見出し画像

新卒での学習塾での経験が社会人、ライターとしてのキャリアを支えているという話

4月は毎日更新します

4月になりましたので、相撲も少し落ち着いていることや、せっかくVoicyという採用率が5%以下と言われているメディアを使わせてもらえているということも考えて、ちょっとこの1か月は心の声を聞くというよりは、自分に負荷を掛ける形で新しくトライしてみようと思います。

はい。
4月は毎日更新します。

お聴きいただく方を増やすことや盛り上げるためにどうやら重要なのは、更新の頻度を増やして色んな話をすることみたいなんですよ。私という人間を知ってもらう間口を広げるってことは大事なことですし、軌道に乗るまでの間はちょっと頑張ってみようかなということで。様々な切り口で話をしていきます。

「初めての就職」について

さて、今日のVoicyのテーマが「初めての就職」ということでしたので、今日はこの話を簡単にしたいと思います。

今日もVoicyでアップした方のものも案内いたしますので、こちらもお聴きいただけると嬉しいです。記事として読むほうがお好きな方も、音声として聞くのが得意な方も居るかと思いますので、お選びいただければと思います。

私が初めて就職したのは、前に話したことがあるかもしれませんが、学習塾でした。就職氷河期だったということもありますし、あとは自分の大学の専門だった発展途上国で農業を広めるということを青年海外協力隊で行うということも考えたところ、とりあえずは就職した方がいいという結論に至ったんですよ。

ただ、就職するにあたってどうせだったら自分が好きなことをやってみたい、っていうのは考えました。だから、今やっているような、モノを書くことについても挑戦してみたいな、試しに受けてみたらどうかな?っていうのも想ったんですね。

書くことへの憧れからライターも視野に入れていた

私が就職活動をしていた2002年って、ちょうどリクナビとか使われるようになり始めた時期で、ネットを駆使する時代に差し掛かっていたんですよ。

で、私はモノを書くことも好きだったし、ライターとか成れたらいいなぁって漠然と思っていたんです。何故か雑誌社とか新聞社を受けようっていうのは何となく違うと感じていたんです。恐らくそれは就職氷河期で、その辺の人気の会社については自分なんて門前払いされるんじゃないかと考えたからです。

それくらい就職状況って悪かったんですよ。
だから、やりたいことすら怖気づいてしまった。

ただ、じゃあなんでライターだったらちょっとやってみたいと思ったのかは全くの不明ですけど、恐らく当時サッカーライターの金子達仁さんへのあこがれがあったからだとは思うんですね。今にして思うと。

ネット上で知り合ったライターの人に記事を読んでもらった

それで、ネット時代だったことがここから関連してくるんですけど、ライターをしたいなと思っていた矢先にちょうど当時AOL(アメリカオンライン)っていうインターネットのプロバイダのサービスでメンバーの方がルームを作ってチャットをするっていうのが結構面白かったんですね。

で、そこの中に、ちょうどフリーライターをしている方が居まして、どうやらプロレスの専門誌で採用をしているらしいっていうことを話されていたと記憶しています。おお、プロレスは好きだし、一つの腕試しとして受けてみるのも面白いなぁと思ったんです。

ただね、これもまた就職氷河期特有のことなのかもしれないんですけど、応募してダメっていうのは結構傷つくんですよ。その数が相当なものでしたからね。だから、そこで私はチャットで知り合ったライターの方に自分のスポーツに関する記事を作って読んでもらうことにしたんです。

ライターの方の反応はイマイチだった

ただ、これが全然釣れないものだったんですよ。

私は結構自信があったし、それなりに書けたという手ごたえはあったんです。まぁ自分が望む業界で闘えるかどうか?っていう試金石でもあったし、恐らくそれが私が希望する職種に就くための蜘蛛の糸みたいな細い可能性だったと思うんです。

アドバイスはくれたんですよ。
ちゃんとしたもので、それは参考になるものでした。

ただね、だいたい人に気持ちって見えるんですよ。私がライターになるにあたって可能性があるとしたらもっと熱量があるだろうし、寄り添う気持ちって見えたと思うんですけど、なんか冷めていたんです。そこに当時の自分はあ、これは無理だ、って思って、でライターとしての道は自分で一度閉ざしたんですね。

就職するにはあきらめも大事な時代だった

それで、私はライター以外の道をっていうことで子供が好きで教えることが好きっていうごく単純な理由で教育業界を目指すことにシフトして、それで学習塾っていうところに収まったんです。

まぁライターとしての限界にいきなり直面したということっていうのは当時の自分には結構インパクトがあることではあったんです。でも変な話ですけど、氷河期っていう時代背景があって、難しい状況を打開するために諦めるっていうことに対して折り合いをつけていくことが大事だったように思うんですよね。

いちいちショックなんて受けていられないし、前を向いていないとやってられないんですよ。それくらい自分に対するダメだしが毎日のように行われていた訳ですからね。

学習塾で身に付けたことがその後のキャリアを支えている

結果的に私が学習塾で得たことって本当に大きかったんですよ。

前に話したかもしれないですけど、今にして思うと私はHSPと呼ばれる繊細さんという気質を持っていたので、人前でとにかく緊張するタイプで、何をするにも心臓がバクバクして仕方なかったんですけど、授業をすることによってそういうものは完全に克服できました。

そして、自分の中でさらに大事だったのが、人に対して教えるというスキルが身に付いたことだったんです。

結局その後4回転職するんですけど、必ず教育っていうのが私を支えることになるんです。その時に人に対して教えるということを集中的に行ったことが色んな職場で重宝されて、自分を助けることになりました。

元々望んだ職業ではなかったんですけど、でも回り道が自分を作り上げたといえるとは思うんですね。

学習塾での経験がライター西尾の土壌になっている

そしてもう一つ。
ライター西尾の中でもこの「教える」ということが本当に大事で。

人にものを伝える上で、整理して起承転結を付けて説明するっていうのは本当に大事なんですよ。もちろんそれって私が元々計算して身に付けたわけではなかったんですけど、これを学習塾でし続けることによって、書く文章も変わったんです。

学生時代もそれなりに自信はあったんですけど、でもより伝わるものに出来るようにはなったんですよ。逆に言えば、なんかの間違いでいきなりライターにあったとしたら恐らくかなり苦しんだと思うんですよね。その辺が出来ないからです。

初めての職場での経験やスキルは無駄にならない

だから、今日声を大にして言いたいのは、仮にそれが望んだ就職ではなかったかもしれないし、そして元々は別の職種を希望していたけど今の就職先に落ち着いた方も居るかもしれませんが、その職場で得た経験やスキルは絶対に無駄にならないということです。

どうしても初めての就職って下がることが多いんですよ。初めてのことばかりでしんどいし、給料はそれほどでもないし、おぼえることは多いし、学生時代の時の方が楽しいことばかりで、でも仕事からは逃れられない。

どんどん働くことが辛くなると思います。でもね、今の経験って生きてくるし、今得たことに助けられる日が絶対に来ます。もしもっと2002年の就職状況が良かったとしたら、恐らくライター西尾克洋は生まれていないんですよ。

今日のまとめ:初めての就職

さて、今日のまとめです。

私は元々新卒でライターを志しましたが、当時の景気が非常に悪かったことや自分のスキル不足によって受ける前にその道は断念する結果になり、学習塾に就職することになりました。

最初に望んだ就職先ではなかったのですが、学習塾で得た教えるということやHSP気質を克服したことがその後の自分を助け、転職先でもその後の転職でも価値を生み出すことに繋がりました。

そしてそれはライター西尾を支えるスキルにもつながりました。整理して書くということを助けることになったのです。ですから、初めての就職で得た経験やスキルはその後の自分のためになるものなので、就職を控えた皆様、今が頑張り時です。

よろしければサポートお願いいたします! 皆様のために今後使わせていただきます!