「私に故郷はないです。」

 私に故郷はない。これは別に焼き払われたりダムや海によって沈められたりしたわけではない。ただ帰る場所がないだけだ。

「実家はないです」

 私の父はいわゆる転勤族で、私が生まれてから2回転勤した。1度目は私が静岡で生まれた直後千葉へ、2度目は小学校三年生の頃栃木へ、といった感じだ。その後、私が高校入学のタイミングで関西へ転勤が決まった。しかし、私は志望校への入学も決まっており、仲のいい友人もいたので栃木に残りたいと言い、結果単身赴任という形で父一人が京都へといった。そして3年経ち、私は高校を卒業して栃木を出て単身東京へ出た。このときはまだ栃木を故郷と思っていた。
 しかし、私が出た直後母は就職をし、地方へ転勤が決まった。姉が栃木に残ってはいたが、1人で住むには広さも家賃もありすぎるため、結局今まで住んでいた栃木の家を引き払うこととなった。私は家に置いてきたアルバムや思い出の品などを急いで取りに帰り、持てるだけ持って住んでいた家に別れを告げた。私はそれまで「故郷」と呼べた場所に帰る家をなくし、私にとってはもう「故郷」ではなくなってしまった。

「"生まれは"静岡です」

 もちろんそこでできた友人や通った学校など、様々な思い出はある。しかし、大学へ入って自己紹介の機会がある。するとたいてい「地元はどこ?」「出身はどこ?」なんて聞かれる。皆さらっと答える中で、私はこの質問につい時間を取ってしまうのだ。
 「出身」といえば生まれた「静岡」かもしれない。が、そこから出身地トークになるとほとんど住んでいなかったし、物心もついていなかったため、全くできないと言っていいだろう。一応祖父母の家があるため、定期的に行ってはいたが、それも半ば旅行に行く感覚であった。
 「千葉」に関しては、記憶も思い出もあるが、今はもう住んでいた場所がどこかでさえあいまいだ。当時の友人とは年賀状を送り合ってはいたが、東京へ出てきてからはやらなくなってしまい、今は何をしているのかさえ分からない。
 そして一番長く住んだ「栃木」だ。ここは「地元」と呼べるかもしれない。だが祖父母の家がある静岡と違って、どことなく行きづらい。姉の家はあるが、あそこは姉の家であって、自分の物を雑に置いていっていいような場所ではないし、姉には姉の生活があるから、気軽に行けるわけでもない。(実際、大晦日に行ったときは彼氏と家で過ごすと聞いて、私は翌昼まで帰らないようにしていた。)
 こんな風に考えて、結局「生まれは静岡です」なんて答えることが多い。私にはどの答えも、どことなく薄っぺらく感じてしまうのだ。生まれてから高校卒業まで栃木に住んでいた友人の答える「実家は栃木です」という言葉と、込められた何か違いを感じるのだ。

「どこでもいいです」

 東京に出てきてから3,4年が経ち、だんだん卒業後の就職の話が出てくる。自分の所属している大学は、海外志向の人間が他所より比較的多く、語学スキルが活かせたり、外国企業に就職したり、なんて話まで聞く。だが、高校からの友人や、一部の大学の友人から「地元で就職する」という言葉を聞くこともあった。私は「東京に出てきたのにわざわざ地元に帰るのか」なんて思わないでもなかったが、この言葉が出る前に彼らから「実家もあるし」という発言を聞いて、口をつぐむことがままあった。
 私は、大学を卒業したら親の手を離れ、本当に一人になる。気軽に帰れる場所はどこにもなく、一人でやっていくしかない。「実家」という、ある意味縛るものがないのは、色々行ってみたい私にとっては良かったと言えるかもしれない。帰る場所もないし、縛るものもない。だから私にとって就職先は「どこでもいい」のだ。

「帰りたい」 

 昔父と二人で喋っているときに、父がなぜ今の会社勤めているのか聞いてみたくなった。私としては普通に聞いているつもりだったが、少年時代のエジソンみたく「なんで?」を連発しすぎたのだろう、少し問い詰めているように聞こえたらしい。そのとき父がポロっと「まあ転勤が多くて、お前に「故郷」みたいな場所を与えてやれなかったのは申し訳なく思ってるよ。」なんてことを言ってきた。当時の私としては父が珍しく自分に謝ったことを驚いた程度で、内容の方は気にも留めていなかった。
 しかし、私は「実家」が亡くなった頃から、どこか浮いているのに沈んでいるようなフワッとした感覚を覚える。地に足がついていないのにどこにも向かえないような、そんな感覚だ。そしてそのフワッとした感覚が呼び起こされるたびに、「帰りたい」と思ってしまう。そんなとき、父の言葉が、過去から、その存在感を増して、追いかけてくるのだ。

「私の帰れる場所はどこですか」

 昨今転勤族、ましてや帰国子女まで珍しくなくなってる世の中で、私のような人間は少なくないと思う。正直、この文章を書いた理由の一つには「仲間探し」もある。似たような境遇の人たちが、この気持ちとどう折り合いをつけているのか、教えてほしい。そうでないと私は、自分の故郷を探したまま、どこにも帰れなくなりそうだ。

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