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『非常識』と『無常識』の違いについて。

最近よく感じるのは常識のない人には2つのタイプがあるということです。ではこの2つはどのような違いがあるのでしょうか?自分は以下のように定義をしています。

『非常識』・・・決められたルールを守れない人
『無常識』・・・決められたルールがない人

今を時めくホリエモン(今はデモ原理主義者相手に大変そうですが)や西野亮廣さんなんかは非常識ではなく無常識の人だと思っています。
色眼鏡やルール・前提があまりないので、偏見を持つことがなく、何にでも興味を持っている印象。

ただ『常識がある人=決められたルールを守っている人』からすれば、大衆的なルールや前提を守れていない彼らを見ると「常識がない!」「ありえない!」と拒絶反応を起こすんじゃないかな~と思っています。

幻冬舎の箕輪さん本にホリエモンとの初対面のイベントにガラガラのTシャツにハイボール片手に酔っぱらって出てきたら、怒られるどころか「何そのお酒、ちょっと飲ましてよ」と声をかけてきたらしい。
これは「イベント登壇=スーツでキリっと決める(もちろんお酒なんて飲まない)」という常識がないホリエモンだからこそのコメントだと思う。

子育てなんて無常識の最たる例だと思う。正解がないのでなおさら。

自分は子どもには常識を押し付けることはしたくないので、極力怒らないようにしているんだけど、この前、ごはん中に息子とスマホでYOUTUBE見ていたら、嫁から「ごはんの時はスマホは見ないで」と注意を受けた。その割にテレビは見てもいいとのこと。

つまり嫁の中の常識では、
「常識=ごはん中テレビはOKだけどスマホのYOUTUBEはNG」とのこと。

それを聞いて、え、なんで?シンプルによく分からないなぁと感じた。じゃあTVでYOUTUBE流したらOKなの?スマホで音楽を聴いたらどうなの?
子どもにとってスマホ・テレビの区別なんてないのにどう説明するんだろう。というかそもそも区別する必要なんてないじゃん、とも思う。

僕にとってごはん中にスマホを見ることは特段問題ないけど、ごはん中にスマホを見てはいけない、という凝り固まった常識を持った方々にとってはその行為が「非常識」に当たるんだと思った。

ただ世の中の常識なんて時代によって変わってしまう。
動画の視聴方法がテレビからスマホに変わったり、クラファンのように人からお金・知恵の支援をもらったり、MaaSのように車を持たない時代が来たり、といろいろ。

だからこれまでのルールに縛られ、非常識だ!と批判から入ると新しい常識を受け入れづらくなるし、スピード感を持って変化に対応できないと思う。変化とは現状・自己認識の否定が入るため、これがまた難しい。人は自分を否定したくないので、変わらない人はいつまでたっても変わらない。
そんな人はどんどん置いてけぼりにされちゃうんですけどね。

だから自分は常識を持たないことで常に変化に対応できるようにしているし、我が子にも常識を持たずにできるだけ成長して欲しいと願っている。常識を持たないことでいろいろな人から心無い非難や批判があるけれど、それは変化を嫌う常識に縛られた非常識人だ!と割り切っちゃえば何ともなくなると思います。

無常識を楽しもう!

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