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【連載小説】あなたに出逢いたかった #3

8月に入るとすぐ夏希の誕生日があり、食卓でささやかなパーティが開かれた。

先だっての休日に遼太郎が子供たち2人を買い物に連れ出し、梨沙も蓮も小遣いからささやかながらもプレゼントを選んだ。梨沙はいつも何をあげてよいかわからず、クッキーだのチョコレートだの(真夏なのに)、お菓子で済ませていた。蓮はタオルハンカチを選んだ。

遼太郎は毎年小さな花束とワインを用意する。ワインは初めて2人だけで会った時に、2人を繋いだアイテムだからだ。

蓮が「初めてお母さんにあげたプレゼントも花束とワインなの?」と尋ねると、遼太郎はいや、と首を振り「ピアスだよ」と答えた。

当時仕事で訪れたチェコでガーネットが特産であることを知り、同僚からのアドバイスもあってガーネットのピアスを日本にいる夏希に贈った。
紅い石…情熱的な愛の象徴のようで、梨沙は羨ましくなった。

「パパ、私も欲しい。今度のお誕生日に買って」
「ピアスなんて、お前は未だ子供だからダメ」
「じゃあ何かアクセサリーが欲しい。ずっと身に付けていられるもの。未だ子供って言ったって私、もう17になるんだよ」
「前にあげた腕時計があるだろ」
「アクセサリーがいいの!!」

そう訴えても遼太郎は曖昧な表情を浮かべ、なんとも答えなかった。
梨沙は兎にも角にも、早く大人になりたかった。

「そうだ梨沙。今年はお前も京都に行くぞ。再来週だ。準備しておけよ」

取り直すように遼太郎にそう言われ、毎年8月の盆休みに遼太郎の友人の墓参りを兼ねて家族で京都に出掛けていた事を思い出した。

「うん、もちろん行く」
「僕だって行くよ」
「えぇ?蓮も来るの? 受験生じゃなかった?」
「僕はもう推薦取ってるから」
「へぇ。音楽? 電車? どっち?」
「後者だよ」
「音楽は諦めたの?」
「最初からそれで将来を目指してないよ。趣味で良いんだよ音楽は」
「ふーん。趣味のために随分お金掛けさせてるんだね」
「自分だって留学してお金掛けさせてるでしょ!?」

姉弟喧嘩に発展しそうなのを遼太郎は制した。

「梨沙は絵で進学するんだよな」
「じゃあお姉ちゃんは画家にでもなるつもりなの? なれるの、そんなの?」
「短絡的に言わないでくれる?グラフィックデザイナーだっていいし、もしかしたら隆次叔父さんみたいにプログラマになるかもしれない」
「それって無駄な勉強しにわざわざ大学行くってことだよね。いいの、それで?」
「蓮、言い過ぎだぞ」

遼太郎がかばってくれたので、梨沙はドヤ顔を蓮に向けた。しかし蓮は特に気に留めるでもない。

「夏希はどうする? 京都」
「私…今回は留守番してようかな。京都、暑いでしょ」

夏生まれなのに夏希は最近暑さに弱い。そして以前は家族がバラバラで過ごすことはトラウマだったが、梨沙の留学をきっかけに鍛えられたようだ。

こうして3人で京都に向かうことになった。

京都の友人は遼太郎の大学時代の学友で、名を正宗と言った。酒蔵の息子らしい名前だ。
彼は家を継ぎたかったのだが、複雑な家庭事情と軋轢でその夢を断念し、自ら命を絶った。

正宗は生前、遼太郎の家族に会いたがっていた。それは叶わず仕舞いだったが、だからこうして毎年、子供たちを連れて訪れるようにしてる。

子供たちが初めて京都を訪れたのは、梨沙が9歳、蓮が7歳の時だったと思う。その時梨沙は墓地で正宗の姿を認識する。梨沙が子供の頃は特に強い共感覚があった。梨沙はその様子を絵に描いてくれた。

正宗の姿は光の柱だった。神々しいとはこういうことか。

涙が溢れた。

そして自身も送り盆の夜、まるで龍が山から天に昇っていくかのような、光の筋を目にしたのだった。

盆休みで混雑した東京駅。ホームには帰省や観光客で溢れかえっている。

14番線ホームからのぞみ号に乗り込むや否や、蓮は真っ先に3列シートの通路側席に着席する。本当は窓際に座りたいが、乗り物にあまり強くない梨沙のため空ける。しかし気を遣うというよりは文句を言われるのが面倒くさいだけだ。
その2人の間に遼太郎が座る。

蓮はさっそく新幹線の車両型式による流体力学的な違いについてなど、鉄道蘊蓄話を繰り広げる。遼太郎はそれを理解しているのか否か、うんうんと頷きながらも頬杖をついて、車窓の外を遠く眺めている。

京都駅で下車すると、早速まとわりつく熱気と湿度に出迎えられる。夏希が嫌がるのも無理はない。

駅近のホテルに荷物を下ろしてから昼食を取り、奈良線に乗って宇治まで行く。

梨沙が正宗の姿を認識したのは最初の年だけで、以降は朧げにしか見えないという。遼太郎も "光" を見ていない。それが少し寂しかった。

けれど道中はいつも正宗が見守ってくれているということは、何となく感じていた。
例えばそれは、電車に乗り込むと通り雨が降り、降りると止むとか。
あるいは食事に入った店で、混んでいそうだなと思っても1テーブルだけすぐに空く、などといった事だ。

京都に来るとこんな風な "小さなラッキー" がたくさんあった。
それは正宗がもたらしてくれているのだと、何となく遼太郎には思えるのだった。

“おもてなしやで”

そんな正宗の声が聞こえてきそうだった。あいつらしいな、と思う。

宇治に着き途中で花を買い、寺院の入口で線香を一輪買う。
蓮が振り回して炎が上がった。線香がよく燃えると霊魂が来訪を喜んでくれる、とは言うものだが、遼太郎ははしゃぐ蓮を窘めた。煙の苦手な梨沙はバケツに水を汲み、少し離れて歩く。

正宗の墓には比較的新しい花が活けられていた。
先祖代々の墓のようだから正宗のために墓参りされているわけではないかもしれないが、来訪者がいると思うと遼太郎はホッとした。

アイツは親父・・と同じ墓で眠れて、良かったんだろうか。まぁ、良かったんだろう。帰りたがっていたからな。
俺は同じ墓に入るなんて虫唾が走るが、と墓石に刻まれた戒名を眺め思う。

子供たちがバケツの水を墓石の頭から掛け、名に滴っていく。
「涼しんでね」と蓮が声を掛ける。

そして梨沙も蓮も、大人しく手を合わせる。
遼太郎も目を閉じ手を合わせながら、未だに "何故自ら命を絶たなければならなかったのか" と問う。

正宗が久しぶりに遼太郎に連絡してきた時は、もう既に腹をくくり最後の最後を振り絞って会おうとしてくれたのだ、とは思う。地元京都が好きで、離れたくない、終えるならこの地で、というのもわかる。

けれどやはり思いとどまってほしかった。久しぶりに俺に連絡するくらいだったのだから、今を変えたいきっかけが欲しかったのではないか。
死ぬ気になれば何だって出来るはずだ。ちょっとの間東京に出てきて、俺の近くで生気を養ってくれれば良かったのに。

別に死ぬことはなかったじゃないか、正宗。

何年経ってもその思いは消えない。

遼太郎の瞳に光るものを見ると、子供たちも黙り込む。
毎年自分らを連れて墓参りに行くということは、父にとって相当特別な人なのだ、という事は、もう2人共よくわかっている。

「よし、じゃあ行くか」

遼太郎がそう言って立ち上がると、ようやく子供たちも表情を緩める。2人は「またね」と墓石に向かって手を振る。

墓地の外に出る頃はすっかりいつも通りに梨沙は遼太郎にじゃれつき、蓮はそれを小馬鹿にして、姉弟の小競り合いが始まる。

京阪線で鴨川を遡上し、終点の出町柳から鴨川土手をのんびり歩きながら下ることにした。

「梨沙、今日も正宗のこと、見えないか?」

尋ねる遼太郎に梨沙は首を横に振った。けれど

「でもいてくれてるの、パパもわかるよね?」
「電車の中では3人並んで座れたな」
「さっきお昼食べた時も、デザートサービスしてくれたし」

蓮は "何の話?" と言わんばかりに首を傾げている。

「いてくれてるよ」

梨沙の言葉に、遼太郎の胸も温かくなった。

「私、その "正宗さん" に会ってみたかったな」
「ほう、どうしてだ?」
「だってパパがここまで大事にしている友達だもん」
「まぁ…死んでしまった奴にはこっちから会いに行かないと会えないだろ。まぁだからといって生きているならいつでもどこでも会えるってわけでもないけどな」

そうして遼太郎は2人の頭を撫でて言った。

「でもそれを聞いたら正宗喜ぶよ。あいつ本当に、お前たちに会いたがっていたんだ」
「どうして?」

蓮が尋ねる。

「俺がまさか子供を持つなんて思ってなかったからだと思うよ」
「どういう意味?」
「俺は結婚するタイプじゃないと思ってたんだろ」
「なんで?」
「なんでって…」

その先は流石に素直に言いづらかった。"女に対して非常な奴だったからな" と正宗に言われたとは言えない。結婚するまでの遼太郎の女性関係は、確かに人に言えたものではないことも多かった。

「パパがずっと結婚しないでいたら、いつか私と出逢っていたかもしれないのに」

梨沙の言葉に蓮は大笑いした。

「お姉ちゃん何言ってるの!? お父さんが結婚していなかったらそもそも僕たち生まれてないよ。そんなこともわからないの?」

梨沙が怒って手を挙げる前に、遼太郎は彼女の右手を抑え込んだ。

「ま、蓮の言うことは最もだ」

けれど梨沙は切実だった。


"私はパパに出逢いたかった" と。






#4へつづく



【関連作品紹介】

遼太郎と正宗の物語はこちら↓

子供たちを連れて初めて墓参りに訪れる物語はこちら↓


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