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僕は、あの人にはなれない。

素敵なドラマや映画に出会うたび「私もいつか」と
来るはずもない「いつか」を思い描いては胸を躍らせる。


来るはずもないいつかなんて、悲観的な言葉を使うのは
全てがフィクションだから、なんて興ざめなことを言いたいからじゃない。
理由はもっと別のところにある。


人として、女として、教育者として、
私の心を突き動かす「憧れ」の存在は多い。

けれど、どんなに頑張ったところで、私はその「憧れ」にはなれない。

どんなにその存在に憧れたって、
少しでも近づこうと必死に努力したって、

その「誰か」と全く同じ存在になることなんて、
できやしないし、そもそも、なる必要なんてない。


素敵な「人」に出逢うたび、
来るはずもない「いつか」を思い描いては胸を躍らせる。

自分磨きという言葉の裏で
私たちはいつも自分を磨くことはせず、
自分を見知らぬ「誰か」に変えようと必死になる。

どんなにその人が素晴らしくたって
どんなに私が頑張ったって

「誰か」と全く同じ存在になることなんて、
できやしないし、そもそも、なる必要なんてない。


「自分を磨く」とは、「憧れの存在になろうとする」ことじゃない。


その「誰か」が教えてくれたことを、
自分の糧にして、自分だけのものに育てていくこと。

私は、柊一颯のような教師にはなれない。

けど彼が、このドラマが、教えてくれたたくさんのことを
明日からの自分の糧にし、私だからできることを探して
毎日を、生きていくことはできる。

それが「自分を磨く」ということだと、私は思う。


私は、彼にはなれない。
けど、それでいいんだと思う。

それにしても、すごくいいドラマだった。



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