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【連載小説】あおい みどり #5

このお話はフィクションであり、病状・医師やカウンセラーの対応については物語の進行上、事実と異なる場合があります。予めご了承ください。

~ 翠

目の前に置かれた、ガラスのカップのハーブティ。薄いグリーンがかったゴールドのお茶。
南條が毎回用意してくれる『蜂蜜カモマイル茶』だ。蜂蜜の甘さと、レモングラスとカモミールの爽やかさが妙にアンバランスだったけれど、何も言わずに飲んでいたら、まんざらでもないと南條は判断したらしい。

「前回、蒼さんに会いましたよ」

南條の声に私はハッと顔を上げた。

「…気がついたら真夜中で部屋のベッドで寝ていたので、そうだろうと思いました」
「やはり全く記憶はないですか」
「ないです。蒼は先生と何を話したんですか?」
「どうして蒼さんが登場するようになったのか、その辺りを伺いました」

そう言って南條は、蒼が話した内容を教えてくれた。年齢は私も初めて知った。

「なかなかカッコいい男性ですよね、蒼さん。顔はわかりますか」
「はい…っていうか先生、蒼の顔がわかるの?」
「わかりますよ。全然違う顔つきになりますからね。シャープだけど精悍な、不思議なバランスを持ったイケメンですよね」

その時私の脳内というか、意識の奥というか、身体の感覚を伴わないところで何かがムズムズと蠢いた。蒼が何か感じているらしい。

「あれから日中に記憶がなくなることはありましたか」
「ないです。職場では普通に過ごしています」
「春先は環境の変化でストレスを受けやすいと言っていましたが、それはもうすっかり落ち着きましたか」
「そうですね、今は雨、これからは暑さが嫌ですけど…。でも先生が教えてくれた耳マッサージ続けてて、いつもより悪くない気がします」
「偏頭痛はいくぶん解消されましたか」
「なくなってはいないですが、気にならないことも多いです。でもあれと…PMSが重なると本当に酷くて、気持ちも沈みがちになります…」

そこまで言って “しまった” と口を抑えた。男の人相手にPMS(月経前症候群)だなんてこと、さらりと言ってしまった自分に驚いた。しかし南條は「僕も医者の端くれですから、気になさらないでいいです」と言った。

「ピルの服用は?」
「…してないです」
「あんまり酷いようなら、考えてもいいかもしれませんね。合う・合わないもありますが、劇的に改善するケースもありますから。カルテ上は飲み合わせに悪い薬も服用していませんし」
「でも薬漬けみたいになるの、嫌です。お金もかかるし」

そう言うと南條は少し寂しそうに微笑んだ。そして鼻で小さく息を付くと "仕事" にとりかかった。

「前回は翠さんからご両親の事を伺おうとしたら、蒼さんが現れました。蒼さんは翠さんの記憶を共有出来ているらしく、彼の見たご家族の様子を話してくれました」
「なんて、言ってたんですか?」
「"翠の母親は、翠から自立する必要がある" と言っていましたよ。僕も全く同じことを思っていました」
「母が私から…? 私が母から、じゃなくてですか?」

南條は頷いた。

「翠さんは、お母さんの深い愛情を受けて育った。しかしそれは少々、過剰だったかもしれません。翠さんが自分で養わなければいけなかった感覚・思考、それらをお母さんが「こうしなさい」と決めてしまった。認知も歪んでしまったようです。その根本には、お母さんがお父さんから受けた様々な暴力があってー」

私はまた耳を塞いで上半身を屈めた。

「いつか翠さんのお母さんともお話をしたいと思っているんですが…。お母さんはここに通っていること…」
「知りません」
「蒼さんの存在もご家族は…」
「知りません」
「そうですか」

南條は小さくため息をついた。

「根本解決にはご家族の理解と協力も必要になってきます。ご家族にも向き合っていただかないといけない」
「巻き込みたくないです。私一人で何とかしていきたいです」
「翠さん」

私の頭の上から南條の声が優しく、柔らかに降り注ぐ。

「翠さん、気持ちはわかります。でも翠さんが今必要なのは、一人で頑張り過ぎない事です。一人ではどうにもならない事が世の中にはあるんです。子供の頃に受けた傷はそう簡単には消えない。ですが、これまで目を瞑ってきたことに向き合い、自らの手で癒やしてあげる事は、これからの翠さんが出来ることです。少しずつ向き合っていきましょう。僕も、蒼さんも、全力で翠さんをサポートします。人を頼っていいんですよ。安心してください」

他の診察室にも聞こえるのではないかというくらい、私は大声で泣いた。

今回は蒼は、この場には出て来なかった。

「翠」

蒼に声を掛けられたのは、薄暗くてふわふわとして感覚がない状態だったから、身体は蒼に明け渡している時、だったようだ。結局いつもの時間…入浴中に交代したようだ。

「南條の言葉、相当響いたな。お前めちゃくちゃ号泣してたもんな」
『…』
「なんで黙ってるんだよ」
『南條先生が蒼のこと "カッコいい男性" だって言った時、蒼、ちょっと動揺してたでしょ?』
「えっ、なんで?」
『なんかムズムズした、変な感覚があったの。もしかして、蒼かなと思って』

蒼は照れたのか「話すり替えるなよ」と、指で鼻を擦った。わかりやすいリアクションだなと思う。

「翠の方は南條で男嫌い、克服出来そうか?」
『は…?』

途端に私の中で警鐘が鳴り響く。
"男には気をつけて。身も心も怪我するからね"

『汚らわしい言い方しないでくれる!?』
「翠、それだよ。それを取り除かなくちゃならない」
『それって…』
「お前のその歪んだ認識だよ。男だけが危険なんじゃない。女だって危険っちゃ危険。わかるだろ? 学生時代にあっただろ、女同士の陰湿なほら…あの感じ」

蒼は私の頭の中で鳴り響いた警鐘までわかったのだろうか。筒抜けなのだろうか。けれど蒼の言うことは最もだった。

『うん…まぁ…』
「ったくお前の母親が本当に余計な躾しやがってよ。男も女も危険もあるかっての。共存の世の中だぞ。まぁどっかの修道院ともなると別かもしれないけど、お前は別に修道女になるわけじゃないからな」

南條も言った。『母親が子離れする必要がある』と。そして『僕も蒼さんも、全力で翠さんをサポートします』と。

「まぁでも、お前もアイツのこと、まんざらでもないんだろ? あんなに優しい言葉掛けられたら、コロッと落ちちゃうよなぁ」
『…何言ってるの? 軽々しすぎて呆れる。本気で怒るよ?』
「怒れるもんなら怒ってみろよ。どうなるんだろうな」

アハハハと蒼は笑い、私の視界は真っ暗になった。その先の記憶はない。


私自身、南條と面と向かうことは『訓練』だと捉えるようにしていた。
まんざらでもないって…蒼は本当に言い方が下品だ。




~蒼


翠は気づかなかったみたいだ。『お前アイツのこと、まんざらでもないんだろ?』と言ったことに。

正直俺はこんなだから、誰かと付き合ったことは当然ない。こうして自意識を持ち始めて、俺はバイセクシャルだったのか、と気づく。
まぁ女の誰かを好きになったこともないから、バイって言い方もおかしいが。

南條秋人…。妙な男だ。

アイツは俺にこう言った。
『あなたは消える必要はありません』
と。

主人格である翠を脅かすとも言えない俺を目の当たりにしたって言うのに、すぐに俺を受け入れた。
彼の仕事上のテクニックはもちろんあるだろう。クライアントを安心させること、信頼を得ること。

例えそうだとしても…俺の心を一気にえぐった、あの男。
正直、翠にかけた温かく優しい言葉は、俺の魂をも揺さぶったのだ。

外柔内剛。
俺はそういうギャップに弱いらしい。南條医師はまさにそうだ。アイツの目の奥の鋭さ…鋭利な冷酷ささえ感じる目の奥の光は、震え上がるほどだ。
なぜ冷酷と感じるのかはわからない。パッと見のアイツはそんな片鱗はこれっぽっちもない。ともすると頼りない、女子の母性本能をくすぐる系のちょっと軟弱そうな男、なのに。

当初はそれを "恐怖" に感じていた。
しかし、恐怖と興奮は紙一重だ。

女性的な繊細さと、男性的な力強い余裕感。あまりにも相反するものが共存している。
俺はそこに強いセクシャリティを感じたわけだ。
もしアイツが雄を剥き出しにしたら…俺はひとたまりもないな、と思う。

翠のおりとして表に出てきた俺だったが、南條医師の元に通ってくれるのが楽しみであり、出来ればこの前のようにまた、俺として彼と向かい合いたいものだと考えている。
南條医師の前でシャワーでも浴びれば交代出来るんだがな…そう考えたら可笑しくて腹を抱えて笑ってしまった。なんて最高のシチュエーションなんだ、と。


まるで生まれて初めて目にしたものを母親と思い込む、動物の習性そのものだ。バカバカしいほど単純で、でも事実は事実だ。
複雑な世の中は突き詰めれば全て単純なことばかりなんだ。


表に出ると言う事はこういうことなんだ。





#6へつづく

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