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ご近所づきあいや地域の活動が苦手な私がこの歳で参加したら悪くなかった話
皆さんは、ご近所づきあいってどの程度されていますか?
地域の活動とか、どの程度参加していますか?
私は実家が川崎で、先祖代々住んでいるとかそんなわけではなく、私たちが小さかった頃にマンションに移り住んだという経緯があるので、そこまで頻繁にっていう訳ではなかったんですよね。
川崎、というより登戸って私達のような人たちが多くて、親世代がどこか地方の出身で、大学や就職のタイミングで上京してきて、結婚して、で家を買おうとなったタイミングで何となく選ぶみたいな感じで。
だから、代々登戸に住んでいる家庭なんて2~3割じゃなかったですかね。
地方から出てきた、という性質上なのかもしれないですけど、両親から受け継いでいるのか、洗脳レベルなのか分からないですけど、かなり影響を受けていることがありまして。
それは、ご近所づきあいを極力避けたいと思うようになったということです。
必要最低限はするし、別にコミュニティの中で孤立しているという訳ではないんですけど、とりあえず消極的なんですよね。ひどく面倒なもののように見受けられて、そういうものなのかと思った記憶があります。
父も母も高校の頃から実家を出るような気質の持ち主という意味で、コミュニティそのものが合わないということなのかもしれませんが…
さて。
私の話になりますが、この部分って特に意識しないで来ました。というのも、それまでに住んでいた両国は賃貸のマンションだったからです。つまり、そんなこと一切しなくていい立場だったっていうことです
ただ、去年から千葉に住み始めてからちょっとずつ、自分がコミュニティの一員にならざるを得ない状況がちらほらと出始めてきたんです。
元々避けたかったことだったので、本当に後ろ向きなんですよ。
こういうのって。
ただ、自分の中でこの「ご近所づきあい」「地域の活動」というのものが何故そんなに嫌なのかを少し考えてみました。恐らくこれって、両親の受け売りだけじゃないんですよ。
そしたら、大きく分けて二つの理由があることに気づきました。
まず一つ目は、それほど利益にならないのに自分の時間が割かれるということです。
マンションの理事会にせよ、町内会の活動にせよ、そんなに楽しい活動じゃないんですよ。長期修繕計画とか、住んでいる地域の清掃活動とか、仕方なくやるものですからね。本来であれば誰かが勝手にやっておいてくれたら一番助かるものです。
だったらね、その「仕方なくやる」ということを別のことに当てて、日ごろの疲れを癒すとか、どこかに遊びに行くとか、自分のために使いたいわけですよね。
でも、そうもいかない。
自分が地域の一員である以上、仕方ないんですよ。だって、誰かがやらないと成立しないんですから。
昔ながらの「ムラ」的なコミュニティだと2022年の都市型の自治体と比べると遥かに役割は多くて、それを避けていたらそれこそ村八分になっていたなんていう話もありますからね。
そういう過去があるから、しがらみのない地域で、役割を出来るだけ持たないことを望むようになったんじゃないかと思うんです。勝手と言えば勝手なんですけど、自分もその勝手を謳歌してきたからこそそれは良く分かります。
そしてご近所づきあい、地域の活動を避けたいもう一つの理由が、周囲との距離感が難しいことだと思うんです。
「東京の人は冷たい」とかドラマとかでよく言われることですけど、これ別に全員に対して言えることではないんですよ。傾向としては地方と比べるとあるかもしれない。
でもね。
一度親しくなった後で、こちらが求める距離感と異なる接し方をしてくる方も結構居ます。
要するに、こっちは求めていないのにも関わらず、間合いが近くなっちゃうタイプの人って少なからず居るんですよ。これが結構面倒なのかなと思うんですよね。
地域の構成員に成ったら必然的に付き合いは発生しますけど、周囲の方がどの程度の距離感を求めているかなんてわからないですからね。
もし頭の上とかに「これくらいの距離感のレベルで接してほしい」みたいなのがアドバルーンみたいに出てくれるんだとしたら分かりやすくていいんですけど、そういうのって察するしかないものですからね。
そもそも「どの程度の距離感を求めているか?」っていうことすら考えないで、仲良くなったと思ったら見境なくガーっと縮めに行っちゃう、いわゆる「距離感バグっている」というタイプも居ます。
いや、バグっててもいいんですよ。それが個性になるくらい、周囲としてそれを受け入れられたらしいんですけど、なかなかそういう塩梅にはならないからこそ普通は配慮が必要になる。
人との距離感を考えた方がいいとか、そんなこと誰も教えてくれないんですよね。だからどうしても自分なりの正義で距離を決めてしまう。その正義の尺度がバラバラなんですよ。困ったことに。
ご近所づきあいって、どこにも教科書が無いし、自分がどう立ち振る舞えばいいかなんて手探りで掴んでいくしかないわけです。おまけに大体コミュニティが出来ればどこにだってボスみたいな人が居て、そのローカルルールもまた手探りしないといけない。
今の時代って30年前に比べると相当ストレス少ないと思うんですよ。うちの両親がまだ地域の構成員として全盛期だった頃に比べても。私の祖父母の全盛期である50~60年前までさかのぼったら、私なんかじゃもう耐えられませんよ。
快適さに慣れ過ぎてしまって、本来ある程度のストレスが掛かるコミュニティの構成員としての最低限の活動も過剰に反応してしまっている面ってあると思うんですよね。
だから、月に一度の理事会が10月から入ってくるようになって、だいぶ面倒に感じてしまっているんです。
みんないい人たちだし、何も難しいことを求められている訳ではないんですけど、単に自分の時間を割かねばならないということに対して妙にこの1年が長いものに思えてくるわけです。
これって今までの自分に殆ど無かった活動なんですよ。大したことはしていないのに、まだ戸惑いがある。
ただ、やってみると案外悪くないなぁと思っているのも事実で。
自分がコミュニティに関わって、人とふれあって、何かが前向きに進んでいたり、小さなことであっても、誰に気づかれなくても貢献できているというのはいいことだと思うんですよね。
こういうのって今まで私はどこかで見返りを求めてきた部分があったんですよ。例えば公園を掃除するなんていう状況でも、夜中に酒盛りしてごみを片付けなかった奴が居て、その尻ぬぐいをこっちはしている訳ですよ。
おまけに誰も自分をほめてくれたりとかするわけでもない。
だからね、ムカついてしょうがなかったんです。いや、今でも感じますよ。
片付けたってこいつらの行動が変わる訳じゃないし、多分またこの公園じゃないところでこの人たちは同じことをするんでしょうけど、でもそのゴミを見たら片付けに直接かかわっていない私だってムカつくんですよ。
でも、自分がそこに関わることでその問題は解決できる。とりあえず、それでいいんですよ。片付けないよりは絶対片付けた方がいいですから。
これまでに育った環境を考えると、自分や限られた周囲のことだけを考えていれば良かったんですけど、誰かのために動かなければならないという立場に42歳にして初めてなって少しだけおおらかに成れた気がしたんですよね。いや、まだまだ「気がした」ってレベルに過ぎないですけどね。
勿論過剰に役割を課されたりとか、距離感のバグった方に囲まれてしまうとかなったら「やっぱご近所づきあいとかダメだわー」ってなりそうですけど、でもこの視点の変化はとても良かったと思っています。
いや、でもね、やっぱり日曜日にやった公園の清掃で未だに腰は痛いし、来月は理事会が一度スキップするから少し安心したりと、全然まだまだですけどね。自分に縁が無かったところに何かのヒントがあるのかもしれないなとは思いました。
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