年明けの漠然とした不安にどう向き合うか?という話
明けましておめでとうございます。
2023年もよろしくお願いいたします。
最初に考えることはどう正月に羽根を伸ばすかではなく、どんな一年にしたいか?ということでした。なんだろう、こういうところが自分なんですかね?
正月くらいは中田カウスボタンの漫才を観たり、堺正章のテーブルクロス引くやつとか観ておけばいいのにって思うんですけど、そうはいかないんですよね。
寝る前に姪っ子にはお年玉を進呈して叔父の務めを果たしたので、これと言ってやることもありません。登戸の実家の縁側で暖まりながら物思いに耽っております。実家は川沿いなので、風が吹き抜けるから寒いんですよ。(ゆゆんゆさんの母校から近いのです)
さておき。
今年は43歳になります。
サラリーマン生活が満20年を迎えるんですね。
03新卒(!)の私がここまで来てしまったかと思います。社会人として折返し地点まで来ているので、いよいよ先が見えてきました。
考えてみると、20代の頃って正月になると「今年はTOEIC800点獲る」とか「スイッチとサーバーの資格を取る」とか「管理職になる」みたいな具体的かつかなりハードルが高いやつを設定して、正月の空き時間に得意の「時間を掛けてパワープレイ」で猛烈なスタートダッシュをキメていました。
シフト勤務とはいえ正月って休みだと時間がありますし、将来のことを考えるんですよ。若いから不安になる。テレビではカウス師匠がボタン師匠の犯罪歴をいじるんですけど、腹の底からは笑えなくて、テキストに向かい合うんですよ。
不安があるから頑張れたし、あの頃の「時間を掛けてパワープレイ」していたことに助けられて今があるのは間違いなくて。
でもね。
じゃあ42歳の今、何をするか?
何を目指すか?
となると、案外答えが無いんですよ。「これをして、社会人としても人間としても上積みしていけばいい」みたいなことじゃない。
転職とか、キャリアアップとか、そういうことを野心的に目指していくということでもないし、じゃあ開き直って現状維持に徹するといるのも枯れたようで違う。
明確に何かを掲げるわけでも、このままでいいと開き直るでもない。
私達の年代の人たちって、どうあるべきなんですかね?不安はあるけど、不安に任せて明後日の方向に動いてしまいかねない。
そういう不安から妙な投資に走ったり、副業を探したりしがちで、引っ掛かる人の心理もわかってしまうようになりました。上手く付け込めるようになってるんですよ。
おお、怖い。
これだ!という何かが見えないときに、不安に任せて動くっていうのはなかなか怖いもんです。動いていたり、目標を作ると気持ちは安定するし、充実感も出てくる。
充実感を得ることで気持ちを楽にするっていうのはかなり大事なことだと思うんですけど、充実感って不安を隠すために得るものではない。
私個人として目指すべきは、まずは何が出来ていて、何が不足しているのかもう一度見つめ直すことなのかなと思いました。
不安の正体って、大体漠然としているんですよ。明確に何かが不足しているから、自分がそこに及ばないからってことではあまりなくて。
逆に不安を覚える必要があるのかどうなのかを考えることが出来れば次にすることがわかるし、無ければ安心できる。
案外正月にお笑いが多いのは、そういう不安から視線を一旦外させてくれるようなものなのかもしれませんね。(私に限ったことですが)
考える時間がある時って、色んなことを前に進ませることも出来ますけど、むやみに不安だけが大きくなることもあるから案外怖いんですよ。忙しい時に考えないことを考える隙間があることで変な方に進むこともあって。
正しく考えて、正しく行動する。
当たり前のことなんですけど、不安がその当たり前を出来なくすることもあります。
だから、少し今年は気楽に。
不安も大事だけど、今を楽しみ、すべきことをゆっくり考えるくらいのバランスを大事にしていこうと思います。
今年も皆様、よろしくお願いいたします。
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