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「対岸の鐘」第6話【創作大賞2023】

「真結さんがそこまで言い切れるのは、なにか理由があるの? そういう思いにさせてる根本には何があるの?」

彼女は一度目を背け、のどかな山の稜線に目をやった。
名前も知らない鳥が数羽、ちょうど羽ばたいていった。

「私はあぁいった映像や資料を見ても、あまり強いダメージを受けません。事実として冷静に受け止めています。あぁいったものや戦争遺跡や遺品、あるいはアウシュヴィッツのような強制収容所を見学して、ショックやダメージを受ける、という話をよく聞きますが、私は言うほどダメージを受けません。冷静なのか冷淡なのかわかりません。けれど、それを活かして真摯に研究、追究出来ると思っているのです」

「でも別に真結さんの家族や知り合いがジェノサイドにあったわけでもないんでしょう? 戦争の被害にあったとか…」

真結さんは再び目を逸らし、さっきとは反対側の街中が見える方に目を向けた。

「もしかして…お兄さんが関係しているとか?」

昨日モスタルでランチを食べた時、バックパッカーのお兄さん、今もどこで何をしているかわからないと話していたことを思い出した。

真結さんは一瞬頬をひきつらせたように見えた。

「兄は本当に今どこで何をしているかわからないんです。生きているのか死んでいるのか。昨日春彦さんも言ったように、知らせがないということは、どこかで生きているんだと思いますけど」

「気にはならないの? 心配じゃない? お兄さんが紛争に巻き込まれたと思っているんじゃないの?」

「本当によく知りません。ただ、一時期ガザの停戦が落ち着いていた頃、イスラエルやパレスチナには行ってました。『戦争しか知らない子どもたち』という写真集をご存知ですか? ガザの子供たちを写した写真集です。それを見てすっ飛んで行ってましたね。そういうフットワークの人なんです」

淡々と彼女は語った。

「お兄さん譲りのところが真結さんにあるってことか」

そういうと真結さんは、ため息交じりに嘲笑った。

「どうなんでしょうね。私は旅が終われば家に帰って仕事もするし友達と他愛もない会話もします。兄とは違う人生です」

すっかり冷めたカフェオレを一口すすって、真結さんは続けた。

「ホロコースト、ジェノサイド…様々な時代、国や地域でたくさんの残酷な出来事が今なお起こっています。その中でも私が特にボスニア・ヘルツェゴヴィナ紛争に興味を持ったのは、こんな言葉があったせいもあります。

1つの国、2つの文字、3つの宗教、4つの言語、5つの民族、6つの共和国、7の国境

多様性を認める、保つのがいかに難しいかということを、ユーゴスラビア紛争は物語っていると思います。全く正反対にいる日本人の私が、どう関われるか。発端はそんなところです。

日本でも多様性の観点から外国人を採用する企業は増えていると思います。でも彼らを "外国人" として雇えているのかは疑問です。日本人として働かせていないか。日本のしきたりや文化、風習・慣習を押し付けていないか。そんなことをしていたら外国人を雇う意味はありません。でも形だけの多様性を導入すると、そういう事が起きます。もちろん日本人として働きたい日本マニアの外国人であれば、その方が嬉しいかもしれませんが。

ユーゴスラビア紛争はもちろんそんな小さな話ではありません。チトーが去った時に、多様な民族が抑えていた感情が爆発したのです。多様性を受け入れる、共存する、というのは本当はとても難しいのです。それは強い独裁政治のもとで抑え込まれていたから均衡が取れていた、とも言えるかもしれません。

いわば私たちは戦争も知らない、ジェノサイドも知らない。遠い国、遠い時代の出来事でしかありません。でもぬくぬくとした繭からはいつか破り出ないといけません。
さっき私が言った、自分の隣を歩いていた家族や友人が、自分の目の前で銃弾に倒れたら、自分は生き延びてしまったら。そう言った想像は出来ます。その想像から、何をすべきかより、何をしてはいけないか、も大切だと思っています。最大の罪は傍観であること、って最近は色んな場面で使われますよね。何をしてはいけないのか。これは案外、実行できると思っています」

彼女は出会った時から、ずっと力強かった。
言葉も、瞳も、そして意思も。
出会ってすぐの時、僅かに抱いた下心を恥じた。

「春彦さんがこの国を訪れたのは本当に偶然だと思います。そして私に出会ってこんな話を聞かされたのは運命なのかもしれません。でも今こうして、こんなに美しいサラエヴォがあるのは、そんな時代のいしずえがあるからこそなんだって、知ってもらいたかったです」

「うん…ありがとう。ネットで少しそういった歴史があるのは知っていたけれど、真結さんの言うようにどこか遠い国、遠い時代のことって思ってた。そんなことがあったんだ、みたいな。でも強烈な話も聞いて…家族や友人が犠牲になるということをイメージすることが出来て、僕も良かったと思う」

「世界にはまだまだ紛争をしている国があります。終りが見えないような争いも。それでも諦めたり、傍観者になってはいけないと思っています。語り継ぐだけでも。何をしてはいけないかと考え、行動することも。何かをしようとすると莫大なエネルギーを要しますが、してはいけないことを抑えることは、そう難しくないと思っています。そして多くの人が知っていくことが大切だとも思います」

「傍観者にならないこと…」

「そうです。ナチス・ドイツのホロコーストが何故あそこまで酷かったか。そこに多くの "傍観者" がいたことも理由のひとつと言われています。見て見ぬ振り、です。それは拒否ではなく許容、と取れます。拒否をするには、態度が必要なのです。正しくない、間違っていると思ったら、行動しなければならないのです」

僕は彼女の迫力にすっかり気圧されてしまい、黙って彼女を見つめていた。

するとハッと申し訳無さそうに、顔を逸らした。

「偉そうなことたくさん言いましたね」

「そんなことない。自分の周りにはそんな力強い言葉で想像させてくれる人、いなかったから。真結さんの話を聞けて本当に良かったと思っているんだ。日本に帰ったら僕も家族に話してみるよ」

「重たすぎて険悪にならないことを祈ります」

うん、と真面目に頷くと、ようやく真結さんに笑顔が浮かんだ。

「兄も誰かのために…そういう思いは強かったと思います。それが家族とか近しい人間ではなく、他の国の、赤の他人だったと言うだけで」

再び遠くの稜線に目をやった真結さんの表情はどこか儚く、淋しげだった。
僕もすっかり冷たくなったカフェオレを飲み干した。

「今日はこの後どうしますか? さすがに春彦さんも解放されたいですよね。朝から相当辛かったと思いますし」
「もし真結さんさえよければ、昨日話していたオリンピックスタジアムに一緒に行ってもらえない?」
「あそこも壮絶ですよ。お墓ですから」
「今までどんな悲劇が起こったのかを見てきたから、その…犠牲者が眠る場所っていうのは一つの到達点だと思っていて」

そう言うと真結さんは「わかりました」と了承してくれた。

「ランチは食べられそうですか? 昨日話していたブレク(ミートパイ)はどうですか? 春彦さんがいるなら私も挑戦出来ます」

僕は彼女からの誘いがとても嬉しかったが、さすがに食欲は出そうになかった。

「今はちょっと無理…かな」
「そうですよね、普通は、そうですよね」

「普通…いや、普通という言い方がよくわからない。真結さんがおかしいわけじゃない」

彼女は寂しく笑って「じゃ、行きましょう」と席を立った。






最終話へつづく

【参考文献】


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