登戸の撮影をしたら、西尾の妙なエピソードを発掘しまくれた話
福島のエピソード発掘が楽しくて登戸でもやってみた
先日福島市に行ったときに20年前に西尾が塾講師だったことを辿ったことがあった。
あれは非常に面白く、勿論本人もそうですが妻もフォロワーさんも楽しんでくれたことが印象にのこりました。まぁ妻にとっては電動アシスト自転車の便利さが一番印象に残ったようですがそれは仕方ない。
そしてコメント欄でjoshさんから第二弾、第三弾が読みたいというご要望をいただきました。
なるほど。
その発想があったか!
地元の登戸と、高校のある桜上水と、大学のある六会。少なくともここには大量に西尾史が詰まっていて、一つ一つの場所は何の変哲も無いけど、思い出話が加わることで記事に出来る。
よし。
やってみるか。
私はあらゆるアレルギーが反応する体質らしく、スイッチが入ると鼻水が止まらなくなるので定期的に薬をもらっていますが、この病院が登戸なので昨日足を運んだついでに登戸界隈で写真を撮りまくることにしました。
ただ。
写真の数が多すぎるので、今回はダイジェストでエピソードを2行くらい披露します。
恐らく1つの写真に対して1本の記事が書けるので、今回の写真を使って相当な期間記事を書き続けられるのではないかと思いますので、ご要望が多いものから優先して記事にしていきます。
皆様、何か読みたいエピソードがありましたらコメントいただけますようよろしくお願いいたします。
なお、過去に記事を既に書いたものもありますが、それについては記事を紹介しておきます。
さぁ、前置きは長くなりましたが、写真館行きます。
ヤバい看板の店「源氏」
これは2代目ですが、初代の看板がマジでホラー映画です。初代の写真もあります。駅降りてすぐなので、友人が来ると必ずひびりまくっていました
デカ盛り街中華の店「らーめんはうす」
ショボいと思っていた街中華も、地元を離れると超ありがたいという話を書いた、例の店です。
川崎市の歌を流して回る、ゴミ収集車
ゴミの時間になると流れる軽快で悲しいメロディー。実は川崎市民の歌で、殆ど誰も歌えなかったけどふとしたきっかけで2万人が大合唱することに。
西尾の鉄板ネタ「おべんとうのK」
各所で衝撃を与えた「おべんとうのK」です。ただ、おべK自体は閉店しており、今は宿河原の「ファミリー弁当」のみ残っています。
地元の遊園地「向ヶ丘遊園」
ここが5分で行けたので私はディズニーランドには36年行きませんでした。閉園から20年経過し、完全に廃墟です。
生まれ変わった向ヶ丘遊園「藤子・F・不二雄ミュージアム」
向ヶ丘遊園の跡地の一部が藤子・F・不二雄ミュージアムとしてオープンしました。これが出来て街も色々変わりました。アド街すら来ました。
臭くて美味いちゃんぽん屋「丸福」
臭い。
美味い。
でも臭い。
閉店は誠に残念。母と行ったときのことはなかなか忘れられません。
隣の小学校「稲田小学校(稲小)」
色々思い出はありますが、一番思い出されるのは子供会の相撲大会のことです。相撲ライター西尾克洋のとある得意技が猛威を振るい、大変なことに‥。
地域を流れる用水路「二ヶ領用水」
地域住民に親しい川は多摩川ではなくこちらです。桜も綺麗、ザリガニも居る。歴史の授業で川崎市民はこれを作った「小泉次太夫」さんこのとを必ず教わります。
ダメな大人が居るゲーム屋「ガレージ」(閉店)
この辺ではダイエーくらいしかゲーム買えるところが無くて、基本定額だったんです。ですからここが出来てちょい安く、中古なんかも置いてあるのは嬉しいことでした。ダメな大人が近所の子供とゲームやるような店です。
制服を作るのは紳士服「タイシン」
中学校の制服は大体ここでオーダーすることになります。ただ、私達の中学校の制服はちょっと変わっていまして‥。
名前の出せないラーメン屋(閉店)
子供の頃から存在は知っていましたが、基本的に客ゼロ。店主が客席で新聞読んでいるタイプの店でした。ラーメンが非常にまずいらしく‥。
意外と不便な「宿河原駅」
登戸駅はこの界隈では中心的な役割を果たしますが、隣の宿河原になるとだいぶ閑散としています。中学生になると「宿駅(しゅくえき)」なんてダサい呼び方を始めたのがなんともこっぱずかしい。
駅前の銭湯「みどり湯」は良いたまり場
剣道の試合の後で、一旦帰って食事してから19時くらいにここに集結してみんなで風呂入るのがやけに楽しかった覚えがあります。サウナで耐久戦やったり。
本が多すぎて入れない本屋(閉店)
本屋なのですが、どういうわけか足の踏み場もない、いや、通路すら本が大量に置かれているので、どうやっても買いたい本を手に取れない謎の店でした。なんだったんだろう。
掘っ立て小屋の書道教室、絵画教室(閉店)
5歳くらいの頃からここに通っていました。汲み取り式のトイレで、本当に戦後間もない頃の佇まいでしたが、ここの先生が好きで。
例のラーメン屋をまずいと知っていてとあることをする、ちょっと変わったところのある先生でした。
行きたくて仕方なかったはずの「玉幼稚園」
兄が幼稚園に行くと毎朝私も行きたいと泣いて例の父を困らせていました。
ただ、通ってみると退屈だし、周りの子とイマイチ仲良くなれないし、毎日おままごとに付き合わされるし‥
地域のエリート養成機関「多摩高校」
ここはヤバい。
偏差値68はヤバい。
私も目指しましたが流石に不安が残ったので日和りました。ここの卒業生を一人フォロワーの方で知っていますが、絶対に敵わないと思っています。
ちなみに剣道の稽古に行ったときに同級生のシロタくん(仮名)がやらかして「シロタ君ぶん殴られ事件」を起こした現場だったりもします。
剣道が強いのは養心館道場のせい
稲田中学校(稲中)剣道部が関東大会に行くほど強かったのはここの存在が大きいです。
地域的に子供の頃から剣道に親しい環境があり野球か剣道をやる土地柄なのですが、私の代は前代未聞の事情がありまして‥。
噂の稲田中学校剣道部(稲中剣道部)
稲中卓球部が大流行した90年代半ばに大打撃を受けた我が稲中剣道部。
県大会に行くと本当に大変な目に遭っておりまして‥
愛憎入り交じる川崎市立稲田中学校
3年間の愛憎が詰まった学校です。良いことも悪いことも大量にあります。この界隈だと選挙の投票はここに来ることになるので変な汗かきます。
そういう場所です。
ボーイスカウトキャンプ地(閉店)
中学校の前にボーイスカウトのための施設(というか、キャンプ出来るような土地)がありました。剣道部にもボーイスカウト経験者が多かったのですが、それが理由でシロタ君がひと騒動やってくれまして‥
野球をやったNECグラウンド
子供の頃によく少年野球のメンバーで野球しに来た場所です。野球の練習がある時だけでいいのに、なんか楽しかったんでしょうね。校庭が使えないときはここに来ていたのですが‥。
遊び場といえば多摩川(一級河川)
ボートが1時間500円で借りられたり、釣りに出かけたり。遊び場といえばここでした。
ちなみにドラマ「岸辺のアルバム」で流域の家が流されていましたが、あれはこの辺りが舞台です。
この堤防が出来たおかげで3年前の台風でも浸水が近隣で唯一無かったようです。
恥ずべきランドマーク ホテル「Yesterday」
登戸が半笑いで語られる大半の理由がこれです。
小田急線から見える登戸のランドマークは、ラブホテルです。本当に恥ずかしい思いをし続け、ネタにされ続けた、地域を象徴する建造物です。
入ったことは、ありません。
雨の日は多摩川陸橋ガード下
少年野球チーム「南武ペガサス」の練習が雨だといつもここでルールブックの読み合わせをしていました。
あまりに熱心な監督「キノシタさん」の指導は独自過ぎたのですが、南武はその影響で強くなります。
川沿いの危ない飲み屋(閉店)
何故川沿いで店舗営業してよいのかはよく分かりませんが、何故かここは酒場放浪記に出てきそうなアル中のおっさんが集う店がありました。
世の中にはダメな大人が居ることをここの存在から学んだ気がします。
登戸と狛江の花火大会は多摩川で。
夏になるとここで花火大会があります。
仕掛け花火は毎回同じですが、友達や先生が居るあの感じは他では味わえないでしょうね。
革命だったマクドナルド登戸店
登戸界隈でハンバーガー屋といえばダイエーのドムドムバーガーでした。中学一年生のの頃にここが出来て、地域が盛り上がりましたが‥。
山下万葉も通った日能研登戸支部(閉店)
かつてここには日能研がありましたが、どうやらここに伝説の泡沫候補で、私と同学年の山下万葉が通っていたらしいのです。
ちなみに今は音楽スタジオになっています。
二度の粉砕骨折を乗り越えた多摩病院
というと聞こえが良いですが、最初は30前の時にフットサルでバックチャージを受けて、2度目が35の頃にビーチバレーでナックルが掛かったボールをレシーブしきれずにやっています。
父が通ったスナック「恵梨香」(閉店)
もう建物自体画なくなりましたが、父がよくここで小林旭を歌っていました。ちなみにここでとある人物が働いていて、西尾は大いに冷や汗をかく羽目になります
行きたくなかった川崎市立宿河原小学校
6年間通いました。
ここも色々ありました。
写真が妙なアングルなのは、丁度このときに父兄が校門前で大量に居て、写真撮ると不審者に見られる可能性があったからです。
ヤバい学習塾「ホームスクール」(閉店)
成績の伸びない子が通う学習塾で、通っている子に話を聞くと、かなりとんでもない運営をしていることが分かってドン引きしました。
‥それ、教える側も大変じゃねえの?
バイトの思い出が深いセブンイレブン登戸東店(閉店)
おべんとうのkと並行してアルバイトしていました。とにかく居心地が良くて、その大半の理由がこのオーナーにありました。
バイト仲間と麻雀を打ち、飯を食い、一緒に遊ぶ。その間店は奥さんに任せるダメ亭主ですが、愛すべき人物で、エピソードには事欠きません。
味のIT革命、ラーメン「雪濃湯」(閉店)
この地域は味の砂漠と言うべき、かなり食には乏しい街でしたが、98年頃に突如としてこの店が出来、大行列になりました。近隣の飲食店は大激震を受ける羽目になるのですが‥。
カツアゲの名所ゲームinパラダイス(閉店)
登戸のカツアゲの名所その1。
カツアゲの名所中和ビル
カツアゲの名所その2。
友達も家族もここに来るダイエー向ヶ丘遊園店(閉店)
服も食料品もゲームも、同級生はここで買っていました。週末にここに行くと会うんですよ。そして、服も被る。
除夜の鐘を鳴らすなら龍安寺
剣道部の仲間で「除夜の鐘を鳴らそう大会」をしていた現場です。このあと先輩の家で朝までゲームやって「初日の出見ようよ大会」に移行します。
酒もタバコも何もしない、極めて健全なやつでした。
というわけで、いかがでしたか?
深堀してほしいエピソードがあればコメント欄で教えて下さい。
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