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Your scent is a felony #1 MIRANDA by Fragonard

私は匂いフェチなので、香りや匂いをテーマにした短編をシリーズ展開していきます。
『あなたの香りは重い罪なの』タイトルはそんな感じです。
初っ端から恐縮ですが、Fragonardの『MIRANDA』は現在は廃番になっています。

内定式

それは10月1日に行われた内定式のことだった。

まだまだ学生でいたいのに、春から社会人。
とても憂鬱な気分で参加した。

10月とはいえ、夏のような暑さが残っており、朝からの雨で不快指数は高かった。着なれないスーツが余計に不快度を上げた。ブラウスの首周りに浮き出た汗をハンカチで拭う。

内定式は本社のあるビルの近くの貸会議室で行われ、同期約40人が集まった。そこへ人事部の社員や会社役員なども来ているから、総勢で50〜60名近くはいるのではないかと思った。

同期の男女比はほぼ半々で、やや男性が多いかもしれない。初顔合わせなので皆ぎこちなく、様子を伺い合う。会社の特性上、出身学部はバラバラだった。

そんな中でも2〜3人で話をするグループがいくつか出来上がっていた。

私はあまり自分から話しかけることはないため、早々に椅子に座ってじっとしていた。座席はランダムで、どこに座っても良い感じだった。

内定書授与が行われた後、社長、役員が挨拶をした。
それが終わると内定者懇親会で、椅子が片付けられ立食パーティーとなる。若手の先輩者員も10人ほど入ってきて、そこそこな人数になった。

空気もフランクになったことから、同期の女の子2人が私に話しかけてきた。2人は式の前に会話をして仲良くなったらしい。
2人は胸の名札を見て言った。

「野口純代ちゃんね? 私、伊藤はるかです」
「私は森本英恵はなえ。よろしくね。純代ってカッコいい名前だよね」
「よろしく…。そうかな…古めかしいでしょ?」
「そんなことないよ。一周まわって凛々しい感じ! ね? はるか」
「うん! そう思う〜」

私はどうもこう言った「どうでもいいことを同意し合う空気」「急に距離を詰めてきてまるで以前から仲良かったかのように振る舞う」が苦手で閉口してしまう。

はるかも英恵も明るく華やかで、学校だったらちょっと派手なグループ、目立つグループに属していたであろうタイプ。
そのせいか男の子の同期も近寄ってきて、5人で紙コップに注がれたビールを飲みながらしばらく談笑していた。

それでも私はそういうことにすぐ嫌になってしまうから、食べ物を取りに行くフリしてその輪から離れた。

プチケーキやフルーツが並ぶデザートのエリアを選ぶともなしにふらついていると、ふわりとなんとも言えない “重さ” を持った甘い香りが、微かではあるが漂った。

それは食べ物の匂いではなく、誰かがつけている香水と思われた。

ココナッツやバニラのような甘ったるさの中にジャスミンが香るような、スイーツだけではない甘さを持った香りだった。
誰だろう? と思って見回してもそれらしい人はいない。

すぐ近くには男の子たちが5人くらい集まって楽しそうに話をしている。その輪の中にやたらと姿勢が良い男性が近づいていった。斜め後ろ姿をこちらに向けていて、顔も名札も確認出来ない。

その美しい立ち姿に少しの間、心を奪われた。

それより香りの主は誰だろう? 明らかに女性ものだ。

「純代〜!」

英恵のグループが遠くから私を呼んだ。笑顔を作り渋々と輪の中へ戻る。


入社式

4月1日。入社式。

いよいよ気楽だった学生生活の終わり、自由を奪われる社会人の始まり。
明日から2週間の研修が始まり、その後配属が決まる。

去年の10月の内定式以来に顔を合わせる同期たち。あちこちで「久しぶり〜」と声が上がる。私は当然、全員の顔と名前は覚えていない。
印象に残っている人は何人かいて少し見回してみたけれど、よくわからなかった。
ま、別にいいんだけど。

「純代! 久しぶり! 元気だった?」

式の前、早速声を掛けてきたのは内定式で話しかけてきた一人、伊藤はるかだった。
内定式後に連絡先も交換したはずだが正直名前は忘れていて、胸の名札を見て思い出した。
それにしても名前を呼び捨てにされるほど私たちは仲良くなったのだろうか?

「あ、伊藤さん。久しぶり」
「やだ~、伊藤さんなんてかしこまらないでよ、同期なんだから! それにしてもちょっと緊張しちゃうね!」
「あは…そうだね」

ぎこちなくそんなやり取りをしているうちに時間になり、所定の座席に着くよう指示があった。
あいうえお順の並びで指示されたので、伊藤はるかは前の方に行き、少しホッとする。私は真ん中辺り。

そういえば内定式ではもう一人女性がいたはずだが、早速遅刻なのかな、と思った…それもどうでもいいことだけれど。

やがて隣に人が近づく気配。
その時、ふわっと香った匂いにハッとした。

バニラやココナッツ、ジャスミン、アンバーが香る、とても甘いオリエンタルグルマン系の香り。

内定式後の懇親会の席で、なんて素敵な香りなんだろうと思った、あの香りだった。

でもあの時は他にも人がたくさんいて、すぐにどこかに紛れてしまって…。

その人の顔を見上げて、再びハッとした。

男性だった。

しかも確かこの人は懇親会で唯一目を引いた、背筋の良いあの彼のように思われた。
この香りはまさかこの人?
男の人もこんなに甘い香りを付けることがあるの…?

彼は隣に腰を下ろし、背筋を伸ばして真っ直ぐに前を見据えた。
座る瞬間に香りが渦を巻いて舞った。

彼は美しい横顔をしていた。
肌のきめが整っていて睫毛は長すぎず短すぎず揃っており、鼻筋も通っている。襟足にギリギリ掛からないくらいの後ろ髪が少しカーブしていて、喉仏のラインも美しかった。

私が見惚れてしまっていたせいで、彼はチラリと私を見た。

「何?」
「あっ…いえ…」

その声とこちらを見た瞳は、少し冷酷な印象を受けた。
胸の名札を見ようとしたが、真横すぎて確認出来ない。しかしあいうえお順で隣ということは「な行」か「は行」辺りで近いのだろう。

入口で配られた入社式次に新入社員名簿があったはず、と思いカバンの中から取り出そうとしたところに、人事部長の開始の号令が掛かってしまった。慌てて正面を向く。

開会宣言の後、社長の訓示、役員紹介、先輩社員からの激励等続く。
私はチラチラと隣を気にするけれど、彼は姿勢を崩さず真正面を向いたまま、私のことなど意に介す様子もない。

堅苦しい雰囲気が続いたが、明日からの注意事項などを説明するオリエンテーションになると少し空気が和らいた。

私は目を閉じて、香りを取り込むように鼻から大きく息を吸った。

「あの…」

そして思い切って話しかけてみた。
彼は再びチラリと私を見やる。

「香水、何かつけてる?」
「えっ?」

意表を突いたのか、彼は少し驚いた様子だった。

「その香り…内定式の時から気になってた」

その言葉に彼はしばしその視線を私に落とした。
これは好きになってしまうパターンだ。危ない、と思った。

「女物だからな」

前に向き直り、ポツリと彼は言った。

「やっぱり。女っぽい匂いが好きなの?」
「別に。女からもらっただけだ」

ここで早々に玉砕。
彼女がいるんですか、そうですか。そうですよね。

「そ、そうなんだ。でも頻繁につけるって事は気に入ってるんでしょ? あ、気に入ってるのは彼女の事の方かな」

自分でも何を言っているのだろうと思う。こういう話題は自分自身がうんざりするはずなのに。
しかも馴れ馴れしく。

案の定、彼もそんな私の言葉は無視した。私も黙って正面を向いて、そして俯いた。

こっそりとカバンから式次を取り出す。名簿から自分の名前を探し出し、隣の名前を探そうとした時、

「起立!」

号令がかかり、周囲が一斉に立ち上がった。驚いて慌てて立ち上がる。
新入社員の代表がマイクの前に立ち、挨拶をした。
誰だあれ。
でもよくありがちな、ハキハキした優等生タイプ。私が絶対に仲良くならなそうな。

"よろしくお願いします!" のところで新入社員全員も唱和して頭を下げる。私は全部慌てて後にならった。

「では新入社員の皆さんはこちら側に集まって頂いて、集合写真撮ります。名前順でなくてもいいです」

人事担当者のアナウンスが流れ、周囲も急に賑やかしく入り乱れた。隣にいた彼もあっという間に席を離れ、彼の周囲に人が集まりだす。

私は唇を噛み立ち尽くしていると、森本英恵と伊藤はるかに両脇を固められ会場前方に集合し、私たちは先頭で腰を屈め集合写真に収まった。

あの彼はどこにいるんだろう?

「純代、何キョロキョロしてるの?」
「誰か探してる?」

両サイドからの質問に「何でもない」とだけ答える。

撮影終了後は懇親会だ。
座っていた椅子を片付けるために荷物を取りに席に戻った際、オリエンタルグルマンの彼も戻ってきた。

それだけで心臓が高跳ねした。
しかしあろうことか、彼は胸の名札を外し胸ポケットの中にしまっていた。

彼はまたチラリと私を見ただけで、プイッとすぐに行ってしまった。すぐに同期の男女数人が彼にまとわり付いていた。

私はじれったくなって舌打ちしたい気持ちだった。

式次を開く。『野口純代』の次にある名前を見る。

「野…」
「純代ー!」

森本英恵と伊藤はるかがまたすぐに寄ってくる。彼女ら以外の同期女子も何人か一緒に。
もどかしい。何なの、と思う。

あきらめのため息をついて、彼の輪から背を向け別の輪へ紛れた。

* * *

終業時間となり、懇親会もお開きとなった。
同期の中ではそのまま飲み会に行こうとする人たちがいて、参加者を募っていた。

「純代、行かない?」

英恵が声を掛けてきたが、私は断った。苦手なのそういうの、とは言わずに。

それでも半分くらいの同期は帰り支度をしていた。
あのオリエンタルグルマンの彼を探す。彼はまだ数人の輪の中にいた。

まぁこれが最後ではないし、明日から同じ研修を受けるのだから、話すチャンスはいくらでもあるだろうと思い、トレンチコートを羽織って会場を後にした。
そして式次からようやく名前をチェックする。

ロビーに降りた時、背後から「野口」と声をかけられた。

振り返ると驚いたことに、それはオリエンタルグルマンの彼で、こちらに駆け寄ってくるところだった。

私の名前を呼んだ。いとも簡単に。
私はあなたの名前を知るのに苦労していたのに。

呆気に取られていると、彼はポケットから金色の瓶を取り出し、私に差し出した。

「気に入ったんなら、あげるよ」

私の手の中にやって来たそれは『MIRANDA』と書かれていた。

「これ…」
「そもそも女物だし、半分くらいしか残ってないけど」
「え、でも…彼女からもらったって…」
「もう別れてるし、俺自身は別に思い入れがあるわけじゃない。手元にあったからつけてただけだから」

じゃ、と彼は踵を返した。

「あ、か、帰らないの?」

彼は振り返り「飲み会に誘われてるんだ」と言った。
あぁ、そっち側・・・・の人なのね。

その後姿を見送りながら手のひらのボトルをじっくりと見る。ずっとポケットに入っていたのだろうか。人肌の温かさがあった。

瓶は金色のステンレス製で、グレイのラベルに『Fragonard MIRANDA』とあった。30mlのスプレーボトル。

金の蓋を外すとあの甘い甘い香りが濃く漂った。でもすぐに、香りの後に彼の冷たい目つきがおりてくる。なんというギャップなんだろう。

恐る恐る左の手首にプッシュし、手首同士をこすり合わせる。
そして外へ出た。


明日からの研修も、名前順で席に着くのだろうか。


ね、野島くん。


私が明日この香りを纏っていったら、単純な、軽い女だなって思うかな。
それでもいいから、きっかけになればそれでもいいから。

明日から。




END

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