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揉めて当たり前

たまに、「ない空気なんか読まんでいい~!」
なんて自分にも他人にも叫びたくなる時がある。
でも、「わぁ、空気を読んでなんて粋なことを✨」なんてこともあり実際は空気を読む、
読まないに対してしっかりと否定なんて
できないなと思う。

そう、すべてはバランス。

でも私は基本的に空気を読む、とか読めよな、
な圧力が苦手です。

そんなある日ツイッターで高城剛さんの

日本に住んでいると、「揉めない事が大前提」で何でも進んでいるように思いますが、日本以外のほとんどの国では「揉める事が大前提」で何でも進んでいると思います。いわゆる欧米諸国といわれる国々では当たり前=社会的成り立ちなのです。揉める可能性がある=チャンスですよ!

というツイートをみて、気持ちが楽になった。

意思疎通って、人と人とが分かり合うのって
色々てこずるのは当たり前なんだって、
最初から思えると楽だなぁって。

そして、そう思えたらその煩わしさも
時には楽しいもの、味わい深さになるのかも。

問題なのはきっと相手を尊重する気持ちを
欠く時。それはただのケンカになるだけ。
(でもケンカさえ、人生のスパイス
になるのかもといまは思う。)

コミュニケーションに対して
苦手意識があった自分ですが
もっと気楽に、尊重は忘れずに
楽しめばいいのかも、と
最近は思っています。

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