【連載小説】奴隷と女神 #26
そんな。
私、今まで何度も「好き」って言ってきたじゃない。
何度も「響介さんだけが好き」って。
「響介さんこそ酷い! 私そんなこと言ったことある? 態度で示したことある? むしろどれだけ『響介さんだけが好き』って言ってきたと思ってるの? 全然伝わってないってこと?」
「…」
「自分だけ誠意を持っていて、私は打算的だっていうの? どうしてそんなことが言えるの? だったら、奥様と離婚してよ! 出来ないでしょ? それで何を示そうとしてるの? いつか捨てられるのは私の方でしょ!」
「ごめん、小桃李。僕が言い過ぎた」
「ううん、あなたの本心がわかったから。私のこと本当はそういう風に見ていたってことがわかったから。あなたがどれだけ奥様がどうしているか知らないって言ったって、あなたが家に帰った後のことは私は何も知らないし知る由もない。それでその言葉が信用できるわけないじゃない!」
「…」
「何も言えないでしょう? そうよ…、響介さんは嘘つきなのよ。あんなに優しくしてくれて、Hも上手で、遊んでいるんだろうなって思った。やっぱり何だかんだ言って私も遊びの一人なのよ。でも私は溺れてしまったし、望んであなたに屈した。ただ、あなたに屈した人が他にもたくさんいるのよね」
「違う、本当にもう今はそんな人はいない」
「いい、もう聞きたくない。あなたがEndymionで、奥様がLunaだなんて…私は…私は…私なんか女神になれるはずもない…そうだった。私はただの奴隷だった。『LUNA』をつけようとしたなんて酷い思い上がりだった。買わないで良かった」
私は興奮して、何を言っているか自分でもよくわからなかった。ただ頭は燃えるように熱くなっているのに、心は氷のように凍てついていった。
「奴隷って…なんだよ…」
「ただあなたにご奉仕するだけの奴隷ってことよ」
ぱちっ、と響介さんの手が私の頬を打った。瞬間に彼は青ざめる。
「ごめん…小桃李…」
「…帰って。もう二度と来ないで。私、頑張ってちゃんとした彼氏を作るように頑張るから。私だけを見てくれる人、ちゃんと探すから。私から仕掛けておいて一方的でごめんなさい。でも…」
彼は唇を噛み締め、黙っている。
「あなたがずっと話さなかった奥様の存在が大き過ぎる事がやっとわかって、耐えられないと思い知ったから」
呆然とした響介さんはふらりと立ち上がり、私を見下ろして言う。
「僕だって小桃李のこと、どれだけ好きだと伝えてきたと思う? でもそうか、僕が既婚者だから、今まで遊んできた男だから、何を言っても信じてもらえないわけか。そりゃそうだよな」
そしてフフっと、泣き顔なのか笑顔なのか、曖昧な表情を浮かべた。
「確かに遊んできたけれど、恋に落ちたことはない。それが "遊び" だからだよ。でも小桃李には落ちてしまった。本気になるなんて自分でも驚いているんだよ。…今まで冗談はいくつか言ってきたかもしれないけど、小桃李が嫌だと示してからは言わないようにしたし、ましてや噓をついたことは一度もない。でもこれも信じてもらえないんだろうけどね」
「そうよ嘘つき。奥様とは恋に落ちたくせに。本気にならなきゃ結婚なんかするわけないでしょう!」
「僕のこと何も信じてもらえないのに…小桃李こそ身体さえ繋がれば良かったってことじゃないのか…」
私はハッとした。
響介さんは泣きそうな顔をしていた。けれどそれ以上はもう何も言わずふらりと部屋を出ていく。
見送りもせずそのままでいると、玄関の扉が閉まる音がした。
そしてその後は、静寂。
その静寂を裂く、泣き叫ぶ声。
私の。
* * *
部屋の明かりを落とした部屋。
カーテンの隙間から差し込む薄い街灯。
涙も嗚咽も止まらなかった。
私は何を言ったのだろう。
なんて終わりなの?
なんて醜いの?
心臓が氷で固められてしまったかのようにひりひりと冷たく苦しい。
「好き、好き。響介さん…好きなの…ひとりにしないで…」
泣きながら取り憑かれたように呟く。
助けて。
時間を戻して。
言葉を返して。
お願い。
* * *
一晩中泣き明かして、翌朝は最悪だった。
頭も痛いし、何より何もやる気が起きない。私は会社に連絡して体調不良だと言って休んだ。
ベッドから出られないまま、どんどん日が高くなっていく。
昼休みの時間、志帆からメッセージが入った。
"うん、ちょっとね" とだけ返信すると、また
と言ってくれたので "大丈夫" とだけ返信した。
響介さんからは、何も来なかった。
* * *
その翌日は木曜日で、部長会のある日だった。議事録担当の私が休んでいたら響介さんも気づくだろう。
私はその日も休むことにした。気にかけてほしいと思った。
やっぱり私は打算的。響介さんが正しい。
けれどその日も響介さんから連絡はなかった。
* * *
金曜日。
今日会社に行ったところでもう週末だし、とにかく体を動かす気力がなかった。
失恋で3日も休むなんて、もし後輩がそんなことやったら絶対軽蔑するなと思いながら、休みの連絡を入れた。
先輩の垣内さんが電話に出たが、さすがに心配された。
『ちゃんと病院は行ったの?』
私はPMS(月経前症候群)も併せてしまって酷い気がします、と嘘をついた。垣内さんもPMSを持っているので『わかるよ~、お大事に』と言ってくれた。
ごめんなさい、嘘ついて。
心の中で謝って電話を切った。
外は冬晴れのいい天気だ。心と裏腹すぎて腹が立つほどだった。
何だか本当に具合が悪くなってきた気がした。
お昼に環からも志帆からもメッセージが入る。
"大丈夫。来週は行くから" と返信した。
響介さんからは、何も来なかった。
嘘つきは私だって同じだ。
#27へつづく
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