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【シリーズ連載・Guilty】あなたのうわさ #2

~夏の頃


その日私は月末の締め作業で手こずり、残業をしていた。第1四半期が過ぎ、早々に先輩から独り立ちさせられたため、時間がかかったのだ。

20時を過ぎた。多くの社員が帰宅していく中、その流れに逆流するように営業先から野島くんが帰社した。
スーツの足元はゲリラ豪雨に見舞われたのかびっしょりと濡れ、ジャケットを手にしたYシャツの肩も濡れていた。

私と目が合うと彼は「お疲れ」と言い「遅いね」と続けて足を止めた。

「月末処理だから、ちょっとね」
「あぁ、そっか」
「野島くんは今まで営業?」
「うん、まぁ」
「野島くんこそ、こんなに遅くまで。それに肩とか濡れてるじゃない。風邪引くよ」
「別に大したことないよ」

そう言って彼は自席に戻るとタオルで軽く肩を拭い、残作業のためかすぐにPCに向かい出した。

チャンスかもしれない。

僅かな時間でも、ちょっと雑談が出来るとか、駅までの道のりを一緒に帰るとか。
同期の中で抜け駆けをしたくなったと言えば、そうだと思う。
私も自分の作業を進める傍ら、頭の片隅でどのタイミングなら声をかけられるかと、思案した。

自作業にケリが見えてきた21時。既にフロアにはほとんど人が残っていなかった。チャンスだ。
私は野島くんの席の近くへ行った。第一課には数人の営業マンが残っていたが、皆PCに向かって没頭しているようだ。

「…どうかした?」

通路側の隅の席にいた野島くんは、私に気付くと振り向いて訊いた。

「野島くん、何時頃までかかりそうなの?」

その時、斜め向こうの2席離れた所にいた一人が顔を上げてこちらを見たが、同期であることを認識したのか、関心なさそうにまた顔を戻した。
一瞬何か言われるかと思ったが、ホッとした。

「そうだな…あと20〜30分くらいかと思うけど」
「そうなんだ…結構かかるね。22時前には終わらせないと、表の入口が閉まっちゃう」
「そこまでかからないと思うけど、まぁ月末だからな。逆にみんな早く上がれて羨ましいよ…ていうか野口も遅いな」
「ちょっと作業に手こずっちゃって。ほら、もう今月から先輩との共同作業を離れて一人でやってるから…」
「そうか」

そう言って野島くんは再びPCに向かった。私はどう言葉を継ごうかとその場に立ち尽くしたまま考える。

「何、どうしたんだよ野口。まだ何か言いたそうじゃん」
「あ…や、別に。あまり遅くならないように、頑張ってね」

トンチンカンな事を言ったなと思った。やっぱり自分からは誘えない。情けない気持ちで踵を返そうとした時だった。

「野口はあとどれくらいで終わるの?」
「え、私? …う~ん、あと20分30分か…それくらいかな」

何なら10分後には身支度も整えられるくらいだったが、わざと多めに言うと

「なんだ同じくらいか。じゃあ、終わったら飯食いに行かないか。めちゃくちゃ腹減ってるんだ」
「え…?」

まさかの向こうからのお誘いだった。舞い上がりそうになるのと同時に、信じられない気持ちになる。第一課の営業マンたちも、誰もこちらを見ていない。

「いいの? 私なんかで」
「…何? どういうこと?」
「あ、いや…別に…」

同期女子たちの会話が頭をよぎる。
でも私はただの同期であるし、コミュ障の私なんか、万が一でも彼の遊び相手にすらなるはずがないと思っていた。
ただの同期だから、ご飯も行くだけ。

それでも。

会社の近くの焼鳥屋。
遅い時間だけれどまだまだ界隈のサラリーマンで賑わっていた。カウンター席しか空いておらず並んで座ることになったが、その方が都合が良かった。気まずく正面から顔を見なくて済むし、何より距離が近い。

中生で乾杯したあとは串を適当に頼んだ。唐突に野島くんは言う。

「そういえばあげた香水、付けてないの?」
「え?」
「匂わないし」

入社式で彼からもらった『MIRANDA』のことだ。

「だって…あれ、職場にはちょっと強すぎるでしょ」
「確かに…じゃあ職場以外では付けてくれるんだ」

くれてるんだ、って…何、その言い方。図星だけど。

「あれだけ欲しがってたんだから、活用してくれよな」
「欲しがってたって…そんなことないでしょ? 野島くんが勝手にくれたんだよ」

少々ムキになってそう言ったが、彼はニヤニヤしている。いつもカバンの中に入れて持ち歩いてるなんて、言えない。

野島くんは串を平らげながらどんどんビールをお代わりし、私は2杯目の柚子蜜サワーを頼んだ。

「ところで野島くん、今日はどうして私なんかをご飯に誘ったの?」

そう尋ねると彼はキョトンとした顔をした。

「野口が遅くまで残ってたからさ…って全然普通のことだろ? 俺たち同期なんだし」

そう…。同期だから。
当たり前か…。知ってたけどね…。

「他の同期とも飲みに行ったりしてるの?」
「してるよ。まぁごく一部だけど。ご存知のように俺のこと嫌ってる奴が多いからさ」
「そんなこと…」

と言ったものの、事実は事実だ。
彼は社内で渦巻いている自身の噂は、どこまで把握しているのだろう。
野島くんは続けた。

「それより、私なんかって…どういうことだよ。会社でもそういう言い方してたよな」
「だって、普段は色んな人と飲みに行ったりしてるんでしょ」
「それでどうして "私なんか" になる?」
「いいでしょ別に…口癖なの」

彼は少し難しい顔をし、黙ってジョッキを傾けた。
その後の彼は愚痴をこぼすでもなく、誰の悪口を言うでもなく、ただ仕事に対する、自身に対する信念を滔々と語っていた。

「そういえば…」

私は話の切れ目にふと思いついたふりをして、彼に質問をぶつけてみた。彼の話に比べたら浅はかすぎて恥ずかしいのだが。

「野島くんってさ、彼女いるの?」

これまた彼はキョトンと目を丸くする。

「唐突だな」
「なんか、気になって」
「なんで気になるの」
「なんでって…」

私は動揺を隠すため、溶けた氷で薄くなった柚子蜜サワーを一口飲んだ。それを見抜いたのか、野島くんは薄く笑った。

「質問に質問で返しちゃいけないよな」

そう言って彼もジョッキのビールを飲み干し、お代わりを頼んだ。既に4杯空けている。そうしてつくね串に卵黄を絡めて頬張ると言った。

「いるよ」

ストン、と何かが落ちる。

やっぱり。あの人なのか。確か花咲さんって言ったっけ…。
でも彼女がいるのに、こんな風に他の女の子と飲みなんて行くなんて良くない。ましてや相手は社内の5つも上の先輩なのだから。

そのことを告げようとすると、

「野口さぁ」

不意に野島くんは身体をこちらに向け、頬杖をつきながら私を見た。
既にネクタイを緩め、外したシャツのボタンからやや血色の良くなった白い肌が見える。
ドキリとした。

「な、何?」
「私なんか、って言い方。やめた方がいいよ」
「え? なん…」
「自分で自分を落とすような言い方、やめた方がいいって言ってるの。口癖になっているなら余計。そんなの謙遜でも美徳でもなんでもないからさ」

そう言うと正面に向き直り、再びジョッキを傾けた。

彼の喉が鳴るのを、熱くなった身体で聞いていた。


~盛夏の頃


夏のボーナスの支給があり、既に同期同士でも差がついていることを知る。女子同士は自分のもらった金額は口にしなかったけれど、営業系の男子たちは「いくらもらったか」なんて互いで話題にしていたようだ。

私はランチタイムにいつもの同期女子たち…伊藤はるか、森本英恵はなえ、山本麻美らの会話で、他の同期男子が何を話していたのかを聞かされる。

「のっしーの持ち物がさ、財布とか一気にいい物に変わったからって "相当もらったって証じゃね、見せつけかよ" って、小林くんとかめっちゃ言っててさ」
「やばーい、仲間割れー」
「そもそも仲間でもないでしょ。部署違うし」
「でもそれって正しいボーナスの使い方なんじゃないの? 私だっていいカバン買いたいもん」
「まーねー。男同士はなかなか熾烈なんだろうね、知らんけど」
「つめた~い」
「逆に小林くんはもっと働けよって話か」

キャッキャとはしゃぐ声が胸に響く。

私は当然、彼がいくらもらったかなんて知らないし知りたくもない。仕事で成果を上げたから報酬をもらう。ただそれだけのこと。

でも、それにしても、野島くんは本人がいない所で本当によく話題に挙がる。彼自身は意に介していないようだけれど、本心はどう思っているのだろう。

先月末の残業の際に2人で焼き鳥屋に行ったきり、特に何の進展もない。付き合っている人がいるって、はっきり言われたから当然だけど。
あの時、それ以上何も言えなくなって、結局誰なのか訊いていないし、彼も名前を出すことはなかった。

それよりも、

『私なんか、って言い方。やめた方がいいよ。そんなの謙遜でも美徳でも何でもないからさ』

そんな風に言われたことが、少しショックだった。
野島くんと私は、違う。
あなたはいいよ。自信に満ち溢れている。それを裏付ける実力を持っているし。
でも私は、そんな自信なんてない。言いたいことすらきちんと言えないのだから。

「純代、聞いてる?」

英恵の咎めるような声にハッと我に返る。

「ごめん、ぼんやりしてた。何?」
「ボーナス入ったしさ、4人で旅行に行こうよって話」
「あ、あぁ…」

正直、休みの日まで会社の人と会いたいと思わない。ましてや泊りがけなんて。
どう言って断ろうかと考えを巡らす。

野島くんは入ったボーナスで、彼女と旅行に出かけたりするのだろうか。
どんなところへ。どんな風に遊んだりするんだろう。

そんなことを考えて自己嫌悪に陥る。
梅雨は明けても私の気持ちは歯切れの悪い雨が降り続くままだ。






#3へつづく


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