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【シリーズ連載・Guilty】あなたのうわさ #4
~冬の頃
年の瀬の忙しなさと、もうすぐ長期休暇という、大きなことは先送りにしようというまったりとした空気の入り交じる、落ち着かない月だった。
何より社会人になってからの時の流れの速さに閉口する。年が明けて少ししたらもう後輩が入ってくるなんて、ちょっと信じがたい。
12月半ばに同期の忘年会も開催されることになり、30人近く集まると聞き、憂鬱だった。大人数は苦手だ。
そんな中、野島くんは参加しないという話を聞いた。やっぱりな、と思う。同時に私も益々行きたくなくなった。彼が行かないのなら、私もそっちに足並みを揃えたい。
朝の休憩スペースで、久しぶりに声をかけた。良からぬ噂の対象になると同期に忠告されてから何となく話しかけづらくなり、近寄らなくなってしまっていたけれど、同期会のことをきっかけに話しかけようと思った。
「野島くん、おはよ」
いつもの窓際の隅の席にいたその後ろ姿に声を掛けた。彼は振り返り「野口。最近はいよいよ朝起きられなくなったのかと思ったよ」と笑顔で言った。
「ちょっとね。今日はたまたま」と私は嘘を付いた。
「野島くん、同期の忘年会、来ないって聞いたんだけど」
そう言うと「あぁ」と言って身体をこちらに向けた。
「営業先の付き合いも多いし、部署のも出なくちゃいけないし、もう十分だよ」
「…私も同期の飲み会は断ろうかなと思って。30人ってちょっと多いでしょう」
野島くんは「そうだな」と言い「野口は大勢の集まり、最初から苦手そうだったもんな」と言った。
「最初からって…」
「内定式の時も、入社式の後の飲み会も、来なかったろ。なんかそういうの嫌いです、って雰囲気も漂わせていたからな」
そんな時のこと憶えていて、私をそんな風に認識していたなんて。
私は少し感動していた。
「いいんじゃない? 全員参加するとは限らないし、仮に2~3人来なくなって何とも思わないよ。そもそも俺は嫌われてるからな。まぁ他からも好かれちゃいないけど、流石に部署飲みはスルーできないから行くだけであって」
「嫌われてるって…なんでそう思うの?」
野島くんはすっと目を細めた。
「だって有名な話じゃないか。お前も噂を耳にしてるだろ?」
「え…」
お前もって、どういうこと…?
そこへこちらを見ている存在に気づく。誰だかはわからないが、他部署の先輩かもしれない。
そう思った時。
「そうやってさ、人の目を気にしてる。俺のそばにいたら良からぬ噂が立つもんな」
私は声も発せず振り向いた。
心なしか悲しい目をした、野島くんを見た。
*
野島くんは同期の中でもダントツの酒豪だと聞いている。同期の誰かが "アイツはやばい。ザルなんてもんじゃない" と話しているのを耳にしたことがあるし、以前2人で行った焼鳥屋でも私の3~4倍のペースで飲んでいたな、と思い出す。
けれど彼は「みんなが言うほど飲んでないよ」とサラリと言った。
ここは会社から一駅離れたところにある、ポルトガル料理の店だ。野島くんが予約してくれた。
ほんの3時間ほど前。
悲しい目をした野島くんが本当に切なく、この人は本当は弱いところがあるのではないかと思ったら居ても立っても居られず、「だったら2人で忘年会しようよ」と大胆不敵にも口を突いていたのだ。
野島くんは一瞬呆気に取られた後、すぐに目を細め口角を上げて「いいよ、行こう」と言ってくれた。
私はタイムカードを押した後トイレに駆け込み、普段より念入りに身だしなみを整えてから『MIRANDA』の瓶を取り出し、ほんの少しだけ左手首に載せ、両手首と両耳の裏に擦りつけた。
心臓がドクドクドクドク、形がわかるくらい高鳴っていた。学生時代に右に倣えでサッカー部の先輩に憧れるフリをしていたことがあったけれど、その比ではない。
微発泡のヴィーニョヴェルデ(緑ワイン)で乾杯した。『MIRANDA』が匂いすぎていないか気になったが、野島くんは何も言わなかった。
私に料理の好き嫌いを尋ねた後に野島くんが適当に注文した。「ここは何でも旨いから安心して」と言う。
ポルトガルの名物料理、タラを使ったバカリャウ・ア・ブラス(干しダラとポテトの卵とじ)やパステス・デ・バカリャウ(干しダラのコロッケ)、カタプラーナ(魚介などの鍋)など定番料理を頼んでいく。やや塩気のある料理でワインが進む。危ない、セーブしないと。けれど野島くんはボトルを平気な顔して空けていく。
「みんなが言うほど、十分飲んでると思うよ」
「酔わないんだよ」
「レベチなんだよ、野島くんは」
そう言うと彼は口角を軽く上げた。お酒だけじゃない、全てにおいて、という意味で私は言った。気付いていないだろうけれど。
「それにしても小洒落た店知ってるんだね」
「会社の近所のこの手の店はほとんど制覇したな」
「さすがだね」
「営業職ってそんなもんだろ。付き合い多いんだから。それに店探しは下っ端の仕事だからな」
「自分では全然下っ端なんて思ってないくせに」
野島くんはニヤリと笑った。
その後はしばらく他愛もない会話が続いた。噂のこと、どう思っているのか、どうやって訊こうかと考ていた。
「でもさ、営業成績は独走なんでしょ? 新卒なのに一目置かれてるって」
「一目の意味がな。いい意味じゃない」
「生意気な口、利いてるからでしょう」
「お世辞とかおべっかとか、心にもないこと言えないんだよ、俺」
「それでよく営業職が務まるね。空気読めってよく言われるでしょ」
「そんなの必要ないよ、今はまだ」
「今は?」
「同期・同僚はライバルだから。早く上に上がるためにはがむしゃらにやるしかない。その代わり自分に後輩や部下が出来たら、ちゃんと面倒見る」
「今そんなんで、急に空気読んだり面倒見が良くなるなんて出来るの?」
「今は意識的にやってるんだ。それに俺は中学も高校も大学も部活で部長を務めてきたんだぞ」
そう言って、ほら、と大きな左の手のひらを私に見せた。親指や小指の付け根の部分が赤く硬そうなタコになっている。
「これはどうしてこんなタコがあるの?」
「弓道やってると出来るんだ。触ってみ」
突然そんな事を言う。野島くんは戸惑う私の手を取り、そのガチガチの部分に触れさせた。
「…ほんとだ」
声になったかならないかぐらいの、やっとの思いでそれだけ言った。
野島くんが私の手首を掴んだ熱さと、タコに触れた時の硬く乾いた感触。
「真面目にやってたって、これでわかったろ」
「タコがあることが、真面目に部長を務めていたって、どうして言えるの?」
野島くんは「まぁな」と言って笑った。「でも弓道だけはずっと真面目に続けたんだよ」とも。
「弓道だけはなんだ」
「勉強も別に真面目にやったわけじゃないし、親の言うことはとことん聞かなかったからな」
「真面目に勉強しないでK大首席って、世の中ってやっぱり不公平ね」
それにしても…野島くんは案外 "人たらし" なのかもしれない。営業先から、先輩女性から好かれる理由が少しわかった気がした。歯に衣着せぬ物言いが、返って人たらしとなるギャップ。
話をする間も、野島くんの携帯には短い着信の振動が何度もあった。最初のうちはチラリと画面を見てはポケットにしまっていたが、そのうちカバンの中にしまい込んだ。
「出なくていいの?」
「うん」
「…彼女からとかじゃないの?」
からかうつもりで言った。けれど野島くんは私を一瞥すると「そんなんじゃないよ」と言った。嘘ばっか、と言いたくなる。
「“野島はあちこちで女に手を出してる”って、そう聞いてるだろ」
しかし訊こうと思っていたことを突如本人から切り出されて、私は言葉を呑んだ。何と言えば良いのだろう。
黙った事を肯定と受け止めたのか、野島くんは呆れたように椅子の背に持たれこんだ。
「俺の妙な噂が広まって、自分も一緒くたにされたら困ると思って、それで朝、来なくなったんだろ?」
「ち、違う…!」
手が僅かに震える。
「でも女同士集まってそんな話してるだろ。好きだねぇみんな。そういう話」
「それ…本当なの? なんか花咲さんとも一悶着あったって…。あの日の野島くんの額の傷と手の甲は、その時の怪我だったって…」
「俺、彼女とは付き合ってたわけじゃないんだけどね。勘違いされてたみたいで。ヒステリックにさぁ、物振り回してきて。怖いったらありゃしない」
「え…だってあの頃、彼女いるって言ってたじゃん」
「言ったか俺、そんなこと」
「言ったよ」
「じゃあそれ、嘘だな。俺もうしばらくまともな彼女なんかいないよ」
嘘…、どうして?
「まともじゃない人はいるってこと? 本当に色んな人と遊んでるの?」
「何だよ。飲みに行くことぐらい、いいだろ。少しくらい遊んだって」
「それだけ?」
「何が言いたい? あちこちで女と寝て、すぐ捨ててるとでも言いたいのか? 噂通りに」
「そんな…言い方しなくても…」
「俺、野口はそういう噂話を餌にする連中とは一線を画していると思ってたけど、しっかり輪に入っていたんだな。ちょっとショックだったよ」
「…!」
野島くんのその言葉に、私がショックを受けた。
違う。違うよ。大嫌いなの、本当はそんなの。
叫びたいくらいなのに震えて動かない。身体の芯が凍るような感じがした。
彼はグラスに半分以上残っていたワインを一気に飲み干し、しばらく黙り込んだ。そして嘲笑うかのような笑みを浮かべると言った。
「そうだよ。俺にとってセックスは握手みたいなものだからな。挨拶代わりだよ。それで "こいつ、なんか違うな" って思ったらそれ以上は無し。それだけのこと」
そう言って野島くんは視線を落とした。私は言葉を失う。重い沈黙が私達を包んだ。
「…帰ろう。今日は飲み過ぎた」
野島くんは伝票を持って立ち上がった。何も言えないまま後を追う。
#最終話へつづく
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