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【連載コラボ小説】夢の終わり 旅の始まり #1

ただ、あてどなく車を走らせていた。

朝から曇り空が続き、景色を楽しむには物足りなかったので、ひたすら移動している。

夏から、秋へ。

上信越道から関越に入り、このまま新潟へ抜けようか、と考えた。
日本海はある程度見慣れてはいるけれど、北上したそれはまた違った顔をしているかもしれない。
あるいは北関東道に入って突っ切り、太平洋まで出るか…。

別に海が見たいわけではないのだけれど。

関越を南下すれば東京に入ることも出来た。けれど今は東京には何の用もない。

学生の頃は当時の恋人が東京に住んでいて、列車や夜行バスに乗ってよく会いに行ったものだ。
そして父も当時は東京にいた。
今はドイツのベルリンで彼の家族・・・・と共に暮らしている。

だから今は東京には何の用もない。

* * *

2日前にレンタカーを借りて家を出てきて、ただ車を走らせた。

旅行が趣味なわけではない。むしろ僕は完全なインドア男子だった。
といってもゲームをするでも映画や動画を観るでもない。

僕の趣味は音楽…ピアノだ。
幼い頃からピアノに興味を持ち、弾いていた。

ただ母子家庭で貧乏だったから、ピアノを買ってもらったり習わせてもらうことは出来なかった。家も狭かったし。
学校のピアノを使って毎日毎日、夢中になって弾いた。

そういうこともあって部活も何もやっていない。友達もほとんどいなかった。
学生時代はやたらと尖って、他人が僕の領域に踏み入れないようにいつも牙を向いていた気がする。
それじゃ友達ができるはずがない。

そんな中唯一、ピアノを弾くことだけが他人が僕を認めるツールだった。

人はそもそも認められることを渇望する生き物だ。
僕は認められたかったのと、若気の至りを過ぎた頃に気づく。

ずっとずっと存在を知らずに生きてきて、ある日突然明らかになった自分の父に。

人生の根底で僕は父を渇望していた。

* * *

父の存在を知ったのは17歳のクリスマス・イブだった。
父親違いで10歳下の妹の陽菜ひなが明らかにした。

"一昨年のクリスマス・イブ、ママに会いに来た人がいる。
ママはその人を見て泣いてた。
その人はお兄ちゃんにそっくりだった。"

存在を知った当初、父に対しては恨み・怒り・憎しみでいっぱいだった。
父は東京で別の家庭を持って良い暮らしをしており、そこそこの会社の役職にも就いていることを知り、順風満帆に見えた。

片や僕たち…母と僕は捨てられた(当時は捨てられたと思っていた)おかげでずっと貧乏で、母は僕を産むことで大学を中退せざるを得なくなり、実家からも勘当同然でたった一人で僕を育てることになった。苦労の連続だったと思う。

息子は音楽が好きなのに習わせてやれない、経済的に芸術系の大学に進学させてやることも出来ないと、母はいつも自分を責めていた。
僕はそっちに進学を望むことすら、早い段階で諦めていた。

母は陽菜の父…結婚相手とも、僕が原因ですぐに離婚してしまった。その男が僕に虐待をしたから。
母は幸せを摑むことが出来ない。

全ては母を捨てた、父のせいだ。あいつが母の、僕たちの人生を苦しくさせ、狂わせた。

だから僕は父を恨んだ。
奴の人生を滅茶苦茶にしてやろうと思った。
学生の頃よく東京へ通ったのは、そのためでもある。

実際に対峙した僕と父は、互いに身も心も傷つけあった。
父にしてみれば突如息子と名乗る僕が現れ、お前も家族も苦しめてやるなんて言い出したら、そりゃただじゃおかないだろう。

そして父は僕の持っていたナイフで怪我をし、薬を飲んで自殺を図った。
2人目の子供が生まれたばかりだというのに。

一命を取り留め、僕は自分がしたことを、自分が持った感情を後悔した。
けれど父は僕の存在を認めない、二度と俺の前に現れるなと言った。
だからそれ以降、僕と父がコンタクトを持つことはなかった。
もう永久にないと思われた。

それが今年の夏、ポーランドのワルシャワで父と会った。
僕のことで父は母とごくたまに連絡を取り合っていたらしく、それがきっかけで父が招待してくれたのだ。父は仕事でベルリンに滞在しているとのことだった。
僕たちが対峙してから5年が過ぎていた。

そこで僕は、ずっとずっと渇望していた "父に認められること" が叶った。
僕のピアノを、いや、存在そのものを認めてくれた。

叶ったと同時に、不思議な寂寥感が襲った。

父が儚いもののように思えたのだ。

父が時折、自分をコントロール出来なくなるほど感情が振り切れてしまう性質を持っていることを知った。
僕たちが対峙した時も、ちょうどそんな状態だったらしい。

そして父は身内に発達障がいを抱える者がいて、何度も何度も思い悩み、時には恐れを抱えて生きたことを知った。
"命の連鎖を恐れている" と。

そんな父だから、ある日突然、姿を消してしまうような気がしたのだ。
彼の家族も何も知らないうちに。
まるで「ちょっとそこのコンビニに」行ってくる感覚で、消えてしまいそうな気がした。

僕と対峙したあの時…。
強い威圧感を纏い、怒りで瞳の縁に朱が引かれるほどの妖艶な美しさを持ち、圧倒的な存在感を放っていたというのに。

ワルシャワで父が見せた照れたような笑顔、はしゃいだ時の無邪気な笑顔、自分を気遣ってくれた優しさ、そして過去を悔やむ涙…。

以前抱いていた憎悪が、今はこんなにも愛しく、守りたいとさえ思うようになったことは、僕自身にとっても驚くべきことだった。

ただ父には別の・・家族があるから、ワルシャワからの帰国後も頻繁に連絡を取ることは憚られた。

それでも不安を打ち消すために週に1度はメッセージを送った。
ドイツとの7時間の時差のためか、父からはいつも変な時間に、そして大抵素っ気ないレスが来るくらいだった。既読スルーもざらだ。

父からのメッセージの着信を見ると、僕はまるで麻薬を投与されたかのように深い深い安堵を覚えた。

けれど次の瞬間、この空の向こう、遠く遠くつながった空の下に確かに父が息づいていることを確認出来た安堵の後は…切なさと不安。
効果はすぐ切れてしまい、何度も安堵を求めたくなる…まるで本当の麻薬のようだった。

この旅に出るほんの3日前にも父にメッセージを送った。
その時は珍しく何往復かやりとりが続いた。

『国内旅行に車で出ることにした』
『家族でか?』
『ううん、一人。レンタカー借りて。ワルシャワで父さん、どんどん旅に出ろって言ってくれたじゃないか。いきなり海外はちょっとアレだから、まずは国内から、と思って』
『そうか。気をつけて行ってこいよ』

珍しく気遣いの言葉をかけてくれた。

それから道中の写真を送ったりしているが、既読は付くが返信は来なかった。

寂しかった。

* * *

少し走ると『渋川伊香保IC』が見えてきた。

ちょうどいい。伊香保で温泉にでも入って、今日はこの辺で一泊するとしよう。
渋川伊香保ICを降りて国道17号から県道をしばらく走ると『伊香保温泉入口』が見えてくる。

若い男が一人温泉なんて、それもまた悪くないよな、と強がる気持ちも少しあった。





#2へつづく

Information

このお話はmay_citrusさんのご許可をいただき、may_citrusさんの作品『ピアノを拭く人』の人物が登場して絡んでいきます。

発達障がいという共通のキーワードからコラボレーションを思いつきました。
may_citrusさん、ありがとうございます。

そして下記拙作の後日譚となっています。

ワルシャワの夢から覚め、父の言葉をきっかけに稜央は旅に出る。
Our life is journey.

TOP画像は奇数回ではモンテネグロ共和国・コトルという城壁の街の、
偶数回ではウズベキスタン共和国・サマルカンドのレギスタン広場の、それぞれの宵の口の景色を載せています。共に私が訪れた世界遺産です。

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