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【シリーズ連載・Guilty】あなたのうわさ #最終話

~冬の帰り道


「待って」

店を出た後もどんどん行ってしまう野島くんの後を追った。
ワインのボトルは1本と半分を空けただけだ。彼的には決して飲みすぎてなんかいない。

「待ってってば!」

思わず彼の右腕を引くと、すごい目で睨まれた。

「離せよ」
「…」

私も負けじと無言で睨み返す。彼の威圧感には到底敵わないけど。

「嘘だよね? いくらなんでも、そんな事する人じゃないよね」
「…」
「野島くん、頑張っている所見られたくないからって、朝早く来て、わざわざ別のフロアで仕事してたんでしょう? そういう、人に見せない…陰ながらの努力して、ちゃんと成果も出して。そんな野島くんのこと、ずっと誇らしかったんだよ…。絶対そんな人じゃない」
「お前、何わかった風な口利いてるんだよ。何もわかってないくせに」
「えっ…?」
「それが俺の全てだとでも?」
「全てって言われても…」

普段の野島くんのことは、殆ど知らない。だからって。

「全てなんか知らない…。でも…私が見ていた野島くんは絶対嘘じゃない。まやかしなんかじゃない。それだけは言える」

野島くんはどこか悔しそうに唇を噛み締めた。

「お願い。嘘だって言って」
「嘘じゃないよ。みんなそう言ってるんだから」
「おかしいよ。みんなが言ってるからって。野島くん自身の話じゃない!」

どうしてそんなことを言うの。どうしてそんな言い方をするの。
悔しいのはこっちよ。怒りと悲しみで涙が滲んでくる。

一方で、一度チラリと見かけただけの花咲さんの姿が朧げに浮かんだ。彼女がかわいそうというよりは、例えボロボロに傷つけられても、私はそっち側・・・・にいたかったという思いがこみ上げる。

もしも仮に、野島くんの言うように、握手を交わすように寝るんだとしたら。
野島くんに、女として相手にされたかった。
ただの同期じゃなくて。

「もし本当に本当だって言うなら、女の子たちは野島くんのことが好きで近寄ってきただろうに、それを踏みにじってる!」

自分は何もされていないのに、まるで自分の気持ちが踏みにじられたみたいだった。いえ、何もされていないからこそ、自分が虚しくもあった。

そんなに簡単に相手にするなら、私だって…。
でもそれすらも引っかからない私なんだ…って。

しばらく私を睨んでいた野島くんだったが、急に力が抜けたように眉を下げると、ポツリと言った。

「俺は本気で好きになれないんだよ」
「…どういうこと?」
「怖いんだ」
「怖い…?」

彼はしばらく黙り込んだ後、小さな声でポツリと呟くように話し出した。

「俺のことなんて好きになって欲しくない。俺は絶対、好きになった相手のこと傷つける。愛し合うことは互いをズタズタに傷つけ合うと。わかってるんだ。だから怖いんだ。誰かを好きになることが。好かれることが」
「どうして?…前に何かあったの?」

野島くんはそれには答えず、顔を背けた。

「そうだよ。俺は最低な男だ。自分勝手で、傲慢で、情け容赦ない。身体だけは素直だからな、欲情したら止められないんだ。だからする。でも情なんか湧かない。最低だってわかっただろ。尊敬なんかに値しない。誇りになんて思われる資格もない。もう十分わかっただろ?」
「…う、そ…」
「野口、…お前はバカなのか!」

そう言って再び私を睨んだ。でも、その顔は今にも泣き出しそうだった。

「えぇ…バカで結構よ」
「じゃあ、行くか。このままどこか休めるところへ」
「…えっ…?」
「嘘かどうか、実際に試してみたらいい」

野島くんの右腕が伸びて私の腰に回したかと思うと、ぐいっと引き寄せられた。あっという間に鼻と鼻がぶつかりそうな距離になる。

至近距離の野島くんの目は、やはり悲しい。それに反してかかる吐息に一度凍った身体の芯が一気に溶け出す。

「ほら、どうする?」

私の身体は震えていた。それを抑えるようにギュッと握りこぶしを作る。ただ、声の震えは止まらなかった。

「…行く…わ…」

辛うじてそう答えると、彼は手を離した。

「冗談だよ」
「冗談でも、誘ってくれたんだもの。行くわ。早く行こうよ」
「野口」
「私のことも、…女として扱ってくれるんでしょ」
「…ベッドの上でだけな」

恥ずかしさが勝ったのか、怒りが勝ったのか、咄嗟にどちらかわからなかったが、私は顔を真っ赤にして口を結んだ。そんな私の表情の変化に、野島くんは嘲笑を浮かべる。

「そうやって、女の人の怒りを買うようなことわざと言って、近づいておきながら遠ざけて。…でも私はそれを最低だなんて言わない。何がそうさせているのか知りたい。さっき野島くんは怖いって言った…その正体を知りたい」

私は両腕を彼の身体に回した。

「…抱きつくなよ」
「嫌だ」
「やめろ…抱きつくなって言ってるんだよ…!」

野島くんが腕を放しても、私は彼を離さなかった。彼は苦しそうに顔を歪め、もがき出した。

やっぱり野島くんが言っていることは、嘘だと思う。
握手を交わすように女の人と寝るなんて、そんなこと、絶対していない。
噂通りだろなんて言う割には、私がその噂を気にしているのではないかという事を気にしているなんて、矛盾している。

「何なんだよお前は…離してくれよ…」

負けじと私は腕に力を込めた。

「離せよ…俺に近づくなよ…俺は誰も好きになんかなりたくない…そんな資格はないんだ…」
「野島くん…そんなこと言わないで…」
「だから…抱き締めるなぁ!!」

喉の奥から振り絞るような声にハッとした。


彼は泣いていた。


「だめなんだ…俺は…だめなんだよ…」


私の腕の中で、彼は崩れた。

「前に…好きな人のことでつらいことがあったんだね?」

そう訊くと彼は目を逸らした。図星なのか。
もしかしたら、香水をくれたという前の彼女のことなのか。

私はしゃがみ込んで野島くんに目線を合わせた。

「…だったら話してくれなくてもいい。でもお願い。もう人を遠ざけるために変な噂で武装するのはやめて。野島くんのこと好きな人を傷つけて、自分はもっと傷ついてる。そんなのもうやめて」

涙で濡れた彼の瞳が、力強く私を見た。その唇は震えている。
こんな時でさえ、やっぱり野島くんは美しい人だと思ってしまう。どんなに彼が人を遠ざけようとしたって、彼は人を魅了し続けると思う。
そして同時に、弱い人なんだ、と思う。この人は本当は、とても脆くて弱い。

「野島くん…私に言ったよね。"私なんか" って言葉使うなって。自分を落とすことは謙遜でも美徳でもないって。今の野島くん、同じじゃん。自分を落としてるじゃん。それこそだめだよ、そんなの」

実は自分が思う通りに生きることが出来ない野島くん。
どうしようもないほど、愛しさが込み上げてくる。

だって…おこがましいけれど、私と似てる気がして。誰も賛同してくれないと思うけど。

私はしゃがみ込んだまま、もう一度野島くんを抱き締めた。今度は、そっと。彼もされるがまま私に身を委ね、私の耳元で鼻を、くん、と小さく鳴らした。私の鼓動が聞こえてしまうのではないかと思った。

「今日…付けてるんだな、あの香水…」
「うん」
「さっきレストランで、野口の手を掴んだ時、わかった」
「強すぎた? 飲食の場ではふさわしくなかったかな」
「いや、直接触れなければわからなかったよ」

野島くんがちょっと笑ったので、私もつられて笑顔を作った。
道端にしゃがみ込んだまま、私たちは少し俯いて、お互いの息遣いを感じていた。
通行人たちが奇異の目で私たちをジロジロと見るけれど、不思議と気にならなかった。

「ね…この香水、入社式の時、私じゃなくて他の誰かが同じように褒めても、その人にあげてた?」
「どうかな」
「私だからくれたの?」
「野口」

野島くんは私を見た。もう瞳は濡れていない。

「"私なんて" ってもう言わない。だから野島くんもありのままでいて。無理して武装なんかしないで」

彼は黙って頷いた。そうして私は諦めた。野島くんに、女として受け入れてもらうことを。
それでも私は強い気持ちで彼を好きだと思う。同期として、仲間として、彼を支えていきたいと強く強く思った。

守ってあげたい。これまたおこがましいけれど、心からそう思った。

そうして彼は私の腕を引き、2人して立ち上がった。手を取り合ってしばらくの間私たちは、見つめ合った。

「似てると思ったんだ」

ふいに彼は言った。

「え?」
「俺たち。どこか同じ匂いがするって。だからかもしれない」
「…何が?」
「香水あげた理由だよ」

触れ合っていた手と手がそっと離れた。冬の乾いた風が手のひらの熱と汗を奪っていく。


〜新しい季節に


最近の野島くん。


彼の姿はもう休憩スペースにはない。

わざわざ別フロアに行くまでもなく、朝自席に着けば、彼も自分の席でPCに向かっている。

相変わらず口は悪く、先輩や同僚は手を焼いているらしい。
ビギナーズラックと揶揄していた人には「本当に単なるビギナーズラックかどうか、新年度以降も勝負していきましょうよ。先輩もそろそろ本気、出してくれますよね」と朝礼の場で言い放ち、その場を凍りつかせたらしい。

同期女子たちはこう話している。

「最近のっしーの浮いた話、聞かないね」
「誰かから大目玉喰らったんじゃない? いくらなんでもヤバすぎだもん」
「そんなのに屈する男じゃないでしょー」
「あたしさ、最近聞いたんだよ。 “のっしーにフラれた” って話」
「どっから! 誰よ?」
「って事は本命登場ってことー?」
「えーっ、やばー! ちょっと、誰よぉ!?」

相変わらず、華やかなだ。


「おはよ」

野島くんの席のそばを通る時に声を掛けると、彼は顔を上げて「おぅ、おはよ」と返してくれる。

「相変わらず口が悪いって噂だね」
「お前、本当に噂話好きなのな。幻滅だよ」

そう言いながら彼は笑っている。私もふふっと笑う。

「聞こえてくるだけよ。聞こうとしているわけじゃない」
「あ、そう。物は言いようだな」
「でも…女の人とのことは、ちゃんとするようにしたんだね」

小声でそういうと野島くんは、一瞬キョトンとした後、ニヤリと笑顔を浮かべた。

「相手を選ぶようにしただけだよ」
「え?」
「身近な所は避けて、すぐにフラフラ言い回るような頭悪い女を相手にしなくなっただけ。外部でかつ、歳上の女性はいいね。その辺大人の対応してくれるから」
「野島くん…」

私の顔が強張ったかもしれない。野島くんはそれを見てまた笑う。

「野口って単純だよな。からかいたくなる」
「えっ…? どういう…」
「お前、せめてお前だけは俺のこと “のっしー” とか呼ぶなよ。虫唾が走る」
「よ、呼んでないし呼ばな…」
「あと」

野島くんは立ち上がり、わずかに顔を近づけ目の前で指を立てた。

「職場で香水は控えめにした方がいい」

パッと顔が熱くなった。慌てて手首の匂いを嗅いだ瞬間に始業のベルが鳴り「ほら、もう行け」と身体を押された。

嘘? からかっただけ…?

自席に着き、普段は斜め向かいに座っている女性の先輩社員に「すみません。私、今日、香水が匂うかもしれません」と言うと、先輩は顔を近づけてくんくん鼻を鳴らし「まぁちょっと甘い、いい匂いするかなって気はするけど、それほど気にならないかなぁ。あ、私の鼻がバカなのかもしれないけど。大丈夫じゃない?」と言った。

振り返ると、朝礼中の野島くんの後ろ姿が見えた。



真っ直ぐな背中は、窓からの朝に光よりも強く、やはり誰よりも美しかった。






END




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