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【連載小説】Berlin, a girl, pretty savage ~Father Complex #2

遼太郎との滞在が始まった最初の週末、2人は市内のショッピングモールに出かけた。
もちろん梨沙にとっては、音・光・人混みの三大苦の場所であったが、父と一緒だと耐えられる。不思議だった。

恥ずかしいからだめだと言う遼太郎の言うことを聞かず、梨沙は腕を絡めて歩く。

梨沙の着ている大きなサイズの黒いプルオーバーパーカーは遼太郎のものだ。それをワンピースのように着、細い脚を際どく覗かせている。
自分の荷物を漁って着る梨沙に遼太郎は自分の服を着ろと嗜めるが「もう着ちゃったもん」と舌を出す。

こんな風に遼太郎はいつだって梨沙の行動に呆れるが、結局強く咎めもしないため、梨沙も調子に乗るのだろう。

主に日用品を買いに来たのだが、梨沙は特に何か自分の欲しい物をねだるわけではなかった。
物よりも時間の方が大事だった。

「パパ、お腹減った」

2人はモールを出て近くにあるImbissインビス(軽食スタンド)に向かい、梨沙はドネルケバブのサンド(ベルリンではDönerデュナーと呼んだりする)を頼んだ。
こちらでは両手で持たなければならないほど、ものすごいボリュームだ。

ベルリンのDöner(食べかけでスミマセン…)2022年12月撮影

梨沙はDönerを一口頬張ると、美味しい!と声を上げ、遼太郎にも差し出す。遼太郎は "いいよ" と顔を背けたが、梨沙がしつこく差し出すので大きめの一口をかじった。

その際に遼太郎の口の脇についたソースを舐めようと、梨沙は唇を寄せた。

「お前…外でそういうことはするなよ」
「どうして? 挨拶のキスと何が違うの?」
「全然違うだろうが」

遼太郎はそんな梨沙の額を小突く。

運悪く、そんな様子を傍から見ていた若い女性3人組がいた。その内の一人は見覚えがある。梨沙の語学学校のクラスメイトであるスペイン系アメリカ人のElianaエリアナだった。彼女は梨沙より2つ歳上である。

あまり言葉を交わさなくても何となく合わないなと直感する人はいる。梨紗にとってElianaはそういう存在だった。恐らく彼女にとっても同じ。

だからElianaと目が合った梨沙は罰が悪そうな顔をした。彼女が遼太郎と梨沙を交互に見、一緒にいた子達に何か耳打ちをして、イジワルそうに笑った。

梨沙がキっと睨む。

「どうかしたか?」
「どうもしない。それよりあっち行こ」

梨沙は片手にDönerを持ったまま、遼太郎の腕を引いてぷいっと反対方向へ歩きだした。
そしてやけになってDönerにかぶり付いた。

しかし数分もするとそんな怒りもスッキリと治まる。

「そうだパパ、行きたい所があるの。ボーデ博物館」
「あのベルリン大聖堂の近くにある、島の先の博物館か」
「うん、気になってたんだけどまだ行ってないの。ね、連れてって」

梨沙は遼太郎の手からいくつかの買い物袋を分け持ち、S-Bahnに乗ってHackescheMarktハケシェマルクト駅で降り、シュプレー川沿いを歩いた。
すぐに大きな円蓋を載せた白亜の石造りが美しい建物が見えてくる。

ボーデ博物館(2022年12月撮影)

入口で荷物を預け、エントランスホールに入ると騎馬像が出迎えてくれる。
ドーム型の屋根を見上げると明かり取りの窓からの光で白く輝いて見えた。

ボーデ博物館エントランスホール(2022年12月撮影)
ボーデ博物館エントランス、フリードリヒ大王騎馬像(2022年12月撮影)

ビザンチン様式の彫刻や正教会の宗教画、中世のコインなど、珍しいものが多く展示されている。
小部屋のたくさんある広い館内は人も少なく、コツコツと密やかに鳴り響く靴音が心地良かった。

ボーデ博物館エントランスホールから入った所のKamecke Halle(2022年12月撮影)
ボーデ博物館内、モザイク画(2022年12月撮影)

彫刻にはあまり興味のない梨沙だったが、モザイクや細工のような彫り物などには見入ってしまう。するといつの間にか遼太郎が別の部屋に移っていて、慌てて駆け寄って腕を掴む。

「置いてかないで」
「梨沙は好きなものじっくり観たらいいよ、せっかくなんだから。俺はあまり良くわからないから流しちゃうけど」
「離れたら嫌だ」

そう言って両腕で遼太郎を抱え込む。遼太郎はため息をついて梨沙の腕をそっとはがした。

「2階にカフェがあったな。ちょっと休んでいくか」
「うん」

吹き抜けになっているエントランスが見下ろせる場所にムゼウムカフェがある。

ボーデ博物館2階のカフェ(2022年12月撮影)

普段ならMineralWasserミネラルヴァッサー(ガス入りミネラルウォーター)かApfelschorleアプフェルショーレ(アップルサイダー)の梨沙だが、遼太郎の真似をしてブラックコーヒーを頼む。
そうして砂糖もミルクも無いまま一口飲んで、顔をしかめた。

「無理するなよ」

可笑しそうに笑った遼太郎はミルクを貰ってくれた。悔しいけれど梨沙は自分のカップにミルクを落とす。
それに大きなサイズのいかにも甘そうなチョコレートケーキ。梨沙が一口フォークで差し遼太郎に向かって差し出すので「それはいらない」と顔をしかめた。あまりにも甘そうだったので。

「さっき、知り合いがいたのか?」

Elianaのことを訊いていると思い、梨沙は途端に嫌な気分になる。

「知らない。その話はしないで」
「仲悪いのか」
「しないでってば!」

やれやれ、と遼太郎は口を噤み、吹き抜けを見下ろした。

ふうふうと冷ましながらカップを両手で持ったまま、梨沙は遼太郎の横顔を盗み見る。
背もたれにゆったりともたれかかり、膝の上で組まれた指は長い。そもそも彼の手はとても大きい。
更に脚を組んでエントランスを見下ろす父の姿は、それだけで絵になると思った。ここに置かれているどの作品よりも素晴らしい。

梨沙はふと思いつき、持ち込んだサコッシュの中からタブレットとペンを取り出すと、そんな遼太郎のスケッチを始めた。

「何描いてるの?」
「動いちゃダメ!」
「俺を描いてるのか?」
「いいから、ジッとしてて!」

遼太郎は照れ臭くなり、吹き抜けの階下に顔を背ける。梨沙はその横顔から組んだ脚までの稜線を丁寧に描いた。

「出来たら見せて」

顔を背けたまま遼太郎が言うと、すぐさま「ダメ」と答えが返る。

「何でだよ」
「ダメなものはダメ」

遼太郎はこちらに向き直り頬杖を付いて梨沙を見ると、隙きを見てタブレットを奪おうとした。梨沙は慌てて伏せる。
遼太郎も面白がって更に奪おうとする。

「本当にダメだってば! 恥ずかしい」
「なんだよ、モデルになってやったんだぞ」

無邪気な父の顔を見て梨沙は思う。

こんな男性ひと、世界中のどこを探したっていない。

そう考える自分は、たぶん普通じゃない。

そもそも、生まれた時から普通じゃない。自分の特性はこの目の前の父から与えられたものだ。
日本の小学校でいじめられたり、中学校で先生からお荷物扱いされても、遼太郎は "自分を否定すべきではない”と教えてくれた。

だから父を男性として愛する自分を、肯定した。皮肉にも。




#3へつづく

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