「推しは推せる時に推せ」


こちらは白熊文芸部で読み上げた幕間久真の読書感想文です。『推し、燃ゆ』のネタバレを含みますので、読後にこのnoteを閲覧することを推奨します

『推し、燃ゆ』というタイトルが、とても目を惹いた。
「推しが燃えた。ファンを殴ったらしい。」という一節から始まる当書は、事件をきっかけに炎上したアイドル上野真幸を推し続けてきた、主人公あかりの生きづらい現実に対する苦悩と、そんな中でもたゆみない推しに対する愛を、生々しい日常描写と共に描いた作品だ。

推しが燃えた、そうなった時自分がどうなるのか、もしもを考えても想像がつかなかった。
だからこそ、手に取ったのかもしれない。当書の主人公がどのように事態を受け止めるのか、どんな行動を起こすのか、推しに対する感情の変化は、それらを知ることで自分の想像のつかなかったことも知ることが出来るのではないかと。
読んでいる中で、度々自分と重なる部分があり、特に「全身全霊で打ち込めることが、あたしにもあるという事実を推しが教えてくれた。」の一文は正に自分の事だと、思わず頷きそうになったのを覚えている。

自分は普段から出不精だったが、そんな日常を大きく変えて、彩りを与えてくれたのが推しだった。推しを推す時は色々なものが軽くなっていく。
推しのグッズが出ればもちろん買ってしまうので、財布も軽くなる。遠くでイベントをすることになれば、推しのためならどこへでも行けそうなほど足取りは軽くなる。推しが楽しそうにしているだけで、自分も楽しくなって気持ちも軽くなる。推しが居る、ただそれだけの事が増えただけで、なんでも出来る気がする。推しを推している時が何よりも至福で、それを離さぬように全身全霊で推しを推している。

とても充実しているように自分でも思う。推しにのめり込むあかりの気持ちもとても理解出来た。
が、たった一つだけどうしても理解し難いことがあった。それは、自分の全てを賭けて推すという姿勢だった。

この作品を読み終えて、自分の推しに対する姿勢を改めて見つめ直し、そしてあかりと比べていた。
推し方というものに正解なんてものはないが、それでも、自分は大丈夫、そんな感想が頭の中で浮かんできた。何かに熱中することは良いことだが、しかしそれは自分の最低限の生活あってこそだと私は思う。

巷でよく「推しは推せる時に推せ」と聞くことがあるが、必ずしもそれが良いこととは限らないのかもしれない。
いつか居なくなってしまうかもしれない存在でも、だからと言って推せるだけ全てを賭けて推してもいけない、適度な距離感で推す事が大切なのだと考えさせられるそんな一冊、是非推しを持つ全ての人に読んで頂きたい。

私は今日も、推しを推せる時に推せる分だけ推していこうと思う。

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