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20年前の福島での記憶から、西尾克洋が塾講師だった過去を辿る。

過去の西尾を巡る旅に出た


今日は福島に来ています。

福島市は私が新卒の頃に住んでいた思い出の地で、社会人経験もなければ一人暮らしの経験もない中、恐らく一生で一番頑張っていた時代の思い出がある町なんです。

そんな思い出の地を久々に訪れることになった訳ですが、今回は妻も一緒です。

確かに思い出の地ではありますが、考えてみると私は楽しくても妻としては私の思い入れのある場所を巡ってもさほど面白くはないはずなんです。

飯坂温泉といういわゆる温泉街に行くことになりましたが夕方までは時間があるので、その繋ぎをどうしようかと頭を悩ませました。

というのも、福島駅周辺って今の季節は紅葉観に行くとかありますけど、軽く夕方までにどこか行けそうなところが思いつかないんです。

なので、ここは私の説明込みで、20年前に私が住んでいた頃の史跡を巡る旅を計画しました。

今日は皆さんと共に史跡巡りをいたします。電動アシスト自転車飛行のお供をいたしますパイロットは私西尾克洋です。

長寿ラジオ番組「ジェットストリーム」のオープニングのような語り口ではありますが、説明が無ければまるで意味の分からない場所ばかりです。

出発進行

スターバックスの手痛い思い出

まず、福島駅に到着後に駅を降りたら見えてきました。これが、スターバックスコーヒーです。

何の変哲もないスタバ

何故スタバ?と思うかもしれません。
しかしこれは、20年前の福島を知っているものからすると大変な出来事なのです。

というのも、新卒当時の西尾は地雷を踏んだことがありました。

事務のレイコさんにふと「福島ってスタバあるんすか?」と軽く聞いてしまったのです。すると、レイコさんは悲しそうな顔でこう答えました。

「郡山にならあります」

そうか。
恐らくこの口調から察するに福島と郡山はライバル関係なんだ。埼玉と千葉。北関東3県。ハッキリ言って、これは不毛極まりない地域間の対立なんです。

それを私はスタバをダシに掘り起こしてしまった。痛恨の極みでした。

しかし、それももはや過去のことなのです。

私は安堵しました。レイコさん、今はもうそんなコンプレックスに苛まれることもないのです。本当に良かった。

ちなみに登戸にはスタバはありません。

福島の百貨店戦争の果ては

続いて見えますのは、「中合」です。
地域のランドマーク的な百貨店ですね。

昭和40年代の匂いがする

地域でも老舗の百貨店ですが、私が訪れた頃には別エリアに「さくら野」という百貨店が存在しており、激しい競争が繰り広げられていました。

さくら野は新しく、清潔感があり、コムサやビレッジ・バンガードといった若者向けの店も数多く出店しており、映画館まで完備されていました。

対する中合はといえば薄暗く、派手な花柄のワンピースやくすんだ色彩の服を主力にしており、天井がやけに低いことが印象に残っていました。

この戦争の大勢は見えたかに思えましたが、先に撤退したのはなんとさくら野でした。そこまでは知っていたのですが、見ての通り、勝者だったはずの中合もまた閉店の憂き目に。

「中合」の文字が取り外されながらも長年付いていたために跡のくすみで元の主人が分かってしまうのは何とも物悲しいものでした。

福島の人たちは百貨店難民になってしまったのでしょうか。まさか難民化した彼らが向かうのが郡山でないことを祈ります。

阿武隈川から一望する圧巻の光景

さて、次は阿武隈川です。

母なる流れ

福島で川といえば阿武隈川です。流域の鉄道に「阿武隈急行線」と名付けられ、「アブクマポーロ」という名馬が居たほどです。多摩関連に関与した命名だと「TMネットワーク」くらいしか思いつきませんでしたが妻に話したらその語源を知らず、一人で滑った格好になりました。

ここから見える光景は壮観です。

そして、山

一周回って山しか見えません。

阿武隈川の辺りが好きなのは、この光景が見られるからなんです。福島の夏暑くて冬寒い気候を理解するには最適な場所で、最初に福島市に来てこれを見たときに「このあと自分はどうなるのか」と感じたものです。

こんなの、福島でしか見たことが無いです。

「ベルトピア福島505」までが建物名

更に電動アシスト自転車を走らせました。20年も経過すると覚えているような覚えていないような、懐かしいのか懐かしくないのか。

果ては私がここで本当に一年過ごしたのかよくわからなくなる錯覚を覚えます。これって最近高校や大学に関しても覚える感覚です。皆さんどうなんですかね。

ただ、スマホがあるのでグーグルマップで前に自分が記録上住んでいたとされる住宅を目指します。

すると。
見つけました。

旧西尾邸です。
(グラバー邸みたいな言い方です)

これが名称
外観

当時築10年だったアパートは築30年となり、階段は朽ちていました。

「ベルトピア福島505」が建物名で、ここに部屋番号が付きますので、住所としては

福島市方木田字谷地ベルトピア福島505 202

という大変ややこしいことになります。

当時の家賃は駐車場込みで42000円。しかし学生講師には何故そんなに高いところに住むのかと言われました。このあたりの相場が2〜3万円だったからです。

大学の立地上、中央林間とか大和辺りに住む友人が多かったのですが、あの辺りでも6〜7万払っていましたからむしろ格安だと思ったんですよ。

一人だけあの辺りで3万円台の寮に住んでいる友人が居ましたが、マジでオードリー春日の「むつみ荘」状態でしたから。

現在ベルトピア福島505の家賃は25000円だそうです。相場並にはなりましたが、ロフト付きで灼熱の夏と極寒の冬、嫌なことがあったときはカップヌードルカレー味を食べながら夜な夜な水曜どうでしょうを見ていたあのときの思い出は色褪せません。

夜中帰ってもドアを開けるとちょい音がするんです。これが当時「おかえり」と言われた気になっていました。建付けが悪いだけなのに。

ありがとう。
ベルトピア福島505 202。

ディスカウント八百屋

最後の目的地、20年前を辿る小さな旅(日本テレビ系)はの終着駅ここからすぐです。

何屋だ

トライアル。

見た目何かよくわかりませんが、ディスカウントストア。平たく言うと異常に安い何でも屋です。

夜中に飯を仕入れることもあれば電化製品を買うこともあります。私はここで風呂からお湯を汲み取るポンプのようなマニアックな製品を買いました。こんなもん私以外誰が買うんだよ。

しかもここ、何故か八百屋が併設しています。

字体に合わない

ディスカウントストアと八百屋という妙な取り合わせですが何しろ安い。ディスカウント八百屋です。

198円

人参198円は本八幡でもある値段。
ただこれ、8本入っています。

私はここでほうれん草4袋を100円で買ったことがあります。マジでどこで盗んでるんだよ(盗んでいない)

私は確かに福島で塾講師だった

過去の記憶を辿り確かに存在することを確認することで私が20年前に福島で濃い生活をしていたことを思い出しました。

私は福島で塾講師だったのです。

東北大進学会はカラキヤビルではないビルに移転していましたし、カラキヤビルも何故か名称が変わっていましたが、当時私はチョークにまみれて「西尾先生、三十路なの?ねえ、三十路なの?」と聞かれながら授業をしていたのです。

こちらに来て妻と話すと忘れていた思い出も蘇ります。キツい想いをしただけの新卒時代ではなかったのかもしれません。

妻と私の過去を話し、妻の知らない私を蔵出ししたことは本当に楽しいことでした。様々な発見が妻にもあり、やってみるものだと思いました。

ただ。

妻にとってこの日一番の発見は、電動アシスト自転車が非常に快適なことだったそうです。

そう。
私の追憶は電動アシスト自転車に完敗したのです。

付録:福島の旅で出会ったショット

飯坂鉄道
飯坂温泉駅
いい感じの温泉
川辺の旅館街(潰れていない)
農家レストランのパフェ(1400円)
飯坂温泉駅内の一角の「真尋ちゃん神社」(自動ドア内)
真尋ちゃん神社全景

■Voicy様に西尾のnote記事をアップ頂きました!

なんと西尾のブログを朗読いただいています。2回目もアップされました。

ちなみに全4回ですので、あと2回私の記事が掲載されます。

■挨拶・自己紹介・雑談用の記事も作りました。

今回の記事の感想とは別で西尾と話したい!という時はこちらをご利用下さい!

■今日の記事のコーナー

これはね、経験あります。
わかる。わかるぜ!


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