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「対岸の鐘」第2話【創作大賞2023】

彼女にリードされて、観光客で賑わうレストランへ入った。
広いテラス席があり、吹き抜けるで気候的にもちょうど良かった。

「へぇ、ここにも地ビールがあるんだ!」

僕たちはモスタルの地ビールを頼み、とりあえずはじめまして、の乾杯をした。

モスタルの地ビール

「あ、僕の名前は高橋春彦って言います。東京から来ました。30歳の社会人です」
「私は佐々木真結まゆと言います。私も東京から。28歳。社会人ですけど、夜間の大学院に通っていて、そこで旧ユーゴスラビアで起こったジェノサイドを研究してます」

クールな瞳の彼女は言った。

前髪は長めだが、後ろは短いショートヘア。すごく良く似合っている。艷やかな黒が、風にサラサラとなびいた。
そんな彼女が "ジェノサイド" なんて言葉を口にする…。何がきっかけなんだろう?

「あの…どうして…ジェノサイドを? って訊いてもいいですか?」

彼女はほんの少しまつ毛を伏せて小さく「そうですよね」と言うと、キッと小さく決意をしたように面を上げて僕に問うた。

「旧ユーゴスラビアの内紛は、民族紛争なのはご存知ですか?」
「え、えぇ…あまり詳しくは知らないのだけど…」
「ここボスニア・ヘルツェゴビナには、宗教の異なる夫婦が数多くいたんです。ムスリムの奥さんにクリスチャンの旦那さん、というような。珍しいですよね。通常ムスリムはムスリム同士で婚姻を結びますから。この国は元々その辺りは寛容だったのです。寛容というか、共存ができていました。けれど紛争でそういった家族たちも苦しみました」

僕は正直、あまりその辺りの歴史に詳しくなく、更に重たい話になりそうだったので、ちょっと黙ってしまった。

「こんな晴れた日の爽やかなテラス席で、ビール飲みながら話す内容でもないですね」

そんな僕を察したのか、彼女はちょっと小馬鹿にしたように言った。

「色々聞きたいって言い出したのは僕だし、大丈夫ですよ」

僕は強がって言った。

「そんなの口実なのでは? ただ食事に誘いたかったのでは?」

澄ました様で言う彼女の言葉に驚き、怖気づいてしまった。
そんな僕の様子を察したのか、彼女は「ごめんなさい」とすぐに謝った。

「もうちょっと普通の話からしていきましょうか。お仕事はどんなことを? 東京では一人暮らしですか?」

彼女は矢継ぎ早に質問をしてきた。なんだか彼女のペースに巻き込まれ圧倒されている。
と、同時に料理も運ばれてきた。

「まずは食べましょうか」

僕はその提案には素直に従った。

真結さんは学生の頃からバックパッカーで、47ヶ国以上旅をしてきているという。
47カ国! 僕は舌を巻いた。どこの国が一番良かったか訊くと、"旅としては" 意外にもルーマニアだという。

「面白い国なんですよルーマニアって。地理的には東欧に属してるのに言語はラテン語族だし。1990年の東欧革命では唯一、血の流れた革命になりました。行ってみると古き良き田舎という感じと、チャウシェスクが残した "国民の館" と呼ばれている巨大な建物…社会主義に翻弄された首都ブカレストとのギャップとか。ご飯も美味しいんですよ。ミティティという肉料理…ここボスニアでもチェヴァプチチという似た料理があるんですけど…今日来たばかりだからまだ知らないですよね。中東欧から中東でよく見るひき肉を使った料理ですけど、すごく美味しいです。ワインともビールと合います」

彼女は熱く語る。好きなことには夢中になるタイプなんだ。研究者なくらいだもんな…。

「真結さんはワインやビールが好きなんだ」
「そうですね。日本でも海外でも、よく飲みます。春彦さんは?」
「僕も好き。ワインも日本酒も、何でも好き」

そう言うと真結さんも頷き、ようやく少しだけ笑ってくれた。

「ルーマニアにしてもここボスニア・ヘルツェゴビナにしても、真結さんは革命とか紛争とか、そういったものに関心があるんですね」

「そうですね…。私達のような日本人の若者って、そういったものからものすごい遠いところにいると思いませんか? 戦敗国と言っても終戦からもう80年近く経って、親の世代だって体験者として語ることはないです。でも東欧革命やユーゴスラビア紛争なんてたかだか30年と少し…春彦さんが生まれる少し前じゃないですか。そんな最近まで、砲弾が雨のように降る日常で暮らす人達がいたんです。そして今、こんな風に日本人が旅することが出来るまで、街は一応の安泰を取り戻している…。完全にではありませんけれど。
そんな国がたどった過程に関心があるんです」

「それっていわゆる復興の…人々の持つパワー、みたいなものですか?」

「そうかもしれません。そういうところにも魅力を感じているのかもしれないです」
「復興のパワーと言えば日本にもあるよね。むしろ日本も他の国から手本にされるくらい」
「そうですね。それは私も日本人としてのアイデンティティが、他国のそういった境遇に関心を向かわせているのかもしれません」

僕も何カ国か旅をしたことがあるけれど、そんなことを考えたことはなかった。僕のアイデンティティとは…。少し恥ずかしくなった。

食事をしていると、足元にいつの間にか数匹の猫がいた。

「わ、猫がいる。かわいいなぁ。僕も猫飼ってるんですよ。ロドリーグって名前で」
「ロドリーグ、呼びにくい名前ですね…。じゃあ、今は家にぼっちですか?」
「姉夫婦の家に預けてます。数日家を空けるような時はいつも預かってもらってます。あは、そういえば義兄は ”ロドリゲス” って呼ぶなぁ」

モスタルのレストランで寄ってくる猫たち

「私には兄がいますけど、兄もバックパッカーで…家にはほとんどいませんけどね」
「今でもですか?」
「はい、今でも。どこかで野垂れ死にしているかもしれないです」

どこか遠い目をして言った彼女の表情が印象的だった。野垂れ死になんて随分な言葉だが。

「そんなことはないでしょう。そんなことになっていたら絶対に家族に連絡が来ますから」
「そうですね」

真結さんは笑ったが、どこか僕の言葉を上の空で流したような感じだった。

「春彦さんは、この後サラエヴォっておっしゃってましたよね」

不意に尋ねられ、そうです、と答える。

「私もです。夕方のバスで」
「あ、僕もそんな感じで考えてました」
「じゃあきっと、バスで会うかもしれませんね。モスタルはまだ観てないところあるので、この後は一人でちょっと歩いてきます。ホステルに寄って荷物も引き上げないといけないですし」

僕は一緒に周りましょう、と言いかけて、やめた。

「じゃ、会えたらバスターミナルで」

店を出てお土産屋の並ぶメインストリート…僕たちが出会った場所…で別れ、僕は再びスターリ・モストへ向かった。
橋のたもとのお土産物屋には『DON'T FORGET '93』と書かれた大きな石が置かれている。
橋の上は人だかりで、水着姿の若い男が欄干の外を尻で橋の中央に向かって移動している。名物となっている川への飛び込み、だ。

"かつて、この国で民族浄化が行われた"

この橋も、紛争時にクロアチア系の民族主義者たちが破壊した。川を挟んでイスラム系住民、クロアチア系住民と住み分けされている。かつては宗教を超えた家族が存在していたという。しかし紛争はそれを壊し、今でも触れないようにピリピリとした空気が漂うという。

にこやかに、呑気に、橋を行ったり来たりしているのは、観光客ぐらいなのだろう。
自由とは、なんだろうか。





第3話へつづく

【参考】


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