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【連載小説】奴隷と女神 #9

夏休みのパリ旅行からの帰国後、お土産を口実に西田部長に会おうと思った。
部長会の時にチラチラと見たら勘づいてくれるかもしれない。

案の定、会議中に何度か目が合うと、西田部長は苦笑いを噛み殺していた。

会議終了後の廊下で話しかけられる。

「松澤さん、ちゃんと議事録取ってたんですか?」
「取ってましたよ! それよりパリのお土産があるんです。お渡ししたいので、ご飯行きませんか?」

お土産の件を小さな声でそう告げると、西田部長は目を丸くした後、少し言い淀んでいたが「いいですよ」と言ってくれた。
早速ですが明日はどうですか、と提案したら「明日はちょっと。来週の金曜なら」とOKしてくれた。

「ありがとうございます! あ、それであの、こういうやり取りを会社の携帯でするのはちょっと気が引けるので…、連絡先を教えてもらえないですか?」

私も勢い付いていた。そんな大胆なことを会社の廊下で(もちろん周囲に人はいない状況で)よく言えたものだなと思う。

西田部長はまた目をぱちくりさせて、ズボンの尻ポケットからプライベートのスマホを取り出し、QRコードを差し出してくれた。
私も急いでそれを読み込む。

そんな私を見て彼はため息をついた後、困ったような顔をして、笑った。

彼は私のこと、悪くは思っていない。
何なら私が近づこうとしていることを、わかって・・・・いる。

* * *

約束の翌週金曜日になったれど、結局入手した西田部長のプライベートの連絡先には待ち合わせのお店の情報を送っただけで、メッセージを入れることはしなかった。軽々しく使うと、それなりにしか思われないような気がして。

けれど当日、定時まで後1時間という時に彼の方からメッセージを送って来た。

ごめんなさい。約束の時間より1時間くらい遅れそうです。

ちょっと悲しくなった。会える時間が減ってしまう。

いえ! お忙しいと思うので大丈夫です。 先にお店に行ってますね!

何でもない振りを装って返信する。既読は付かなかった。

週末だから店は予約してしまったため、一人で先に行くことにした。

本来の待ち合わせは18時だったけれど、早くとも19時、でももっと遅くなるかもしれない。それを一人で待つのは正直、つらい。

店に連絡したけれど、やはり週末ということもあって時間の変更は出来ないと言われてしまった。
仕方なく18時に店に入り、一人待つ。

お酒の力を借りた方がいいかと思い、グラスワインを頼んだ。

週末でもあるし、周囲はカップルばかりだ。この中のどれくらいの人が本当の・・・恋人同士なのだろうか?
幼馴染かもしれない。男友達かもしれない。ただの同僚かもしれない。
そして、不倫なのかも…。

ワインをチビチビ飲むけれど、時間は一向に進まない。夕方送ったメッセージの既読すら付かない。

ため息をつく。

頬杖をついてテーブルに置いたスマホでただSNSを眺めた。何も頭に入らないし、膨大な情報の大抵はどうでもいいことだった。真実のことかもわからないし。

19時を過ぎた。流石に店員さんも気を遣って「何か注文されますか?」と訊いてきた。私はもう少しで来ると思うので、と断った。

19時12分、ようやく既読が付く。思わずスマホを手に取る。

今終わりました。遅くなってごめんなさい。すぐ向かいます。19時半には着くと思います。

返事が来た。胸が高鳴ってどうしようもない。

大丈夫です。焦らずゆっくり来てください

心にもないことを返信する。本当は1分でも1秒でも早く来て欲しいのに。

そして19:35、西田部長は姿を現した。
黒スーツのジャケットを手に持ち、白いシャツにラベンダー色のネクタイ姿だった。

「遅くなって本当にごめんなさい!」

席に着くなり平謝りした。私は余裕の振りをして全然大丈夫ですよ、と笑顔を作った。

「金曜日ですし、部長職ともなれば突発的な対応は避けられないと思いますから」
「言い訳はしないです。僕の対応力がまだまだなんだ」

よほど急いだのか額の汗をハンカチで脱ぐいながら心底困ったような顔をした。

そしてふわっと、あの香りが漂う。
『ENDYMION』だ。
いつものレザーに更にシトラスが加わった感じ。
これがトップノートの香りなのかな。そうしたら会う前に付けて来たってことなのかな?

私は彼に少しだけ顔を寄せ、わざと鼻を鳴らした。

「あ、この前松澤さんが気に入ったって話していたから、来る前に少しだけ付け足したんです。でも汗かいてしまったから、酷いことになっているかな」

照れた様子で西田部長は言った。

「やっぱり。トップノートの香りかなって思いました。全然酷くなんかないです」
「鼻が本当によく利くんですね」
「犬並みかもしれないです」

そう言うと西田部長はようやく笑ってくれた。

「じゃあ今香水の瓶、持っているんですか?」
「いえ、アトマイザーです」
「そうですか」

そこから互いにグラスワインと、料理を2品程頼んだ。

私はパリで買ったお土産…日本未上陸の『Jacques GENIN』のボンボンショコラとエッフェル塔の置物を渡した。
エッフェル塔には西田部長も笑ってくれた。

「ありがとう。部屋に飾りますよ」

それからパリでどんな所を周ってきただとか、仕事の話などをし、入社の頃の話になった。

「松澤さんが6年目っていうことは…今28歳? 女性に歳を訊くのは失礼を承知の上で訊くけど」
「はい、今年28歳になります。西田部長は…」
「僕は40になるんだ。だから多分同じ…」
「酉年ってことですね!」
「ちょうど一周り違うのか!」

どうでもいいことだけれど、少し嬉しくなった。

西田部長が遅く来たこともあって、21時までという席の時間があっという間に迫っていた。

「松澤さん、今日はまだ時間ありますか?」
「あ、はい。全然大丈夫です。」
「良かったら別の店に移動しませんか。僕が大遅刻したので、お詫びします」

断る理由など何もなく頷くと、西田部長はレシートを手にしスマートに会計を済ませた。

店を出ると「目黒で飲むのはどうですか」と提案して来た。

「松澤さんの家も近いし、僕もタクシーですぐ帰れますから」
「どこでも大丈夫です」

すると西田部長は早速目の前を通りかかったタクシーを停めた。

「タクシーで行っちゃいましょう」

2人して乗り込むと西田部長は「目黒駅の東口ターミナルまで」と告げた。




#10へつづく

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