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【連載小説】Berlin, a girl, pretty savage ~Childhood #12

ASDは男性よりも女性は気づきにくいと言われている。女性の方が社会的適応をうまくやっていく、もしくはあからさまに表に出さない傾向が強いと言われている。

梨沙の場合、日本の幼稚園で、ドイツの小学校で、帰国後の小学校で、育った環境のせいなのか元々の気質なのか判別のつかないことも多かった。

一般的な感覚からすると、梨沙はとても感受性が強かった。多くのことに敏感だった。共感覚はその一端であろう。
強い光が苦手で、蛍光灯のような煌々としたツルッとした光は特に嫌いだった。家にあった蛍光灯は遼太郎が全て取り替えた。
またどんなに小さな灯りでも点いていると眠れない。一人で眠る時はカーテンの隙間も決して作らないほど部屋を真っ暗にして眠る。

特定の音も苦手で、時計の秒針の音が気になってしまうので、家にある時計は全て秒針のないものだ(デジタル時計は光らないものに限った)。

小さな話し声でも気にしだすと無視できない(ヒソヒソ声は返って苛立った)。
眠る時は耳鳴りがするほどの静寂を求める。
以前遼太郎と一緒に寝ていた時は、隣で眠る遼太郎が時折かく鼾でもすぐに目が覚めてしまい、そんな時は頬に触れると収まるので、そうしていた。
ただ遼太郎は時折うなされることもあり、そんな時もすぐに目覚めてしまう。それでも当時は一緒に眠ることをやめなかったが。

ショッピングセンターなどは光も音も人混みも全て居心地の悪い対象だった。

会話は思ったことをズバズバと言うのは先に述べた通りで、喜怒哀楽も激しい。

人見知りをするくせに、小学校の一時期をドイツで過ごしたせいか、海外や人と関わることには強い関心を持った。誰にでも同じように社交的に接するのではなく、狭いキャパシティの中で強い結びつきを求める傾向がある。

けれど人と会った後や、楽しいことの後。
発散した感情に対して脱力や放心してしまったり、自己嫌悪に陥り周囲を遮断することがある。
目まぐるしく変化する感情に、日本の学校では奇異な目で見られることもよくあった。

それでも刺激を求めることをやめられない。

***

梨沙が6年生になる春。
遼太郎は27年ほど勤めた会社を退職し、起業した。ベルリンにいた頃、社内プロジェクトのコンサルチームを持っていたが、それをきっかけにし、ついでにデータサイエンティストを雇ってコンサル会社を立ち上げたのだ。
執行役員とて社員であることには変わらず、50歳になったことも相まって「そろそろ本格的に好き勝手やろう」と決心した。

退職を聞いた社長は「お前に会社を乗っ取られずに済んだ」と笑った。
かつての部下たちは遼太郎の退職を心の底から惜しんだが、既に会社には "営業" をかけており特定の部署では取引を行おうとしていることから「取引先になるとやりづらいな」と苦笑いしながらも、関連を持てることを喜んだ。

そしてその頃には梨沙が受けていた帰国子女いじめはやや落ち着いていた。
ただはっきりした物言いや態度、目立ちたがり屋という周囲の見方は変わりなかったけれども。
そこは遼太郎からも "自分を曲げなくていい" と言われていたからだ。ただ逃げたり壁を作ったりせず堂々と立ち向かった。

そうすることで "度胸のあるやつ" という見方をする子供たちも少なからず出来ていた。

ただやはり友達と呼べるような子は少なかった。作らなかった、と言った方が正しい。
そんなこともあって中学は別の学校に行きたい、と梨沙は言い出した。さすがに夏希も遼太郎も反論はしなかった。

こうして再び "お受験" が始まったが、日本史の成績以外はほとんど問題のない梨沙は呆気なくパスした。
入学祝いに遼太郎は "腕時計" をプレゼントする。

「これって…」

それは文字盤に蝶、文字盤の裏にはLOTUSの花模様に『L』のイニシャルがあしらわれており、縁はほんのりとしたピンクゴールド。遼太郎がつけている腕時計もピンクゴールド系だ。
隆次に頼まれた遼太郎は、夏希に品物を見繕ってもらった。夏希も古い知り合いで梨沙のこともよく知っている成瀬美羽…今は飯嶌美羽、に相談した。
もちろんこのお祝い品には隆次も出資している。

「腕時計、はめてみたら邪魔かと思うかもしれないけれど」
「ううん…すごくきれい。嬉しい!」

梨沙は嬉しさのあまり遼太郎に抱きついた。
そうして隆次の言葉を思い出した。彼は気持ちを落ち着かせる時に、遼太郎からもらった腕時計を見る、と。
きっとそれだ。私にもそういう "お守り" を持たせようとしてくれたんだ。

「隆次叔父さんにも "ありがとう" って言っておいてね」

耳元で囁く梨沙に「なんだ、隆次の入れ知恵だって知ってたのか?」と遼太郎は照れくさそうに言った。
梨沙はふふふ、と笑った。

***

中学入学前に梨沙は遼太郎に連れられて再び心療内科の診察を受けた。
ASDと断定できる顕著な症状が見られないことで、医学用語ではないものの「HSP」と呼ばれる気質の定義もあるという。簡単なテストのようなもののを行った後、

「HSP。Highly Sensitive Presonの略です。繊細さん、などと呼ばれたりしていますね。聞いたことありますか?」

医師の言葉に遼太郎は首を横に振った。

「心理学用語なので診断名ではありません。梨沙さんの場合はHSS型HSP、刺激追求型内向的HSPという少数派のタイプと思われます。この辺りASDの症状ととてもよく似ているものもあるので、はっきり境界するのも難しいですが、梨沙さんは強い人見知りがあるものの、特徴的なコミュニケーションの問題や常同行動が認められません」
「そうですか…」
「ただ繊細さんであることには違いないので、疲れやストレスを溜め込まないように、一人で落ち着ける環境を確保したり、いつでも話せる誰かを何人か持っておくようにしたりすることが大切です。共感覚もあるようですから、余計にストレスを抱える要因もあるでしょう。免疫力やホルモンバランスが崩れると不安症を引き起こすなど二次障害を併発したりしますから、何に対しても当たり前のことですが、規則正しく生活することも大切です。梨沙さんはもう生理が来ている? 生理痛や生理前の気分の落ち込みや身体の変化が辛かったら、婦人科に行って低容量ピルを処方してもらうのもいいですよ。お薬で改善できることはたくさんありますからね。悪いことじゃないんですよ」

偏食家で身体の細い梨沙は、まだ生理は来ていなかった。もし始まってPMS(月経前症候群)が酷いと感じたら、婦人科を受診するよう言われた。おそらく精神面にも影響しやすいことを懸念してくれたのだろう。

病院を後にした2人。
結局娘も "グレイゾーン" なんだな、と遼太郎は思った。

「パパ、私なにかの病気なの?」
「病気とは違う。梨沙が生まれ持った気質に名前がついているだけだ。直そうとしなくていいんだよ」

そう…そもそも直せるものではない。治すこともできない。本人には "普通であること" を求めないことが大切なのだ。注意すべき・変わらなければいけないのは周囲の方だ。家族・仲間が「梨沙とはこういう人」と受け止めることが大切なのだ。

とはいえ、果たして幼少期にドイツに行っていなかったらどうなっていただろうか、とふと思う。
けれどそんなこと考えたって無意味なこともよくわかっている。
幼少期ドイツに行かなかった梨沙は、この世のどこにも存在しないのだから、比べようがない。

「じゃあ…私は隆次叔父さんとは違うってこと?」
「まぁ、そうだな」


隆次とは違うけど、俺と同じなんだよ、梨沙。
まぁ、当たり前だよな。俺の娘なんだから。

でも、尖った才能を持ってる分、俺よりも優秀だ。
蓮…、あいつもそうだ。
芸術的才能が、お前たちの人生を助けてくれる術になると信じている。


けれど遼太郎はそれは口にせず、2人は家路へと向かった。




#13へつづく

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