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【連載小説】あなたと、ワルシャワでみる夢は #13

ワルシャワへ、愛を込めて

「何…、何だって?」
「虐待だよ。子供の頃、暴力振るわれたんだ。骨折ったりとかそこまでじゃなかったけど、張り倒されたり、内蔵おかしくなるほどボコボコに蹴られたりはしてた」

遼太郎は完全にナイフとフォークを置いて、目を見開き息をするのも忘れたかのように稜央を見つめた。

「お前…そんな目に合っていたのか…? 桜子は気が付かなかったのか?」

「うん…。母さんのいないとこでやられてたから。でも結局バレて、別居・離婚だよ。それでもう母さんも懲りちゃったのかもしれない。それもあってか未だに母さんあなたのこと、忘れられないなって、話してる」

「何言ってるんだ…。俺はチェリン…桜子のこと、突き放したんだぞ? 彼女がどんなに泣いても謝っても、俺はほんの些細なことで彼女を突き放したんだ。身籠らせているとも知らずに…。そんな酷い男が他にいるか…?」

「父さん…」

「それで結婚相手がお前に虐待だと…? 何だよそれ…」

遼太郎は両手で顔を覆った。そしてしばらくすると嘲笑するかのように肩を震わせた。

「そりゃあ、俺を恨むわけだな。よくわかったよ」
「父さん…今はそんなこと、これっぽっちも思ってないから」

「あの時…ここまで話を聞いていたら…。俺は間違いなくお前の目の前で望みを叶えていただろうな。昼間話したけど…そんな生ぬるい中途半端なやり方じゃなくて」

「父さん…もうやめて。僕は今あなたがいてくれることが本当に…」

「稜央」

稜央はハッとして遼太郎を見つめた。はっきりと自分の名前を呼んだからだ。
名前を呼ぶことはないと、5年前明言したのに。

稜央を見つめる遼太郎の瞳は、黒く深く沈んでいた。


チェリンは俺に告げず…一人で稜央を産んだ。

別れた男の子供を産むなんて、どれだけの強い決意と障壁があったことだろう。しかも当時はまだ大学生だ。

そして本当の家族と幸せを得るための結婚が…非摘出子である稜央に対する虐待になったとは…。

チェリンの幸せを俺は二度奪った。


「稜央…、それにチェリンにも…なんという仕打ちなんだ…」
「父さん…」

稜央が遼太郎の左腕をそっと摑むと、彼の腕は震えていた。

* * *

ワルシャワの夜景(2018年撮影)

店を出ると、フロアの窓の向こうにはワルシャワの夜景が広がっており、真っ直ぐ窓辺に向かっていく遼太郎の背中を、稜央は気がかりになって見ていた。

やがて窓の前で立ち止まり、景色を眺めているのかと思いきや、遼太郎は再び右手を顔にあて、肩を震わせた。
稜央が近づくと、彼は涙をひとしずく零した。

「チェリン…」

稜央の母のことを、恋人同士だった当時の呼び方で呟く。
以前稜央の目の前で遼太郎が母と電話で話した時に、遼太郎がそう呼んでいたのを聞いた。

母もいつだったか『あいつだけあたしのこと “チェリン” って呼んでてさ』と、愛おしそうに話していた。

それは果てしない愛の表れなのか。

「そりゃあ俺を恨むよな…毎晩夢で訴えたくもなるよな…」
「父さん…」
「俺は…なんてことを…」
「父さん、今はもうそれは父さんだけのせいじゃないって俺も思ってる。だって父さんは知らなかったんだから。どうしようもないじゃないか」

俺は “家” というものに呪われているな、と遼太郎は思う。

隆次といい、この稜央といい、親に恵まれず孤独を背負わされて生きてきた。
片や俺は歪んだ溺愛を親から受け、そして今、娘を溺愛し…息子にはどう接していいかをもがき…やはり歪んだ接し方しか出来ない。

不幸の根源は俺なのか。

「助けてくれ…」

聞こえるか聞こえないかの小さな声で呻くように呟き、遼太郎は頭を抱えて膝をついた。
それは誰への懇願なのか。
稜央はその背中をさすることしか出来なかった。

「父さん…もし良かったら今日一日のお礼に一杯奢らせてくれない?」

稜央の言葉に遼太郎はゆっくりと顔を上げた。

「父さん昨日言ってたじゃない。俺はこの後一杯引っ掛けるけど、明日はお前も付き合えって。それ、僕に奢らせてよ」

抱えられるようにして遼太郎はゆっくりと立ち上がった。

そして、遼太郎は稜央を抱き締めた。
稜央は遼太郎の身体の熱さを感じた。

* * *

それから2人は翌日のことも踏まえ、稜央の泊まるホテルの最上階にあるバーへと移動した。
そこで遼太郎は「せっかくポーランドに来たのだから」と、あるウオッカのショットを頼む。
レストランで「混ぜるな」って言ってワインを頼んだのに、ここでウオッカなんて…。

出てきたそれはグラスの下方が赤色、上が透明のウオッカ…つまりポーランド国旗を模していた。

聞くと赤いのはグレナデンシロップ、ウオッカとの間にタバスコが層を作っているという。

「これをあおればよく眠れると思うよ」

遼太郎はそう言ってグラスを合わせると、一気にあおった。

稜央も慌てて真似をする。

舌ではほとんど何も感じなかったが、喉へと流し込まれたそれは熱を発するかのように食道から胃へと広がっていく。

「うわ、これすごい」

そう言ってしかめ面をした稜央に遼太郎は黙って微笑むと、2杯目のショットを頼んでいた。稜央も続く。

しかしアルコールの強さでは遼太郎には敵わない。稜央はすぐにクラクラしてきた。
すっかりアルコールの回った稜央は、とろりとした目でショットグラスを見つめたまま言った。

「俺、大人になったんだ。こんな風に酒も飲めるんだ。父親だったら息子と酒飲むのって夢じゃないの…。あ、そっか。俺別に、息子面しないし父さんも息子とか思ってなかったもんな」
「稜央」
「ねぇ、どうして俺のこと名前で呼んだの? あの時、名前で呼ぶことは絶対にないって言ったじゃない…なんでなの?」

遼太郎は驚き、稜央を見つめた。

「逃げたってもうどうしようもないからな」

静かに言った。

「逃げる?」
「俺には発達障がいを持った弟がいるんだ」

突如として、そして初めて父の口から語られることだった。

5年前に遼太郎が怪我をして病院に運ばれた際「兄ちゃん!」と叫んで入ってきた丸メガネに無精ひげが少し生えた、白いシャツの男のことを稜央はぼんやりと思い出した。




#14へつづく

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