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【連載小説】明日なき暴走の果てに 第2章 #5

正宗は京都の夏の風物『川床』を予約していてくれた。
京懐石の店で、正宗の言った通り最も川側の特等席だった。

座敷だったため胡座をかき、まずはグラスビールで乾杯した。

「一度来てみたかったんだ、こういうところ」
「俺も初めてやなぁ」
「京都の人なのに、ないのか?」
「そんなん言うたって、東京の人かて誰もがもんじゃ焼きを食べに月島に行くわけちゃうやろ? 屋形船も乗らん東京人だっておるやろ?」

正宗の言うことはもっともだ。

2人は季節ならではの鱧や鮎を堪能するためにすぐに日本酒に切り替えた。

「うわー、ほんまにうまいな。風もちょうどえぇし、最高やな」
「本当にな。でも料理の味から言ったら、お前が昨日部屋で出してくれたやつも劣ってないぞ」
「ほんまか、嬉しいなぁ。本気で店出したろかな」

正宗は少し伸び始めた顎髭をさすりながら、ニヤニヤと嬉しそうに笑った。

「遼太郎は常連さんになってくれなあかんからな」
「京都まで通えないよ。東京で店出してくれるなら毎日通うよ」
「あかんあかん、東京はあかん。京都に通いー」
「なんでや!」

2人はとてもリラックスして、心から夏の川べりで酌み交わす酒を楽しんだ。

「8月はあの山が大文字焼きになるんやで」

川の向こうにある山を眺めて正宗が言った。

「五山送り火か。一度も見たことないな」
「観に来たらえぇやん」
「来月だろ? 急すぎるな」
「なんや、せわしないふりしよって。お盆休みちゃうんか?」
「家族と予定を入れているんだ」
「ちょうどえぇやん。連れて来や」
「暑い時期は避けるって言って、お前も "そうせぃ" 言っただろう?」

2人は笑い合って盃を重ねた。

料理も一通り食べ終わり、酒だけをちびりちびりとやった。遼太郎は顔色一つ変えず平然としているが、正宗は赤ら顔だ。

「遼太郎、来てくれてありがとな。ほんまに」

山を眺めていた正宗がふいにポツリと言った。その顔はどこか儚げだった。
遼太郎はついに尋ねる。

「…どうして急に連絡してきて俺を呼んだんだ?」
「う~ん、どうしてやろなぁ…。なんか急に思い出したんや」

暗い川べりに川床の灯りが落ち、カップルがほぼ等間隔で座っている、その背中を照らしている。
その後ろを老若男女がそぞろに歩いている。

「まぁ、いいけどな」
「でもお前、会社も変えずに結婚もして子供も2人いて…ほんまびっくりしたわ。遼太郎は順風満帆で、さすがやな」

「正宗、俺は決して順風満帆なんかじゃない。それよりお前がどうしたのか、本当は何かあったんじゃないかって気になっているんだ」

「…俺のことなんかどうでもえぇねん。ただお前に会いたかってん。あん頃のお前…特に2年になってからちょっと俺もビビるくらい尖るようになったやろ。あの女のせいで…。あん頃遼太郎、やばいこともぎょうさんやりおったから腹立つこともぎょうさんあったけど。なんかな、そないなことでそないな風に変わるお前が、妙にカッコよくてな。俺が絶対に出来ひんこと、お前やりよるから、ほんまに…」

「それはいわゆる "発作" も絡んでるから、何もカッコいいことなんかない」

「いや、人はないものねだりやからな。自分が出来ひんことは何でも羨ましくなるもんや。俺にとってお前は最たるもんやった。根っこは一緒やのに、伸びてく枝葉は全然違う」

「正宗…何かあったんなら話してくれよ。俺のこと、そこまで認めてくれているなら尚更。話しても何も出来ないかもしれないけど」

「何かしてもらおなんてこれっぽっちも思ってないで。俺はお前に会えてほんま嬉しかった。それだけや。ほんま、来てくれてありがとな。俺、友達ほんまにおらんから」

「じゃあどうしてこのタイミングで連絡して来たんだ。20年近く音沙汰なかったくせに」
「お前かて俺んことなんか忘れとったやろ?」
「…」
「何度か連絡しよ思うてたんやで。所用で東京に出ることもあったしな。でも何を話したらえぇんやろ思うて、連絡できひんかった」

遼太郎は思う。

正宗は本当は実家を捨てたくない、離れたくない。
この街のことも心から愛している。
だから大学院を出て京都に戻ってきたんじゃないのか、と。

「実家とは何年連絡取ってないんだ?」
「取ったで最近。親父倒れた聞いてな」
「そうだったのか。見舞いに顔出したってことか」
「いや、行ってへん。俺は返ってそのことで二度と家の敷居は跨げへんこと悟ったさかい」
「どういうことだ?」

正宗は虚空を見つめ、そしてうなだれた。

俯いたまま、らしくなくボソボソと言葉を垂れた。

「学生ん頃、ずっと『どうせ俺は妾の子や』って言うてたろ?」
「あぁ…」
「妾の子やなかったん」
「そうだろうと思っていたよ」
「俺の親父は…お爺だったんやん」


遼太郎の思考が一瞬止まり、処理が出来なくなる。

「え、どういう…」
「おとんとおかんの間に生まれたんやなしに、お爺とおかんの間に出来た子供やってん」

さすがに遼太郎も衝撃を受け、言葉をなくした。

「気持ち悪ない? 俺、そんな子なんやで? おとんもずっとそのこと知らんでさ。お爺が亡くなったのが俺がちょうど高3の頃やってんけど、そん時知ったみたいなんや。それで多分家の方も俺に継がせるわけにはいかへんかったんやろうな。俺が家継がん言うた時は "しめしめ" 思うたに違いないんや」
「正宗…お前がそれを知ったのはいつなんだ?」
「それがこの前や。親父が倒れたって知った時や」
「お前…それで…なんて」
「弟から連絡きたんよな、末っ子の。"一応連絡しとくけど" 言うてな。でも兄さんは帰ってこれへん。親父は兄さんには会いたない、呼ぶな言うてるって。わしら家族は知ってるんや、ってな」

遼太郎はそれ以上なんと言葉を掛けてよいかわからず、茫然と友の顔を見つめた。
正宗もじっと見返し、やがて泣き笑いするかのように表情を崩すと賀茂の流れを見やった。

酒好きの正宗は当然家の影響があっただろう。
本当は家に帰りたかった。
けれど「お前に帰る家はない」と言われた。

おそらく少年時代から、家庭内での違和感は感じてきたのだろう。

それが…このような結果になるとは。

「きしょい話してかんにんな、遼太郎」
「いや…何と言っていいか…」
「何も言わんでえぇ。慰めもいらんしな。遼太郎やから話してしもうた。お前はこないな重たい話も受け止めてくれる思うて、つい話してしもうた。ほんまかんにん」
「正宗…」
「俺の居場所…なんかようわからんくなってしもうてな。そしたらまるで何かのお告げのようにな、遼太郎のこと思い出したんや。すがる思いでお前に連絡したんや」
「…」

遼太郎はやはり、今の自分の身の上を語ろうかと思った。

正宗の中で強く印象に残っている、大学時代に遠距離恋愛していたあの彼女との間に実は息子がいて、それが最近になって目の前に現れたこと…なんて話をしたら、どんな顔するだろうか?

気味が悪いのはお前だけじゃない。そして俺がいかにクズかってこともわかっただろう? と。
そうしたら正宗の気持ちが、少しは軽くなるだろうか?

「正宗…俺…」

けれど、自分の問題にすり替えることも出来なかった。

「奇異な人生なのはお前だけじゃない」
「遼太郎、俺は守るべきものなんて何も持ってへん。真っ裸やで」
「何を言ってる正宗、大丈夫だから」
「…呑み過ぎてしもうたな。あまりにも楽しすぎて調子ん乗ってしもうたわ。ぼちぼち帰ろか」

フラつく足で立ち上がろうとする正宗を遼太郎は支えた。

「正宗の部屋まで送るよ」
「やーめときー。俺ん家来たら一気に貧乏くさなってまうで」
「構うもんか」
「せっかく高級川床まで来て、えぇ飯とえぇ酒呑んだんやで。このままグランヴィアのふっかふかのベッドで休んでくれ」

そう言って立ち上がると、正宗は店に「タクシーつけてくれんか」と頼んだ。

しばらくして到着したタクシーに遼太郎を乗せると正宗は「グランヴィアまで」と運転手に告げた。

「お前は乗らないのか?」
「俺は地元の人間やで。歩いて帰るわ」
「結構酒入ってるじゃないか。危ないぞ」
「こんなん日常茶飯事やし。大丈夫やって」

ドアを閉めて走り出す車の窓を開け、遼太郎は顔を出して叫んだ。

「正宗、朝飯食いにホテルまで来い! 朝一でだぞ! いいか!? わかったか!?」

正宗はヘラヘラと笑顔を浮かべ、ヒラヒラと手を振った。




第2章#6 へつづく

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