本当は稜央さん、私に会いたくなかったですよね。途中で急にメールが送られなくなったのも、私を避けたかったからですよね」
やや震えながらもきっぱりとした声、その内容にみな戸惑った。穏やかな話ではない。
「梨沙ちゃん…」
「なに梨沙、それどういうことなんだよ?」
康佑の声はやや怒りを含み、稜央を睨んだ。この男、梨沙の彼氏なのかな、と思った。
答えられない梨沙に、康佑は稜央に向かって言った。
「ちょっと僕は状況が見えないですけど、でも梨沙は必死になってあなたのこと探していたのは間違いないです。会えて良かったね、じゃあね、はちょっとないんじゃないかと」
康佑は、梨沙の片想いの相手というのは、この稜央という男なのではないかと考えた。そこそこ歳上みたいだし、女子高生をたぶらかしているのではないか、と訝しみもした。
確かに見てくれはいいかもしれないが、日和ってると思った。梨沙のような勝ち気な女の子は、案外こんな日和い男が良かったりするのか...。康佑は複雑な気持ちになる。
藤井もどうしたら良いかわからず困惑顔だ。
稜央が切り出した。
「じゃあちょっと…僕と彼女でちょっと話させてもらえませんか。藤井、悪い、ちょっとだけ時間ちょうだい」
「あ、あぁ、全然いいよ。俺その辺プラついて時間潰しているから」
「いいんですか?」
驚きと嬉しさの混じったような表情の梨沙に、康佑は2人きりにして大丈夫なのか不安に思ったが、藤井同様に「じゃあすぐ近くにいるようにするから、何かあったらすぐ連絡して」と言い、後ろ髪を引かれつつも離れていった。
「梨沙ちゃん、ちょっと歩きながら話そうか」
梨沙は黙って頷いた。
*
「…今日の件は陽菜から聞いたんだよね?」
歩きながら稜央は尋ねる。
「陽菜さんに言わないでください。内緒にしておいてって言われたんです」
やれやれ。余計なことをしてくれて、といえばそれまでなのだが、まぁ陽菜らしい行動とも言える。
「大丈夫、怒ったりしないから」
「本当に、迷惑じゃないですか。私が現れて」
梨沙の目は怯えていた。何と答えよう。迷惑なのか、迷惑ではないのか…。
そもそも一番迷惑に思っているのは父…遼太郎だろう。
「いや、僕は迷惑なんかじゃないよ」
「でもメール。急にUserUnknownで送られなくなって」
「あぁ、あれは…なんかウイルスに感染したのか、やばい感じになったからアカウントを削除したんだ。梨沙ちゃんの連絡先は控えていたんだよ。いつか送ろうと思っている内に、ちょっとバタバタして…」
遼太郎にアカウントを消せと凄まれたとは言えない。稜央もまた嘘を付くのが苦手だが、今は我ながら上手く切り抜けたぞ、と褒めたくなった。
「…そうだったんですか」
素直に納得した梨沙がいじらしく、気の毒に思えて来る。
そして互いに次の言葉を探した。何からどう話せば良いのか…。まず稜央から口を開いた。
「...元気にしてた?」
「はい…。稜央さんも?」
「うん…」
どうでも良い会話がぎこちなく続く中、稜央のスマホに着信があった。
取り出したそれにぶら下がっているクマのキーホルダーを見て、梨沙は「あっ」と声を挙げた。
「そのキーホルダー…」
「あっ、あぁ、これ…。そう、梨沙ちゃんがくれたやつ」
昨年末、ベルリン中央駅で落ち合った際に、梨沙がベルリンのお土産として稜央にプレゼントしたものだった。
「持っていてくれたんですね」
「うん…。なんか愛嬌ある顔してて、面白いなって思って…」
「陽菜さんが、私が描いた絵を額縁に入れて飾ってくれてるって言ってました」
「あれはね、陽菜が勝手に額を買ってきて入れたんだよ。あ、いや…無理やり飾っているわけじゃなくて…ありがたく部屋に飾らせてもらってる」
ようやく梨沙は微笑んだ。
「じゃあ…嫌ではなかったですか。私のこと」
「あ、うん、そんな、嫌なんてことは…。ただやっぱり女子高生って言われるとやっぱりホラ…あれじゃない、なんか…」
全く言葉になっていないが、言いたいことは伝わってくれよと願う。梨沙も承知はしたようだ。
「そうですよね…」
しかし、問題なのはこの後だ。
もし梨沙が父親に今日自分と会ったことを、会話したことを話したら。
父は…遼太郎はどうするだろうか。
この様子では梨沙はまだ何も知らないようだ。当たり前と言えば当たり前だ。絶対に知ってはいけないことのはずだから。
だからと言って「今日のことはお父さんには内緒だよ」なんて口止めするのは不自然だ。
さあ、どうしたもんか…。
#23へつづく
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