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【連載小説】Berlin, a girl, pretty savage ~Moment's Notice #10
「梨沙! Morgen!」
毎日の康佑の挨拶にも慣れてしまったと思っていた梨沙だが、稜央が現れたことで再び他の男性には嫌悪感を抱くようになってしまった。
「…」
康佑も、最近ようやっと挨拶以外にも二言三言交わせるようになったのに、この日の梨沙は鋭い視線を向け何も言わなかった事に「おやっ?」と思ったが、構わず続けた。
「な、お前、クリスマス休暇はどうするの?」
ドイツの休暇は週ごとに微妙に異なる。ベルリン州の公立学校は、今年は12月22日から1月2日までクリスマス休暇に入る事になっていた。
「どうするって…別にどうも…」
「俺は日本に帰る。あ、餅とか土産に持ってきてやろうか?」
「いらない」
「気ぃ遣わなくていいんだぞ~」
「遣ってない。いらないものはいらない。余計なことしないで」
既に打たれ強くなっている康佑だが、それでも今日はいつもより風当たりが強い気がした。
「お前さ、日本が恋しくなったりしないのか?」
「全然。むしろ帰りたくないし」
「マジかよ! さすがに俺、ドイツの飯飽きちゃったんだよな」
「じゃあそのまま帰ってこなければいいじゃん」
「そういうわけにもさ~」
「食事に飽きただなんて、海外で暮らす根本が無理って言ってるようなものでしょ。だったらここで勉強する意味ってなんなの?」
「梨沙、今日はなんかキッツいな」
梨沙はぷいっと顔を背け、足早に去ろうとした。
「あ、ねぇ。今日授業終わったらさ、クリスマスマーケット行かね?」
「行かない! どうして私があなたと行かなくちゃならないの? 意味わかんない!」
振り向きもせず梨沙は大きな声で断った。
「ちぇっ…何だよあいつ、今日はやけに虫の居所が悪いな…」
ひとりごちな康佑をよそに、梨沙はこの先、できるだけ彼に関わりたくないと思った。
彼女の場合、人との関わり方はやや極端になる。自分の仲間あるいは好意のある人かそうでないかで、態度をはっきりと変える。
*
りょうさん、今頃もう日本ですよね。こっちの寒さとは全然違いませんか?
あ、でもりょうさん、どこに住んでいるか聞いてなかった。雪は降りますか? 私の日本の家は東京なので、雪はめったに降りません。
あれから稜央に毎日のようにメッセージを送信しているが、一向に返事はこない。
それゆえ、梨沙の中で稜央のイメージがどんどん美化され、膨れ上がっていく。
その反面、遼太郎が『忘れろ』と厳しい口調で言ったことが強く引っかかっている。
*
梨沙は食卓でもため息をつき、食事が進まない。
「リーザ、どうしたの? ミートローフは好きだって言ってたじゃない」
ランチの席でMutterが心配そうに声を掛けたが、梨沙は再びため息をついて俯くばかり。
数日前、いつもより遅い時間に帰宅した梨沙は寒さのせいか顔を真赤にし、頬も手も凍えるように冷たくなっていた。
何かあったのか尋ねても、黙ってすぐ部屋に籠もってしまった。様子を伺うようにMutterから司令を出されたEmmaが梨沙と話し、好きな人が出来たらしい、と報告してきた。
なぁんだ。微笑ましいことだと思ったが、今回の恋煩いはやや重症のようである。
「リーザ、あなた、ただでさえ細いんだから、たくさん食べないとドイツの寒い冬を乗り切れないわよ。どんな男性だって、健康な女の子がいいに決まってるわよ」
そう言っても梨沙は小さく頷くだけ。Mutterはため息をつき、言った。
「リーザ、ちょっと今日は私と一緒に出掛けようか?」
梨沙は少し驚き、顔を上げた。
「Emma、たまには私がリーザとデートさせてちょうだいね」
「どうぞどうぞ…って、別にリーザは私のものじゃないわよ」
そう言ってEmmaは快活に笑った。
*
どんよりと寒々しい曇天の中、2人はS-Bahnに乗り、Alexanderplatzのクリスマスマーケットに向かった。
「ほら、寒いけど、こういうところで温かいもの食べると美味しいよ」
そう言ってMutterは屋台でソーセージや肉、キノコに玉ねぎなどの煮込みを買ってくれた。
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確かに、凍えるような空の下でこの湯気は心もほぐれる思いだった。ハフハフとさせながら2人してソーセージを頬張る。
「リーザは若いし、こういうジャンクフード好きよね。たくさん食べなさい。これも良かったら飲んでみる?」
Mutterが差し出したのはGlühwein、ホットワインだ。梨沙は一口飲んで目を見開いた。温かいのにアルコール度数が高い事に驚いた。けれど五臓六腑に染み渡るとはこのことかと思うほど、熱が身体に染み渡っていく。
Mutterは笑っている。
「ホホホ、あったまるでしょう? あんまりたくさん飲むと酔ってしまうから、少しだけね」
言われた通り、ほんの一口のワインの効果か、気持ちもぐっと緩まった気がした。梨沙は煮込みをモリモリと食べだした。
「ほら、次は何食べる? あそこにあるクレープはどう?」
梨紗が答える前にMutterはもう店に向かい、しばらくして手にクレープを持って戻ってきた。Nutellaとチェリージャムが塗られた、甘い甘いクレープ。
「ため息をつくよりも、その分食べなさい」
「Mutter、そんなことしたら私太っちゃうよ」
「あなたは細すぎるんだから、ちょっと食べ過ぎくらいでいいのよ」
少し強引だが、嫌な感じは全くしない。
梨沙は家では母親にほとんど懐いてこなかったのに、Mutterと一緒にいるのは平気だった。
どことなく、小学校の時の堀先生に似ている気がしたからかもしれない。
そもそも物心ついたときから、母は "ライバル" だったわけだから。
「リーザ、恋は素晴らしいものだけど、みんなが出来るものでもなくってね」
Mutterはふいに話し出す。
「でも、ここにもこんなにたくさんの人がいるのに、世界のどこかで出逢って結ばれるって、不思議に思わない? もう奇跡よね。だってここにいる人たち、リーザにとってみたら、この先の人生、もう二度と会わない人たちばかりなのよ」
「…」
「その奇跡を起こすためにはね、俯いてため息ばかりついていたら、気付いてもらえなくなっちゃうからダメなのよ。上を向いて、なるべく笑顔で過ごすのよ。時には泣いてもいいの。でもずっとはダメ」
「Mutter…」
「神様は笑っている子には、きっと幸運を与えてくださるわよ。辛くても笑って過ごせたら、それはとても美しいことよ。きっとリーザに幸せが訪れるわよ」
梨沙はツンとなった鼻をすすり、甘いクレープを一口頬張った。
Glühweinのように、甘さと温かさが身体中に染み渡った。
そうしてふと、食べる手を止めた。
まだほんの小さい頃。
真冬の、あのいつもの高台の公園で遊んだ後に飲んだホットチョコレートの味を思い出した。
曇天で、冷たい風が吹いていた。
裸の枝を寒そうに揺らす木々、芝生は枯草色、グレイが広がる景色だが、何組かの家族がボールや遊具で遊んでいた。その遊具の赤・青・黄色のコントラスト。
蓮はまだ確かベビーカーに乗っていた。梨沙はおぼつかない足取りで遼太郎に手を引かれて歩く。
あんなに寒いのに、天気も良くはないのに、休日はよくみんなで行った、あの公園。
ベンチに座って、手を添えられて持ったカップの温かさ。甘い匂い。
『梨沙、あったかくて甘くて美味しいでしょう。梨沙チョコレート好きだもんね』
その声と手と笑顔は、母、夏希のものだった。
そんな事もあったな、と思う。
「Mutter、ありがとう」
梨沙は小さく呟くように言った。
#11へつづく
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