見出し画像

【連載小説】Berlin, a girl, pretty savage ~Father Complex #6

1ヶ月はあっという間だ。

梨沙の描いた理想の暮らしも残りわずかとなってきた。
残り少ないから一緒に外で食事がしたいとねだり、遼太郎の仕事終わりに待ち合わせた。

であれば、と遼太郎は自分が結婚前に赴任していた際に住んでいたというKREUZBERGクロイツベルクに繰り出すことにした。子供の頃住んでいたNEU-TEMPELHOFノイ=テンペルホーフからさほど離れていないエリアだ。

Yasminも確かこの辺りに住んでいると言っていた気がする。それを遼太郎に話すと

「確かにあのエリアはトルコ系の人がたくさん住んでいる。ケバブ屋とかターキッシュレストランが多いよ」

と教えてくれた。

自分がこの世に生を受ける前に、父が過ごした街を歩くということは不思議な感覚だった。
ふいに幼い頃家族で訪れた京都の夏の夜を思い出す。

夜、鴨川の上流のほとりで蛍を見かけた。蓮が蛍を捕まえようと駆け出すのを父が追いかけ、その父を自分が追いかけていた光景が甦る。

あの時「蓮じゃなくて私を捕まえてよ」と思いながら追いかけていた。

そんな光景を思い出し、鼻の奥がツンとしてきた。
私を捕まえてほしい。
…どうして?

急に大人しくなった梨沙に遼太郎が「どうした?」と訊く。「なんでもない」と答え、お腹空いたから早く!と急かした。

***

KREUZBERGの中心エリアにある、開放的なカジュアルレストランに入った。界隈には洒落た店がいくつもある。

遼太郎はビールを頼み、梨沙は炭酸水を頼んだ。そしてじゃがいもを使った料理、肉、サラダなど注文した。

「パパはこれだけビール飲むのに、ちっともお腹が出っ張らない。どうなってるの?」
「そんなに飲んでないぞ。それに昔に比べたらだいぶ緩んできてるけどな」
「昔はどんだけだったの!」

いつになく梨沙は明るいなと遼太郎は思う。悪いことではないのだが、梨沙のテンションはジェットコースターになる時がある。さっきは大人しかったのに、今のようにはしゃいだり。また、落ちたり。

案の定、楽しく食事をした帰り道、腕を組んできた梨沙の口数は少なくなった。

「さっきの元気はどうした。疲れたか?」
「もうすぐパパ、日本に帰っちゃうなって思って」
「そうだな」
「ずっとこっちに住めばいいのに」

そう言うと遼太郎は目を細めて笑った。その笑顔が愛しくて胸が詰まる。
梨沙は一層力を込めてその腕に抱きつく。

「ねぇほんとに」
「ママを一人にしてはおけないんだよ。何度言えばわかる?」
「蓮がいる」
「アイツはまだ子供じゃないか」
「私だって…!」

子供だよ!と言いかけてやめた。子供だけど、子供じゃない。

「そんなのママの勝手なトラウマじゃん」
「梨沙」

つい言ってしまった言葉に梨沙は口に手を当てすぐに「ごめんなさい」と謝ったが、遼太郎の表情も険しくなる。

「お前がこっちにいる間に、俺が日本で事故にあって死んだらどうする?」
「嫌だ。パパがいなくなったら私も死ぬ」
「死ぬとか言うなよ。けれどママは実際にそういう体験をしたんだ。でもそこで死んだりしなかったから、今お前がここにいる」
「私はママと違って生きていけない」
「そんな弱気で留学なんてよくしたな」
「…」
「前も言ったけどな、ママを理解しようともせずに自分のことばかり考えているなら、俺もお前を突き放すからな。今すぐにでもホテルから出ていくぞ、本気で。勝手に一人で生きていけばいい。お前は俺がいないと生きていけないと言うが、俺にとって夏希は同じだよ。彼女がいなかったら俺は生きていけない」

遼太郎の剣幕に、そして母への想いの言葉に黙り込んだ。
梨沙はまだよくわからない。母や弟との距離感・温度感が。

***

その晩。
シャワーを浴び終えた遼太郎が頭からタオルを被ったまま、シャツを探しに寝室に来た。
その時梨沙は、彼の左肩にある古い傷痕を見た。もうだいぶ薄くはなっているが。

梨沙の描く絵に、象徴として描かれるようになった、傷。

「パパ、肩の傷…」

不意に傷、と言われた遼太郎はきょとんと目を丸くした。

「突然何だ?」
「…何でもない」

もう一度、触れてみたいと思った。
私を守ってくれるためについた、勲章に。

梨沙は今夜も、遼太郎のベッドに潜り込む。

間もなく遼太郎は帰国する。

***

「ねぇYasmin。好きな人、出来たことある?」

翌日、教室で梨沙はYasminに唐突に尋ねた。

「やだ、いきなりどしたの? もちろんあるけど」
「その人とはどうなったの?」
「今もトルコにいるけど…特にどうとも。素敵な友達だとは思っているけど」
「それ以上の関係を望まなかったの?」
「リサ、トルコではそれは "結婚" を意味するのよ。私はこうして外国に出てきちゃったし、関係の進展はないわ。でも急にどうしたの? もしかしてリサにも好きな人、出来た?」

梨沙は急に口ごもった。Yasminは図星だなと思いニヤリと笑った。

「いつの間にそんな人出来てたの? どんな人? 学校の中にいるの?」
「まだ何も言ってない」
「言わなくても顔に書いてあるわ。ね、どんな人?」

梨沙はカバンの中からタブレットを取り出し、自分の描いた1枚の絵をYasminに見せた。
『傷を負ったミカエル』である。

「え…、これって…?」

Yasminは日本のアニメや漫画文化も理解していたので、梨沙が2次元もしくは偶像に恋をしたのだと思った。

「これは子供の頃に私が描いた、私の好きな人なの」
「子供の頃…? そんなに長い間?」

梨沙はハッとして黙り込んだ。Yasminは言った。

「でもこれって…絵の中の世界でしょう?」

そう言われてようやく、Yasminは勘違いしていると気づき、これ以上の説明も難しいのでそういうことにしておいた。

けれどYasminは絵を見てしばらくしてから "もしや" と思った。

以前梨沙が父親を自慢した時に『ギリシャ神話に出てくるどんな神々よりも美しい』と評していたことを思い出したからだ。

この絵のモデルは、リサの父親なのではないか、と。
でも、まさか。
まだ2次元に恋していると言われた方が心穏やかでいられる。そうであって欲しいと願った。

「そうしたら…描き続けるしかないのかしら。思いを形にするのなら」

軽蔑するでもなく、Yasminは真面目に答えた。

「そうね。絶対叶うことないだろうから」

梨沙もポツリと小さく言った。
Yasminは心の中で再び強く願った。
許されぬ恋を、梨沙がしていませんように、と。





#7へつづく

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?